若者 ごらんなさい、僕がどれほどいやな奴か、おまけに助けて下さい、と頼むかもしれません。
たいそう長い沈黙
マーリアはゆっくり椅子のところへ行って、坐る
若者 助けて下さい。《C あなたには今となってはもうどうなろうと同じこと
です、いずれにせよ僕は出て行きます。》あなたなら助けられるけど。
たいそう長い沈黙
若者ゆっくり戻る。ドアは開いたまま
若者 今となってはもう他のことは出来ません。《C あなたには僕を助けることが出来るだけです》僕は恥ずかしいとは思いません、お願いです。
たいそう長い沈黙
若者 《C 助けて下さい》
たいそう長い沈黙
若者は椅子の方へ向かう、その間手からコートを落とす。マーリアの後ろに立つ
若者 ありがとう。お礼を云うほどに僕を恥知らずにして下さって、そしてこれも言葉にすることが出来ます。あなたが僕を恥知らずにしたんだ。《C ありがとう》
たいそう長い沈黙
若者 《C 僕は出て行きませんでした》
たいそう長い沈黙
若者はヒステリックにさけぶ
若者 《C 跪きましょうか？もっと感謝しろとでも？それとも何を考えてるんです？今度は何をしましょう？》
マーリア ドアを閉めて。
若者はドアのところに戻り、閉める。そこにとどまる
たいそう長い沈黙
マーリア そして毎朝広場でのこの出会い。《C 想像してみて。》私は行く、いつも斜めに横切った、そして彼は私の向こう側に来た。その間に雪は解けて、春になった。
間
世界で一番美しい恋のお話をするわ。
間
麗しい、暖かい春。
間
怖れるべきものは何もない、昔あるときあるところで、私はまだ一度もこのお話しをしたことはないわ、でも話すときは、《C これもおとぎ話になるんだわ》
間
これに続くモノローグの間中若者は静め難い落ち着きなさで何度も部屋の中をぐるぐる廻り、自分の居場所を捜す。隅を試してみて、ベッドの下へ、ストーブの後ろへもぐりこみ、坐り、しゃがみ、立って、横になって試す、あらゆる物を掴み、臭いをかぎ、触れ、ベッドサイド・テーブル、ストーブの中を覗き、それでもどこでも、どんな風でも数瞬より長くはじっとしていない。ただベッドには横にならないし坐りもしない、それは強調して避けなくてはならない！さらにこの場所探しは安心してコミカル、お笑い種で、病的になってかまわない、ただわれわれは舞台上でとどまることが可能な場所が一点も残らないよう、試してみなかった場所が残らないよう目を離さないようにする。
マーリア 私はそれ以上決して振り返りはしなかった。彼もそうかもしれない。それはわからないわ。
間
もっと正確に言えば一度、そして最後に。でもそれは別の話よ。そのときは彼が求め、私は何かが起きると感じたわ。でもそれは別の話よ。
間
こうしてそのとき以外は私は、決して振り返らなかった。ただ背中が痛かったわ。私たちが離れると、いつもものすごく背中が痛んだわ、まるで私の背中は、また会えるまでは、また丸一日が過ぎなくてはならないとわかっているみたいだった。でも彼が来ると、また来ると、翌日新たに私の向かいに来ると、私はときどき考えたわ、神様がたった一日でなく、日々をお創りになったのはなんという幸運だったろうって。私たちはこんな風にお互いを捜し、丸一日分に充分になるようお互いを見つめた。彼は睡眠不足で来た、そして別の日には晴れやかだった、日が照っていれば手に帽子を持っていて、そしてそよ風が彼の髪をきれいに乱したわ、私はそれが特に好きだった、そよ風が彼の髪に触れると、そのそよ風が、髪が。彼がどんな風であろうと、それは私にとってちっとも重要ではなかった、だってしばらくすると、どれほどの時間が過ぎたかはわからないけれど、私にはわかったの、彼がどんな風でも、どんな風でもかまわない、目をえぐられていても！彼の顔に硫酸がかけられようが、ある晴れた日、彼に顔が、そう彼に顔がなくても。それはちっとも重要ではない、さあ来て！毎日来て、毎朝広場を横切って来て、私がそうしなくてはならないように、私もそうしているように、プラタナスの下を斜めに。
