第二章　女優とその足

　古いヴァーロシュリゲト小劇場¹は木造だった、そしてフェルド・ジグモンド²は当時の彼の施設を劇場と呼びたがった。（石造りとなるのは１９０８年）彼の小屋の名前は小劇場だったが、夏の晩には窓が開け放たれ、近隣の人々はグループになって大きな木々の下で鳴り響く劇場の音楽に耳をすませた。

　ここは美しい世界だった。間違いなく我らの多くが感動と共にリゲトのアリーナを、我らの青春を、跡形もなく海に姿を消したあの沈んだ美しい島のことを考える。演劇の領域ではすでにサルドゥー、ドュマ、チキ・ゲルゲイ（１８４２〜９１ハンガリーの劇作家でリアルな社会劇、喜劇でハンガリー社会に衝撃を与えた）に忠誠を誓った反体制的な若き新聞記者たちは、夏の間はフェルドの小劇場あるいはその施設の付近での会合の約束をした。政治における教会の勢力を支持する新聞あるいは保守的な新聞で働く生真面目な若者は「塩毛のないジャーナリストのパン」を食べ、大方はブダへ行き³、そこのオペレッタ女声歌手のシンパになった。バールドシュ嬢のモスリンのスカートはゲレールトの丘のトンネルの向こうでは非常に強力な運動のきっかけとなり、一方ではずんぐりしたネーメト氏が、ブダの市民階級の娘さんたちに夢を見させるために、テノールを鳴らしていた。ドラマにおけるハドリク夫人は現代的な潮流を代表していて、おそらく太った「博士」が入ってきて翌日に救いの記事を書いてくれるようにと、美しい、悲しげな目を絶えず入り口に向けていた。暖かい、下ぶくれのほほのキューピッドのようなファーイ・フローラ嬢の貝の唇から流れ出る高笑いとばら色の快活さが素晴らしいタイツ姿で舞台に飛び出すと、ギムナジウムの若者は青ざめて第二幕と第三幕の間にホルヴァート庭園のかん木の中から現われるのだった。白髪のクレチャーニ（第1章の注３参照）はアン女王の時代の宮廷でシェークスピアを演じた昔のロンドンの某俳優のように荘厳に、上品なふるまいで、心を動かされて、ロビーで過ごした。かくて生真面目な若者たちはかつてはここで成長したのである、彼らは後に政治の場ではデアーク・フェレンツ⁴の主義を信奉し、新聞記事では経済欄と社会欄を好んで書き、弁護士の行路においては即決の法的手段、それに諸銀行を好み、都心のコーヒーハウスに通い、勢力を持つ人々の醜い娘たちのあとを追いかけた。

　一人二人は内閣に到達して、それ以後おそらく補欠事務員になっただろう、毎日上司がコートを着るのを手伝っていたのだから。

　だが親愛なる革命党に、赤いカーネーションをつけた騒がしいユダヤ人の少年たちに、長い髪の駆け出し新聞記者たちに話をもどそう、彼らは主義として彼らとは個人的に面識のなかった者全てをろくでなしと呼び、可哀想なチョンゴリ・マリに荒々しく拍手した、彼女が上品で悲しげな微笑みを顔に浮かべていたからである、そして彼女のガーターは、修道院育ちの少女たちのそれのように汚れない、白いリボンだったからである。支離滅裂で、コミカルなフランスのオペレッタとバーレスク、神経を痺れさすほどばかばかしいが陽気で、われわれの若き日を楽しませてくれたコメディーがベンチの列から喝采を博した。シクライ・C（シクライ・コルネール１８６９〜１９１９喜劇俳優で劇場支配人、１９０４年にはヴァーロシュリゲトに劇場を、同１６年にはキャバレーを開いている）は女装して踊り、女優たち、若い、ばら色のししっ鼻に微笑みを浮かべた小さな子羊たちは、理由があろうとなかろうと、舞台ではぴっちりしたパンティを好んで身につけた。中庭はたばこの煙とオレンジの香りがした。カメオのブローチのような顔のフェルド・イレーン（１８８３〜１９４４女優でフェルド・ジグモンドの娘、ノラは当たり役）は聖なる女祭司の大またの歩調で地方を急いでまわっていた。劇は今や遠くへ引っ越したし、雨季の始まる前に「人形の家」を演じることは出来なかった。アリーナの軒下には五月初めからカップルたちが腰をおろし、若き新聞記者氏たちが娘さんたちに冬には石の劇場との契約が出来るからと約束していた、彼女たちは昨日やっと門衛所の入り口の敷居をまたいだか、そこで水かあるいは花をほこりっぽい日曜の夜に売っていたリゲトの木々の下からやってきたかだった、そして多分そのとき初めて恋に落ちたのだ。編集者のバータセーキ（バータセーキ・ラヨシュ１８４４〜１９２１ジャーナリストで弁護士）の灰色のシルクハットは正確に夕方のたそがれに現れた、その木造劇場で「チャーリーのおばさん」（英の作家ブランドン・トーマスの笑劇）を五十回、「ゴールドシュタイン・サーミ」を六十回、「三本足の船長」を数え切れないほど見たことで有名だったからである。劇場の指導部は注目に値する好意をもってこの高名な友を迎えた、彼はたとえ喫煙もビールを一杯やるのも自由だったとしても、おそらく日中に客席を離れようとはしなかったろう。そしてそのことがこの機嫌のよい編集者がしばしばアリーナの演目の二、三幕めをすっぽかす口実にもなっていた、彼が秘められた苦悩、女性たち、長たらしいシャンパン付きの夕食に専念していたときも、劇場の支配人は今日までもまだ「灰色のシルクハットは公演に感動し、熱中していた」と信じているのである。女性詩人たちを代表して女性詩人のキラーイ・ギジが観劇に加わり、高貴な容貌の顔は「チャーリーのおばさん」を見ているときでも古典的な嘆きを表わしていた。

