第11章　つかの間の精神錯乱

　火曜　朝六時

　わが君、膝まずき、そしてわが魂を神に委ねます。装填した古いレンデル・ライフルがソファに横たわっています、足の指で引き金を引くとき、みっともない姿勢になることだけが残念です。わがお気に入りの昔の作家たちと自分自身の確信によれば、三オンスの火薬と百グラムの鉛が私の役に立ってくれるでしょう。私は旅立ちます、とはいえトスカでテノール歌手が感動的に歌っていたように、生きていたかったのですが。（俳優に二本の左足があったのは残念でした）アルマヴィーヴァ伯爵役のジャック・マンハイムをおぼえておいでですか？私たちは観客席で並んで座っていましたね、でもトスカはかつて観客席の片隅から一人で聞いたのです、そして決めました、いつか、もし神もそうお命じなら、悲しげな顔のチェロ奏者に私の耳に、私の心の中にこの歌を奏でさせようと〜サンタンジェル城の夜が明けようとしています〜そして朝には私は死ぬのです。私はカーテンをあけます、そして夜の休息で見捨てられたわが窓に（月は、おとぎ話の中の符号のように家の古い屋根の上にそびえています、でも誰一人その下で夜半「愛しています、愛しています、あなたに焦がれています、わが全てよ！」とため息をついたことはなく、そしてわがバルコニーはセヴィリアの小説のように無言でした）、日差しがはしゃぎながらラーコシ（ペスト側の東側郊外、現在の１７区）の方角からやって来て、下の方では、四階下では馬車が走っていて、人々が動きまわっています、私は多分早朝の旅のことを考えています、そのとき私は急行列車で北か南に向かい、一晩中鉄道の車両のガタンとぶつかっては離れるときの鎖のガチャガチャいう音が楽しませてくれたのです、病気から逃げだす上流紳士のやり方で私は寝台車の寝棚にもぐりこみました、それにもかかわらずわが車室の前を、心引く乱れ髪のルーマニア婦人が乳白色のペチコート姿で行ったのです・・・フランス語で彼女に話しかけ、ナバールの伯爵だと自己紹介し、小さな聖なる妹について話すべきだったのでしょう、彼女はアヴィニョンの女子修道院で修道女になる準備をしています、身分にふさわしい男を見つけることが出来なかったからです、わが先祖たちについて、すなわち気違いフィリップとセーチェニの盗賊の頭たちについて物語し、そしてびっこのバイロン卿に、それからオルレアンの家に触れ、そして秘密めいた山々を、魅惑的な平野を、ヘルナード川¹の奇妙な渓谷あるいは早朝の薄闇の中で赤くなりつつある製鉄所を示し、詩と恋で半ばきちがいとなり〜その美しいルーマニアの婦人を誘惑するべきだったのでしょう、一方彼女の方は寝台車のヘンリー四世風のヒゲの車掌を捜しています。私は狭いベッドで動くことなく、そしてただあなたを、未知の存在を、唯一の人を、わが心の女王のことをいつもいつも思っていたのです・・・別の女たちがやってきました、黄色い絹のドレスを着たユダヤ婦人たち、彼女たちの動作、目、特別な首、肉感的な鼻、赤い舌で甘くなった厚い唇と、恋を待ち受け、揺れ動き盛り上がる背で、誘惑するように若い詩人の前に登場するのです・・・わが君、これを書いたことが残念です。（望むらくは『太陽』紙が私のこの最後の手紙を掲載してくれんことを！）誰も私のもとには来てくれませんでした、これが真実です。ほとんど半ば死に瀕しながら私は素晴らしい女性たちを見てきました、彼女たちは通りで、カフェであるいは劇場で私のわきを通り過ぎていったのです。布袋腹の脂ぎった外見の男たちとともに彼女たちは先に進んで行きました、彼らは日中はアンドラーシ通り（ペスト側、都心からヴァーロシュリゲトまでのびる大通り）あるいは王通り（ペスト側の５区内で、いわばベルヴァーロシュを取り囲む同心円の外側にある一画）のいやな臭いのする店で奔走し、手紙を書いているか、あるいは一方で私が彼らの入っていった家の番地をムダに眺めていたりすると、彼らの方は貧しい労働者たちのための医者だったのです。時おり夜私は、目にした女性たちのせいで殺人を考えました。そんなとき私は最高に幸せでした。私はナイフを左目に、可能なところまで刺し込みました。ビストルの弾丸を両目の間に送りこみます。強行な態度で胃と鼻に狙いをつけます。あるいは見知らぬ女性たちの見知らぬ男たちとの剣による決闘になります。そんなときにも間違いなく子供時代の友達、ポーランドの公爵でダンスの師匠カズメール・Ａのことを考えました、彼はもっぱらあばら骨の間を切断し、腹へトラバースして一撃を与えることを、そして膝を、靭帯を切り離す技だけを若者たちに教えました。スマートなフルーレ（フェンシング用の剣）は、かつて一本の上等なタバコのように容易に私の手の中で動いたのです。そしてピストルの照準を敵の足に向けたものでした。殺人、死、誰かを殺すこと、場合によっては牢屋に行くこと、縛めをかけられ、ブローニングをたった一つの手の動きで使用可能にし、つかみ合いをし、鼻にかみつき、耳を引き抜き、歯の列を砕くこと、これらはかつて、世界の秩序のように私には思えたのです。私は凶暴になった馬たちを止めるのが、剣を帯びた隊長たちと空手で対峙することが好きでした、私の十本の強い指は多分雄牛だって窒息させたでしょうに、―そして今やあなたに書いています、わが君、トスカの歌声が荒々しい心にしみわたります、朝には死ぬと。

　私は全ての人を許します、わが君のことも。敬意をもって、深く頭を垂れ、血気にはやる感情から逃れて、落胆して鉛だけを信頼してあなたに告白します、愛しい淑女よ、これ以上愛することはできません。

　私はかつては小説の主人公でした、今や飽いた、不機嫌な、疲れた紳士になりました。私が抱いた女たちも多分いたかもしれません・・・いいえ、あなただけが、私がかつて愛した唯一の人でした。始めはあなたのために泣きました。マドモアゼルの前で自分の身の証をたてようとすることは妙です。ことの全てに何のかかわりがあるというのでしょう？

　朝です。太陽、生活、マドモアゼル、他の愚かなことの数々・・・私は後でオネーギンの詩を読みます。「バレー」か「春」を。さようなら、わが君！」

　ホルバート嬢は夕方その手紙を受け取った。彼女は馬車を拾い、レゼダ氏のもとに走らせた。新聞記者はこのときすでに救急隊に運ばれていた。武器は立派な傷を心臓の上にこしらえていた。彼は病院でまだ生きていた、老いた修道尼がベッドの傍らに座っていた、そして夜用についたてが準備されていた。