間
プラタナスの木はとっても遅くなってから葉を開くのよ。他の木ならもう緑色なのに、プラタナスはまだ裸なの。
間
しばらくすると、どれほどの時が過ぎたかはわからないけれど、でもそれは多分重要ではない、私は彼が誰か知っていたし、彼も私が誰だか知っていた。彼が知っていると、私にはわかっていた。でも彼はもうそれ以前から挨拶するようになっていた。上品に。ただこんな風に。帽子を被っていると、ちょっとだけ持ち上げた、ほんのちょっとだけ、手に持っていたときは、ほとんど気がつかない程度身をかがめた、うなずきはしなかったわ、しなかった！身をかがめた！上品に、ほとんど気づかない程度に。
間
私の方ではもちろん応えはしなかった。
間
しばらくすると彼はやめたわ。
間
そのときはもう私おしゃれもするようになっていた。《C ザザが送ってくれたものを着てね》
間
もうそのお話はしたわね。あのときそのスプリング・コートをもらったの、砂色のやつをね。
間
身一つで何も残っていなければ、良かったのに。
間
《C私は寝ぐら訳注５を借りていたわ》
間
あの甥はちょっとした良い仕事を手に入れてくれたの、もちろん私の名前でではなくて、ベッドの持ち主が届け出したわ、それで私は彼女から給料の半分をもらえたの、だってもう半分はベッドに消えたから。
間
でも夜の八時から朝九時までしかベッドを使うことが出来なかった。
間
私はドアの開け閉めをした。浴槽を磨いて、浴室では私が管理人訳注６をつとめたわ。
間
《C 浴室では》そうだったの。
間
《C ベッドの下なら服を入れておけた》
間
わかる？よりによって浴室よ。
間
《C 午後は喫茶店で時間をつぶしたわ》、そして彼も一度入ってきたわ。《C》
間
私たちこんな大きな家族用ベッドで寝ていたのよ、壁はびしょびしょだった、何もかもがきたなくて、他のベッドで寝ていたもう一人の女が夢を見て私の手を掴んだわ。《C》彼女は手を捜していたわ。
間
でもどうしてよりによって浴室？《C なぜ浴室なの？》
間
だってベッドの持ち主はしばらくすると、もっと払えと望んだからよ。半分だけでなく。《C だって、小包からもあなたにあげたじゃない。》でもそれだって充分じゃなかったのよ。
間
日が照っているときは、喫茶店に行く気分になれなかったわ。そして公園で散歩するときは、ひなたぼっこして本当にとっても幸せだった、一度、こんな風なある午後彼は又やって来た、彼だと私は感じた、背中が痛みだした、あっという間に痛み出した、だって今度は朝のように正面から来たんじゃなくて後ろから来たからよ。私は最初のうちは急いで行っってしまったりしなかった。ただそのまま散歩を続けてるだけみたいにしたわ。あたりを見回した。でも彼だと感じていたわ。私は振り返らなかったかもしれない、でも彼だとわかっていた、だって彼の歩き方以上によく知っている人なんていなかったんだもの。彼は私の後ろから来た。それから私は考えたわ、あそこのあの通りに入っていこう、そうすれば彼は追いつけないだろう。だって彼と話したくなかったから。彼は私の後から来た。何故だかわからないけれど、でも話しはしなかった。ただ見るだけ。考えたわ、それじゃもっと先まで行こう、やがて彼は追いつけなくなる、だってここはすごく人通りが多かったから、でも人通りが少ないようなところでは、きっと私と一緒に姿を見せる勇気はないだろう。彼は私の後から来た。