　若い新聞記者たちのグループはこの時期こういうことを楽しんでいたのである。編集部では季節の変化に従ってキュリー・クラーリ（１８７９〜１９３５一世を風靡したオペレッタ歌手で、フェダーク・シャリが出現するまでは民衆劇場のプリマドンナだった）か移り気な夏の夜の地方の女性歌手たちを崇拝したものである。大学に入学するとき、オックスフォードの学生は色のついたリボンをふち無し帽に縫い付けた、それが生まれや地位を表すのである。そしてペストの新聞記者は、その新聞で素晴らしいクラーリの側かあるいは反対側かという審判を下すときに試験に及第するのである。彼は記章をもらい、ベールディ博士（ベールディ・イゾル１８６７〜１９２６ジャーナリスト、１８９３年から死ぬまで『ペスト新聞』演劇及び音楽欄の主任だった）は民衆劇場⁵の湧きかえる夜に満足しつつ彼の軍勢を数えることが出来た。大軍だった。ブダの王城をさえ占領出来たかもしれない。

もしヘジ・アランカ嬢（１８６５〜１９０６ジプシー音楽家出身のオペレッタ歌手、ペストの民衆劇場の主力メンバーだった）のトリルを心にとめる軍勢がより少数派だったとしても、彼らは神聖なる熱中ぶりで奉仕した。親衛隊のリーダーは快男児アーガイ・ベーラだった。彼はなんとあれ以後、おそらくは劇場に来ることさえなかった！ああ、花輪は、雨はそして戦闘はどこへ行ってしまったのだろう？神聖なる崇拝、信仰、宗旨よ！インドではブッダが非常に尊敬されているが、キュリはさらに崇拝されているのである。彼女が舞台に上がる、そして新たな魔力をもったその微笑は、暖かい血の流れのように客席の古ぼけた椅子の間をかけ抜けていった。

　その冬に夏がとって代わり、Ｋ.Ｋ（キュリ・クラーリ）にリゲトとブダ側のひばりたちがとって代わった。人々が避暑に出かけてしまう夏は多くを滅ぼし、民衆劇場のファン結社のかなりを滅ぼした、「サタネロ」（作家で演劇ジャーナリスト、マールクシュ・ヨージェフ１８５４〜１９１１のペンネーム、小説以外にも多くのオペレッタの台詞も書いている）でさえ河岸を変えた、とはいえ彼はすでに民衆劇場にオペレッタを書こうと心を決めていたのであるが。ブローディ・シャーンドル（１８６３〜１９２４ハンガリー自然主義文学の代表的劇作家、詩人、小説家）のつじ馬車はしばしば「政談屋」（デンマークの劇作家ホルベアの喜劇）の前でとまった、テメシュヴァールの一座の淑女たちは断固として甘美なクラレットカップを飲んだし、国立劇場には誰も出ていなかった。「金髪の奇蹟」（マールクシュ・エミーリア１８６０〜１９４９当時の国立劇場の代表的女優）とて。（夏だった、恋だった、真の詩人は「リップ・ヴァン・ウィンクル」を聴きにブダの小劇場に通った、そして公演の後は半ば酔ったように頭の周りでリスベスのワルツがまわっていたのである。そしてあのアカシアの木々のなんと良いにおいがしたことか？小さな路地は暗かった・・・ロゴディ通り（ブダの王城の東側を走る通り）では誰かが夜半にある暗い窓の奥でマンドリンをかき鳴らしていた。ブダの女優たちをこの窓の下に導き、この場所で彼女らに、つまりは彼女たちがすでに知っていることを言うことが流行だった。大胆不敵なベオッシ・ラースロー（１８７３〜１９３１劇場支配人、幾つもの劇場の支配人を歴任し、その組織的手腕と卓抜なセンスを高く評価された。数多くの劇作品とオペレッタの台詞も手がけている）は、劇場の消火係が禁欲的な修道士の平静をもってスプリンクラーの栓に手を置いていた楽屋間ではまだ単なるファン（だが恐るべき編集者）にすぎなかった。ハンガリーのピュリツァー、ミクローシュ・アンドル（１８８０〜１９３３ジャーナリストで「夕刊」紙のオーナーだった）はアルマンドの名前で叙情的な詩を書き、厳しい批評家たちはこの若き竪琴弾きの将来を予言していた。一体彼はあれ以来詩を書いたのであろうか？

　さてまだ若い、無名の新聞記者の諸君！女優の恋人なしには本当に誰も新聞にとっては真面目で、大した働き手にはなり得なかったのか。それは伝染病だったのか？流行か？今日駆け出し記者が英文法を入れている机の引出しの中には、女優たちのポートレートが横たわっていた。この世代はまだルポルタージュよりも劇場の陰謀に良く通じていた。コンティ（コンティ・ヨージェフ１８５２　　〜１９０５指揮者で作曲家）のオペレッタを最初のタクトから最後までハミングする方が、インタビューよりももっと簡単だった。この時期においてはまるで純粋なユートピアにすぎなかったかもしれないが、すでに女優たちに熱狂しない世代が境界線に立っていて、しかし彼らの旅行かばんにはケンブリッジとオクスフォードで学んだもの、ソルボンヌの卒業資格と詩人たちの素晴らしい才能が全て入っていたのである。華やかで、若い新聞記者たちが最高の才能の情熱を発揮して、突然ブダペストで世界の最高の新聞を書き始めたのである、Ｋ．Ｐ．たち、ケメーニ・シモン（１８８２〜１９４５ジャーナリストで作家、詩人）たち、ラカトシュたち、ラーザール・ミクローシュたちが。我々の時代は女優のたそがれと名付けられるかもしれない。私の知る限り昨今女優のためにフォドル（フォドル・カーロイ１８５６〜１９２７フェンシングの名手でジャーナリスト、１８９６年ブダペストで最初のフェンシング・スクールを開校）のところで決闘する習慣はない。この優れた師範のフェンシング・スクールで誰一人フェダーク（フェダーク・シャーリ１８７９〜１９５５、オペレッタ俳優、キューリ・クラーラ以後人気を独占した）の名を唇に乗せて死ぬものはない。剣は休息し、ペンが働いている。最も若い世代はフォドル夫人アランカ（国立歌劇場のアルト歌手のフォドル・アランカか？１８８５〜１９３１）の代りに、行きたい研究旅行先として日本の夢を見ている（これは公正なことではないが）。