《C あのときは私がペスト患者であることも、少しも妨げにはならなかった》私たちはある通りを行った、日が照っていて、私は前を、彼は私の後を、誰も通りにはいなかった、雨どいだけがそっとポタポタしずくを垂らしていた、そして私は怖くなり始めた。なぜだかはわからないわ。でも彼は怖れていると感じた。だけど彼に何か言おうと、振り返ることが出来なかった、彼が私の後から来ることがものすごく痛かった、私のこの恐れも痛かった、そして彼だって声をかけることも出来ないんだって感じた、彼にはこれしか出来なかったの、私の後から来るだけしか。私たちはそんな風にして行った。私はいつも角を曲がった、どこへ行こうと同じことだった、それじゃいずれ追いつけなくなるだろう、と望みをつなぐだけだった、でも彼は私の後から来た。私は、まるでどこかへ急いでいるかのようにそうしたのだけれど、そうすると彼も足取りを速めた、そうすることで彼は心を露わにした。《C》それから私は走り始めた。そのときはもう暗くなっていた。彼は走らなかった、でも私の後から来た、しばらくすると私はもうそれ以上走れなかった。そして彼は追いついた。その間に夜になっていた。
間
そして朝になると私たちは同じように木の下を行った。私たちが出会ったときは、彼は立ち止まった。私は先に行った。《C》木々はまだ裸だったわ。
間
彼は午後はときどき現れなかった。そして朝はもう、まるで何か言いたいとでもいうように立ち止まることはなかった、だってそれは私たちの間で出来上がったことだったから。ルールが出来上がったのよ。
間
例えば私たちが同時に歩いたことがあった、左―右、左―右、お猿さんたちが行く。そして彼もそのことを考えた、とわかったわ、そんなとき私たちはとっても楽しかった、笑ったわ。笑いはしなかった、同時に踏み出しただけ、そしてそれは私たちがとっても楽しいんだってことだった。まるで笑っているみたいだった。
間
《C》別のときは又ひどかった。私たちはたまたまちっともリズムに乗って歩くことが出来なかった、それほど悲しみが大きかったの。まるで彼は終わりになるのを少しも望んでいないかのようだった。ただあのぞっとする通り。私たちは、終わりになるようにと、夜を待ったわ、でもあの夜はますます長くなったし、私はもう八時に家に帰ることは出来なかった
間
《C 家に》
間
私たちはやめることが出来なかった
間
あのもう一人の女が私の手をつかんだ、そして私もまるで寝ているかのようにそうした。これがあのころの私の家だった。その手が。
間
そしてそのとき彼は歩みを早めた。私にはわからなかったわ。《C これがわからなかった。》彼は私の前に出た。私と向かい合いはしなかった、私の前を行った。私の前に出た。《C これが私にはわからなかった》、でも私だって立ち止まることは出来なかった、そして彼の後から行ったとき、日が照っていた、彼はこれ以上耐えられないのだとわかった。《C》私たちは、終わりが来るのを望んでいた。彼はルールを破っていた。《C それなら終わりになれ》私たちは行った。私は立ち止まった。《C 終わりになったというなら、もうそれに耐えることは出来ないだろう》、私は立ち止まった、そしてそれからもどる方向に出発した。終わりになれ。彼は走りだした、そして又私の前に出た。私にはわからなかった。でも今度は新たに廻れ右することは出来なかった、終わりになれと、それほどまで望むことは出来なかった、私は彼の後から行った、そして今度はこれが新しいルールなんだと、《C そしてこれも守らなくてはならないんだ》とわかった。
間
それからは彼が先を行った。
間
ベッドの持ち主は、私がチップまでもらっているって主張したの、その上その仕事は彼女の名前になっていたわ。私は支払った。