　五月だった、正座員および準座員はすでにリゲトの古いポプラの木々の下で（非公式の）婚礼を挙げた、バスドラムの連打がシュテファニア通り（ヴァーロシュリゲトに接するアイテーシュ・ドュレル通りから出ている小路の一つ）までも聞こえた、そこでは恋人たちが互いの唇から五月の香りを吸い込んでいた、劇場では照明が美しく輝き、シーズンは早くに始まった、春は若く可愛い花売り娘のように小劇場の付近を徘徊し、夜の公演のための女優たちの柳籠は、すでに騎士道精神を発揮したリゲトのごろつきたちが彼女たちの住いから劇場の楽屋まで運んでいた。チョンゴリ嬢の小間使いに三人の気まぐれなやつが言い寄っていた。今にわかるだろう、これでもっと問題が起こるぞ。若者たちは怒り狂った目で互いの手から衣装籠をひったくっていた。一方では向かい側の桟敷で名高いアドニスが、その美しい馬たちと素敵な馬車で知られた騎士が舞台上の戦場に双眼鏡を固定させている間、第一桟敷にはしばしば銀色の頭の老貴族が現れ、戯曲を賛美した。新聞記者たちはすでに席につき、中央の列あたりでは、この夜公演に参加していない女優さんたちに陰険な笑いが湧きわがった。かつらを被った指揮者はオーケストラと共に幕間の音楽（「ガスパローネ」（オーストリアの作曲家ミレッカーのオペレッタ）から演奏した）を終わらせるがはやいか舞台に背を向け、コントラバス奏者は内緒でビールを一気飲みし、ある金髪の、眼鏡をかけた若い音楽家は一通のしわくちゃな手紙をすでに三度読んだところだった。一体誰がその手紙を出したのか？中に書かれていたのは喜びの言葉だったのか不幸の言葉だったのか？

　派手な服装のウルバノヴィッチ夫人は、胸一杯になって桟敷から身を乗り出した、シルヴィアはため息をついた「ああ、私もそろそろここで出演できていたら、でもチョンゴリがどの役も独占してしまっているわ」、その間ホルヴァート嬢は単に練習から桟敷の後ろに立っている消火係りに、悲しげで内気そうなあるいは芝居がかったまなざしを投げ、消火係りが片足から重心をもう片方へ移すと、非常に満足した。

　「何よりもまず第四幕を聞きたいわね」とウルバノヴィッチ夫人がオレンジを剥きながら言った「要塞からの突撃があって、「神よ！」と三度叫ぶ場面よ」

　ホルバート嬢は共感してうなずいた

　「私にもフェルドじいさん何を考えているのかさっぱりわからないわ、どうして他の幕まで上演させたのかしら？突撃とギリシア花火を四度繰り返すべきなのに」

　桟敷の一番前には、パラパラとなる赤いプログラム、乙女の小さな胸にも似たオレンジ、可愛いコップにさした色とりどりの花束で飾られた菓子の箱、まるで女の腕の内側の部分から切り取ったかのような良い臭いのする白い手袋、女のために死んだ男たちの葬儀で揺れる馬の羽飾りのような、コウノトリの羽の扇、あらゆる種類の香水、くしけずられ、粉をふりかけられた女物のかつら、夜の照明で上気したようにみえる女の顔、輝く目と新鮮な白のブラウスが集合していた、一人の背の高い、茶色い髪の、ヘーゼルナッツ色の目、口ひげを刈り込んだ青白い顔の若者が黒い服で歩調正しく歩いてきた。彼は帽子を手に抱え、クラーラに向かって礼儀正しく会釈した。

　クラーラはしかし現在他のことに気をとられていて、この挨拶に気づかなかった、この劇場のドラマ女優が舞台の上で活動していたからである。

　「私、このウイヘイのことは知ってるわ」彼女は、女優たちが演技中の女友達を客席で批評するときやるように、舞台から目をそらすことなく静かに言った、それにそんなとき彼女たちの口はほとんど目につかないほどしか動かないものなのだ。「彼女は決して自分の役柄がわかっていなかったし、もちろん今だって全然わかっちゃいないわ、だってひっきりなしに男たちばかり気にしてるからよ。ドラマ俳優の中では一番可愛らしい女優よ。学校時代からもうひっきりなしに年寄りの先生たちと笑い声をあげてたわ。ウイハージ（ウイハージ・エデ１８４４〜１９１５性格喜劇俳優）の手にキスしたし、ガール（ガール・ジュラ１８６５　　　　〜１９４５俳優）のことはほとんど食いつかんばかりに見つめていたわ、ガールは彼女のことがあまり好きじゃなかったんだけどね、だって充分に才能があるとは思っていなかったからよ。ヤーサイ（ヤーサイ・マリ１８５０〜１９２６古典悲劇のヒロインを得意とした名女優）は一度彼女に言ったわ、「お嬢さん、そんな風に演じるのはメイドだけよ、職業紹介所に行きなさい」って。でも、それは何の役にも立たなかったわ。彼女商業学校からアカデミーに来たのよ。あの娘たちはもう商業であつかましくなってたのよ。速記が出来るし、男への手紙は速記で書くし。愛しています、愛しています、それを全員に書いたのよ、そしてその速記の印はアカデミーの男全員が知ってたわ。彼女は清潔な下着が好きじゃないんだと、言われていたわ。今だって、あのお嬢さんのレースのソックスは怪しいわ、ヤーサイの真似をしてもムダよ」