間
いつも日が照っていた。
間
私は彼の後から行った。
間
日が照っていた。
間
今度はそうして夜となり、《C 彼が先を行った》
間
私はお昼は１リットルのミルクを飲んでセンメルパンを二つ食べていたわ。《C 私はきれいだった。》金髪で、青ざめてほっそりしていた。
間
あなたが私のために考え出した娘のようにね。
間
《C 彼が知り合い達と出会って話をする方がよさそうだと、そのときには私は彼の前に出たわ》、私は彼を待った。
若者 僕は嘘は云いませんでした。
マーリア 《C でもときたま、姿を消すふりをしたわ》
若者 僕は嘘は云いませんでした。
マーリア 《C たまにしかしなかった》、だって何かの門か広告塔の後ろから出て来ると、私にはわかったから、それは彼にとって苦痛だとわかったから。
間
それから彼はある門の前で立ち止まった。私と向かい会った。私にはこれがわからなかった。《C それじゃ彼は又ルールを変えたのだ》でもそんなに早くやってのけた、私には立ち止まる時間はなかった、黄色い門、古い、黄色い門、私にはわからなかった、でも多分私は立ち止まりたくもなかったしもっと先へ進んでいただろう、もし彼がとてもそっと、完全にそっと私に声を話かけなかったら、《C なぜ私に口をきかないのです、マーリア？》私にはわからなかった。それでもそのときやはり立ち止まった。ほんのちょっとだけだと思った、だって行きたかったから、先へ、でも彼の手が呼び鈴にかかっていてベルを鳴らすのが見えた、彼は私を見つめ私は彼を見つめた、だからそれからその場から動くことが出来なかった、でももう誰かが門をあけていて、彼は礼儀正しく頷いた、行けと、それほどうやうやしく上品に、まるでそれがこの世界で最も自然なことだというように、門の後ろに一人の婦人が立っていて私たちの顔を見ないようにしていて、挨拶しなかった、自分の前を見つめていた、まるで目を見張りたくないみたいに、そうして中庭に私たちを案内した、中庭の向こうはもう野原になっていて、彼はあるドアの前で立ち止まった、私に開けてくれた、私に開けてくれた、そう感じたわ、《C そして私は中に入った》彼がドアを閉めた、そして二度鍵をロックした。私たちは白く塗った壁の中にいた、美しい、清潔な部屋に。日がさし込んでいた。それは白い鉄のベッドの上の一本の十字架に照りつけた。鉄のストーブ。白い椅子。白いぼうろうの水差しとたらい。タオル。《C》それ以外は何もなかった。
間
彼はドアのところに残った、私は椅子につかまった。
間
静かだった。
間
今みたいに。《C》
間
彼はそのときまで撫でた、だって抱きはしなかったから、本当は抱いていた、《C というのも彼は私の中にいたのだ、だってそれ以上によく私の中にいることは出来なかったから、でもそう抱きはしないで、撫でた、まるで私が彼の中にいるみたいに、そのときまで撫でた、どこもかしこも撫でた、外からも内側からも撫でた、あるいはそんな風じゃなかった、彼は撫でただけ、私の口を撫でた、そしてまるで私の子宮までも撫でたみたいだった、彼は止めることなく撫でた、そして私にはだからこそ彼はそんな風に、私に話せと撫でているのだとわかった》、私自身の内から何か声をあげるようにと、彼はただ撫でた、《C 唯一の優しい愛撫以外何もなかった、彼の体、重い体、彼の体の下ではあえぎも愛撫、とても長い間、そのときまで撫でた》、ああ、おそろしく長い間、《C 私たちが苦痛に捕らえられるそのときまで》、ある美しい、霧深い野での何かの苦痛に、そこで、それじゃこれにも終わりが来るんだという苦痛に追いつかれた、でも私は口をききはしなかった。《C》私たちはまるで気が遠くなったか、眠ってしまったかのようだった。だがそれでも、窓の前で幾つかの足音がするのを、聞くことが出来た。私たちは互いの腕の中で眠った。《C でも私はやはりこの恐ろしい部屋が見えたかのようだった。》夜だった。
間
夜。
間
そんなわけだった。
間
午後私は浴室から連行された。二度目は浴室から連行された。私はちょうどあのスプリンゴ・コートで従業員が出入りする裏口から外に出た。彼らは後ろから優しく私の腕を取り、耳に「一言もしゃべるな！」とささやいた。
間
《C 何で私が口をきいただろう？》誰に？
間
彼らは私に目隠しした。それでも彼らがそこから私を連れ出すのを感じた。車は国道を行った。
間
私たちはこの部屋にあわせて二度きた。
間
《C 二度》
間
彼らは一言も口をきかなかった。《C もし殿方にお伺いしてもかまわないなら、このドライブはどこまでなの？》つまり私には、後に何が続くのかわかった。でも彼らは答えなかった。何が続くか私にはわかっている、と私は思った。それから私たちはカーブした、車輪の下でじゃりがきしんだ。どこかの庭らしかった、多分もう夜だった、涼しかった。ある階段に連れていかれたそして私の前でドアが開けられた。放り込まれた。彼らは私と一緒に入ってきはしなかった、ドアが閉められた。ここも静かだった。私は立った。そして不思議な臭いがした。だもここには誰かがいる、と感じた。
間
ここからは若者はだんだんと声を張り上げる。あえぎながらはじめるが、最後の言葉はもう喉が裂けるほど張り上げなくてはならない。これに応じてマーリアもいつも１ランク大きな声量で話す、最後まで、文章の意味と関係なく、彼女もさけび、わめく
若者 たくさんだ
マーリア 誰かが入ってきた、私の方へ。目から目隠しを外した。もう一人が殴り始めた。
若者 たくさんだ。
マーリア 《C そいつらは二人で殴った。》三人目が安楽椅子から見ていた。
若者 《C たくさんだ》
マーリア これは例えばやり口の一つだった。
若者 《C やめろ》
マーリア 私は絨毯で巻かれた。彼らはゴム製の棒で私の足の裏を殴った。三人目がそっと安楽椅子から訊ねた。《C 私の口に塩を詰め込んでやろうかと》
若者 《Cたくさんだ》
マーリア ある地下室で私は気がついた。《C なんて面白いこと、今もまだ生きている》
若者 《C やめろ》
マーリア また連れていかれた。《C 私たちは今度もまた車に乗ったそして日中なのか晩なのかわからなかった。どこか広い石の階段を上っていったそしてそれほどまでに恐ろしく平和だった、他の人たちも階段にいたし彼ら二人は「こんにちは、検事さん」と挨拶していたから。
若者 たくさんだ
マーリア 「今日は、マルギット」《C このマルギットのことは正確に思い出せるわ》
若者 《C たくさんだ》
マーリア 私たちが立ち止まったとき、彼らはあるドアをノックした。誰かが「どうぞ」と中から声をかけた、《C でも私には彼の声のようだった、そしてそのとき私は正気を失った。》
若者 やめろ！
マーリア 《C 確かに私は正気を失ったんだわ、そしてそのとき目かくしが外されたというのはただの想像なの、そしてドアが開けられた。》彼はライティング・デスクに坐って、一人の女と話していた、彼女はデスクによりかかって立っていた、こんな風にデスクにもたれて、気軽に。
若者《C やめろ！》
マーリア 彼は始め私たちの方を見もしなかった、その女と話していた、でも奴らは彼に一冊のファイルを渡した、そして出て行った、そしてもう一つのドアからその女も出ていった、でも「続きは後でまた」と振り向いて合図していった。彼は私に気がつかず、私はといえば彼を見ることが出来た。
若者 違う！