　クラーラはこれら全てを、まるで自分自身と議論しているかのように非常に素早く言ってのけた。やがて彼女はこの劇場周知のほのめかしの途中で、再び挨拶している騎士に気づいた、そして活発に挨拶を返した。

　「あれは誰？」彼女の注意からは何一つ逃れることの出来ないウルバノヴィッチ夫人が言った。

　「編集者のレゼダよ」クラーラが答えた、そしてそのメランコリックな男と大きな目混ぜを交わした、彼の表情と髪型は斜めにかしいでいた、まるでいつか秋の夜の最初の暖炉の火の前で思いにふけったかのように、過ぎ去った恋の証拠を、手紙を、巻き毛を、小さな服のフリルを、場合によってはガーターを焼いたかのように、そしてその表情は燃え始めた女の手紙の跡を見つめていたときの当時と同じ状況のままだった、「彼、ペストで何をしてるのかしら？」と娘役女優は自分の白い手袋との意見交換を付け加えた。

　「私が興味あるのはね」ウルバノヴィッチ夫人は鋭い声を響かせた。「どうしてあんたが、お知り合いを私らに紹介してくれないかだね？あんたが知ってる人なら、私らだって知ってていいはずだよ」

　クラーラは砂色の眼差しを上げ、その顔には、よろい戸を開けたとき窓に日光が差し込むように、生き生きとした微笑が走り抜けた。「レゼダさんはデブレツェン（ハンガリー東部のルーマニア国境の近くにある大都市、３つの大学のある学園都市として知られる）で新聞記者をしていて、私のファンだったの。そのことには何もびっくりするようなところはないわ」

　しかし彼女はすでにその目で、過去の幻想にふけり、昨日の春の雲の跡を注視する男にうなずいてみせた、彼はただちに自分の席から立ち上がり、大またな恥ずかしそうな歩調でゆっくりと桟敷に進んできた、まるで普通の背丈の人間よりも頭半分分だけ高く育ってしまったためしょっちゅう顔を赤らめているかのように、そして大またで歩いた、ダンス学校では６０センチ以上の歩幅で歩いてはいけないことは知っていたのであるが。

　ドラヴァ河畔の未亡人は、習慣通り紹介された男のチョッキのボタンに目を走らせながら、編集者の手を非常に強く揺さぶった。

　「レゼダ（バッファロー・スグリ、装飾用低木）というのは」彼は言った、「ある臭いのきつい花なんです。田舎の娘たちの花です。娘時代に物思いにふけったときに、私の小さな庭にもレゼダとゼラニウムがありました。」

　「才能ある詩人なのよ！」目をキラリと光らせたクラーラが言った。

　シルヴィアは横からレゼダ氏を見つめていた。まるで彼の髪のすじか歯を数えたいと望んでいたかのようだった。奇妙な小さな鼻がひっそりと赤くなり、彼女は何か普通でない出来事の経過に注目しているかのように、夢うつつに夢の続きを待ち受けているかのように、そっと呼吸した。

　「レゼダさんは私のこともいつも誉めて下さったわ。「リップ」で私のことを、私の声は、黄金の小麦が繁っているバーナート地方（ハンガリー南東部、ティサ川、マロシュ川、ドナウ川に囲まれた地域、現在はルーマニアとセルヴィア・モンテネグロ領）の領地だって書いてくれたのよ」シルヴィアはそっと、言葉をはっきりと区切って話し始めた、あたかも自身もそのことの重要性を感じているかのようだった。「そしてデブレツェンでは、決して私に紹介してもらおうとはしなかったのよ。どうして？」

　「えっ！」新聞記者は言った。「何のために？あなたの声は弦のゆるんだバイオリンの音色みたいだったんですよ。たくさんの余計な会話のせいでもう完全に疲れてしまったみたいでしたよ。声をかける必要はありませんでした。誰に、何のために？です？行動は言葉に優る、ですよ」