マーリア 《C そして私にはとうとう見えた》
若者 《C 違う！》
マーリア 彼は飛び上がった、《C でもそのときはもうムダだった》そのときは私にはもう見えた。とうとう見えた。《C どうしてここに？》彼はそんなたわごとを私に尋ねた。彼は渡されたファイルを手にとった。
若者 《C たくさんだ》
マーリア 私は決して、一言も彼には口をきかなかった。決して、一言も。《C私はこの件はもちろん引き受けない》彼はそんなたわ言を私に言った。でも私は幸運にも決して一言も彼に口をきかなかった。》決して、一言も。
若者 《C たくさんだ》
マーリア そして彼は部屋から走り出てったわ。
若者 やめろ！
マーリア 《C それからまた地下室よ、》引っ張っていかれたわ。そして長い間何も起きなかった。どれほど長い間だったかはわからない、でも長い間よ。それからまた殴り始めたわ。
若者 たくさんだ！
マーリア でも彼が私の上にいることは感じたわ。彼のことは考えなかった、それでも感じた。
若者 たくさんだ！
マーリア 他のことは何も感じなかった、殴られていることだって、私たちは同じ家にいるんだって、それだけは感じた。
若者 《C たくさんだ！》
マーリア 《C 私たちは同じ家にいるんだ。家が痛い。》
若者はドアを開け、走り出る、すぐに姿を消す
マーリア 《C 同じ家に》
たいそう長い沈黙
マーリア 私たちは同じ家にいた。
マーリア完全に身動きなしで椅子に坐っている
そしてその他には何も起きない
少なくとも二分間すぎなくてはならない、そしてマーリアが動かないことが極度に張り詰めた期待にならないとしたら、だんだん張り詰めた、終いにはすんでのところでもう椅子から飛び上がらなくてはならないほど張り詰めた期待にならないとしたら、私たちは休憩がくるかおそらく終わりだと思うかもしれない
しかしこの様式化されて孤独な疲れ果てた緊張それ自体が休憩なのである、すなわち劇場の休憩時間を思いおこさせる
この休憩が、もうこれ以上伸びようがなくなったら、若者再びドアに現れる、隠れ場所から前に進み出る、かくて偶然ドアの隙間に入り、やがてたいそうゆっくり入ってくる
彼はベッドへのろのろと進み、フラリと倒れる
マーリアの緊張はだんだん解けてくる
今度は再び、たった今と同様の長い間
彼らは疲れきって坐っている
この間が再び度を越したとき、マーリアたいそうゆっくり立ち上がる、たいそうゆっくり振り返る、そして頭をたいそうゆっくりちょっと動かしただけで、部屋をじっくり観察する
ドアは開いたまま
若者は疲労困憊してだらしなく、しかし身動きせずにベッドのへりに坐る
マーリアたいそうゆっくり二、三歩歩き、やがてたいそうゆっくり身をかがめ、たいそうゆっくり床からガラスのかけらを拾い集め始める
リズムが早まることなく拾い集めたとき、彼女はそれを椅子まで持っていき手の平から椅子の上に、きっちりと小さな山にまく
それからたいそうゆっくりホーローのたらいのところへ生き、中から水差しを持ち上げ、水差しを脇におき、たらいをベッドのところまで持って行き若者の足の前へ置く
間
膝をつき、膝で少しだけ近くへ滑り、そして若者の片足を手に取り、今始めて彼を見上げ、顔を見上げる
若者は無表情に自分の前を見つめる
マーリア若者の足から片方の靴を、それからもう片方を脱がせる。靴をきちんと揃えて置き、次に靴下も脱がせ、靴の中に入れる
間
二つの裸足のかかとの下にたらいを押し込み、立ち上がる
若者の手をとり、シャツのカフスのボタンを外す、もう片方の手も同じようにする。まず手、それからボタンをというように
指で若者の首を撫で、ゆっくりシャツの胸のボタンを外す
間
ズボンの前のボタンも外す
若者からシャツを脱がせ、シャツをベッドのボードにかける
ズボンのジッパーを開け、やがて若者の前に身をかがめ、片腕で裸の肩を抱える、少し上へ持ち上げるために脇の下に手を差し入れる、もう片方の手でズボンを引っ張る
これはうまくいかず苦労する、しかし若者は手伝わない
間
もうすでにズボンが尻の下まで脱げたとき、再び膝をつき、ズボンの足を掴み、脱がせる。
彼女は立ち上がる、ズボンをベッドのボードのシャツの隣にかける
再び、若者の方に身をかがめ、たった今したように、再び彼の体をちょっと持ち上げ、やがて彼の前にしゃがみパンツも脱がせる
立ち上がる、パンツもきっちりベッドのボードにかける
若者を抱え立たせる
若者は裸でたらいの中に立つ
ホーローの水差しのところに戻る、水差しもたらいのところに運ぶ
間
水差しから水をたらいに注ぐ
膝をつき、たらいからあかすり布を持ち上げ、これを何度もこれがすっかりびちょびちょになるまで水につける、やがてしぼり手に取り、又若者の顔を見上げる
マーリア とても冷たい水
間
若者動かない
マーリア起き上がり、そしてあかすり布で若者の首、肩、胸、背中を洗い始める
その間何度もあかすり布をゆすいで、しぼり、しゃがんでは起き上がる
腰まで洗ったとき、静かに話し始める、ただ色合いのない単調な声で、まるで子守唄を歌うかのように、しかしその間同じようなリズムであかすりを続ける、若者の腰、尻を洗い、あかすり布で腿の間に入って、腿も洗い、ゆっくりしゃがみ、やがて膝まずき、脛を最後に足も洗う。
マーリア 夏になって私はまた広場を横切ることが出来るようになった。あのプラタナスの木はそんなときが一番きれいなの、葉の紗幕が光をろ過して、その光についてはまだ話してあげることが出来なかったわね、不可能なの、でも朝、また朝初めて横切ろうとしたけれどムダだったわ、彼はどこにもいなかった。午後も。
間
マーリア 私がもうその場から出ていくことすら出来なかったほど、いなかった。
間
もう二度と、と私は思った。
間
そしてやはり彼は来た、昔と同じように、私の向かいに、広場を横切って、彼は来た、私は行った、でもとにかくこんな風になるとは考えていなかった、どうしてか考えていなかった、でもその間に一年がたっていたのよ。
間
夏だった、暑かった。
間
彼は立ち止まったそして私も立ち止まった。あの光の中でそんな風に私たちは立っていた。ノーマルな午後、人々は行ったり来たりしていた。多分彼の方が先に動き出した、でも今となってはもうわからない、思い出す力がない、多分思い出したくもないのよ、多分重要すぎるのかもしれない、でも私は先に進んだ。
間
それは仕返しだった。そして翌日の朝も私はそこに行った。その後も。まるで忘れたがっているように、でも忘れたくないのだ、ただ仕返ししたいのだ、とわかってはいたのだけれど。何よりも私にはそこを横切る権利がある、その権利があると。でもそれは長く続かなかった。彼は立ち止まった。痩せてしまい、青ざめてはいなかった、ひとりの見知らぬ人の顔の黄色い皮。それはある見知らぬ人の顔の皮に見えた。彼は言った、もう一度ふり向いてほしい、マーリア、あなたにお別れをしたい、私は行くと。私にはわからなかった。そして進んだ。彼はかばんは持っていなかった。私にはわからなかった。彼は先に進んだ。そのときも私は一言も口をきかなかった。決して。でも振り向かずにはいられなかった。そのときだ。彼はまっすぐ行った、横切って、振り返らなかった、彼はそうしなかった、私は彼が何か取り出すのを見ただけ。ポケットから引っ張り出した。
間
それがお別れだった。
おそらくそれが一番確実なの、彼は口にくわえて撃ったわ。
間
それで私の人生は終わった。
マーリアは立ち上がり、ゆっくりストーブのところへ進む、ストーブの管と壁の間に張られた針金からタオルを取り、それを持ってもどる。若者は動かずに立っている。
マーリアは慎重に彼の体を腿までふき、やがて若者をベッドに坐らせる、たらいを脇にどけ、再び膝まずき、慎重にすねを、足の甲をふく
立ち上がり、タオルを針金にかける
ベッドのところに戻り、毛布を上に引き上げ、若者を横にならせ、覆う、枕を頭の下で整える
間
一瞬そのまま、彼らは互いを見つめる
それからベッドのボードから服をとり、椅子まで運び、全てを丁重にたたみそして椅子の背もたれにかける
ベッドに戻り、たらいから水を水差しにもどし、水差しとたらいを元の場所にもどし、同じように整える。水差しはたらいの中。
床からコートを取り上げ、ドアまで運び、洋服掛けにかける
ドアは開いたまま
ベッドサイド・テーブルのところに行って、背中をこちらに向けて立つ、彼女が何をするか、われらはむしろ見える通り予想するだけである。彼女はベッドサイド・テーブルの扉を開け、磨き上げられたグラス、コップ一杯の赤ワインを取り出し、ワインをグラスに注ぐ、コップをしまい、ベッドサイド・テーブルの扉を閉め、引出しをあけ、小箱から白い粉をワインに入れ、スプーンで混ぜ、小箱を引き出しにもどす、引出しをもどし、ワインを飲む
間
若者見つめている
マーリア これで品切れだわ。
向きをかえて、椅子のところに行き、椅子から手の平にガラスのかけらを掃く、もう片方の手で椅子の背もたれから服を座席におく
ベッドに戻り、若者の手をとり、ガラスのかけらを自身の手の平から若者の手の平にそそぐ
マーリア 私は嘘だと思ったの。
若者 僕が話したように。
間
一瞬彼らは互いを見つめる、それからマーリアは開けたドアを通って出ていく
彼女はゆっくりと白い空間を遠ざかっていく、その姿はゆっくり消えていく、遠ざかり下に沈んでいく、まず足だけが消えていく、それから胴体だけが見え、遠くなり、沈み、最後には頭だけが見える
このときオーケストラ・ボックスでチェンバロ奏者が立ち上がり出ていく
頭も遠くに見え、沈む
リュート奏者がぶざまに、意味もなく楽器をつまびき始める
チェリストも楽器の隣から立ち上がり、楽譜たての照明を消し、やがて彼も出て行く
リュート奏者が楽器をつまびく
幕がたいそうゆっくりと、もったいぶって降りる
覚書き
この戯曲の台詞からは直接の形では想像出来ないが、ブダペストの「新しい音楽スタジオ」の仕事、とりわけヴィドフスキー・ラースローの作曲活動が私の構想に強力な作用を及ぼした。私は戯曲の台詞の作業をしつつヴィドフスキー・ラースローにとって音楽上の材料の作成が勝手の違うものにならないようにと希望していた。台詞の完成後、最高に嬉しかったことに、彼は本当にこの課題を勝手の違うものとみなさずに音楽を作ってくれ、私に見せてくれた。私のもともとの構想は―導入部の著者の指示でも挙げたように―私はこの戯曲の半分だけを書き、もう半分は作曲家が独立して創らなくてはならない、というものだった。そしてヴィドフスキーにとってこの考えは少しも勝手の違うものではなかった、音楽の構造に関する私の構想を彼は、全然歯牙にかけなかったか、あるいは多くの点で独立したやり方でそれを避けたかのように実現した。多くの面の中で彼は私が構想した器楽編成を変更し、私が提案した音楽スタイルには関心を示さず、私が提案した音楽の演奏の数と場所をもある程度まで変更した。
ここで出版された台詞は、私の元の構想を映し出しているだけである。すなわちこれは戯曲の半分に過ぎない。悲劇「出会い」の完全で最終的な形は台詞と音楽から築かれたスコアで、ウィドフスキー・ラースローが作成した。
N. P.