　そしてこの間彼は子供っぽくやわらかい眼差しを〜その中では何よりも、小川が矮小な柳の木々、見捨てられた小さな橋と孤独な庭々の下を通って町から外へ流れ出るとき、さらさらとなっている、とある十月の夕暮れの光景がおののいていた〜シルヴィアの優しく盛り上がる胸から首まで上げた、上品な、突き出た下顎から高貴な昔のイギリスのレディたちの首に似た首からは、彼女がどれほどに関心を持っているかが見てとれた。

　「何のために？」シルヴィアが言った、そしてその声には驚きの念が響いていた。「いつも昔の女優たちとの比較にふけるのはやめてもらうためですわ・・・あなたのお作は覚えていますわ、その中であなたは「未成年」についてサルカイ夫人以降誰にも出来なかったと書いてらしたわ。町中と地方全体がマルゴー・ザルマにすっかり熱狂していたときには、「こうもり」におけるティサ夫人、エリンゲル・イロンカを追い抜くのは不可能。あなた、私はあなたのお書きになったものは全て知ってますのよ」

　「お嬢さん」レゼダは復活の夜の聖廟の見張りの兵士たちのように感傷的に答えた。ひどくシニカルに、それどころか嘲弄的になりたかったからである、オペレッタのミューズが最後に地方を訪れたのは、丸々とした女性歌手たちが白いズボンを恥ずかしがってはいなかったときのことだった。女優たちが髪に髪粉をふりかけるのが流行だったときのことだった、黒い靴下、エナメル皮の短靴と夜に自分自身の手で雪のように白く洗った白いペチコート、すなわちこれが地方の女優たちに求められた平均的なエレガンスであった。ああ、ティサイ夫人は長い夏の終わりの草で丸型に編まれた小鳥の巣のようだった。

　そしてこのときレゼダ氏はもう完全に目を上げた、そしてす早い、探るような注視をシルヴィアのつゆに濡れた目に投げた、それは率直なメランコリーをこめて、あたかも永遠にこう言っていたかのようにだった「なんと私は不幸なの、私のことを誰も愛さない、あなただって、そうでしょう？」

　編集者はシッという音をたてた。

　「それは私がドン・キホーテだったからです・・・プルルン、プルルン」

　彼は唇で音を響かせた、これに対してクラーラはハンカチで彼の肩を打った。

　「なんていやらしいことするの？」彼女は大叔母さんの厳しさでたずねた。

　「失礼、淑女がたはもうペストの最新流行をご存知だと思ったものですから。プルルン、プルルン。すみません。プルルン、プルルン」

　そうレゼダ氏は言って秘かに微笑んだ、まるで淑女たちがこの瞬間自分をいかにどん百姓だと思ったことかと秘かに笑ったかのようだった、とはいえ・・・。彼が、たまたま彼女の意見にも興味があったとでもいうかのように偶然目をファーチョル・シルヴィアに転じると、歌手は根気強い、頑なな悲しさでじっと見つめていた、あたかも一枚の絵を、それが動き出すまで見つめていたいとでもいうように。

　「プルルン」レゼダはしおれて言った。「朝には私はどっちみち立派な死者になっています、なぜなら立派な死者になれるように何かするからです。お嬢さん、私の葬儀に来てくれますか？」と言わんばかりに。

　「ねえ、あなた、どうしてこんなところにいらしたの？」今や高慢な声でクラーラが言った、彼女がしなくてはならないことは男にただ合図することだけで、それで男はドナウの真中に身をおどらせるであろうとわかっているかのように。

　レゼダ氏は実際すっかり感動して赤茶の髪の娘の方に向き直った、まるで非常に優しく、非常に親切な、小さな不幸の思い出に、すなわち一個のレボルバーの弾丸か一枚の女性の肖像画に触れるかのように。

　「私はペストに住んでいるのです」

　「あら、それじゃもう編集者じゃないの？」

　「ペストでご免を蒙って、編集させていただいてます。３つの週間紙も所有しています」

　「素晴らしいわ」シルヴィアが口を出した。「新聞王だわ」

　「伯爵にすぎませんよ、姫君」レゼダ氏はあやふやな敬意をこめて答えた。

　「で、その新聞は何ていうの？」シルヴィアが続けた。

　レゼダはヨーロッパで最高のジョークを言おうとしているかのように、ウィンクした。

　「一つは『良きワイン商』といいます」

　シルヴィアは両手を打ち合わせた。

　「信じられない！」

　レゼダ氏は今やもう片方の目もウィンクした。

　「もう一つの名は『キリスト教徒の新聞』といいます。そして三つめは・・・

　編集者は今や、自分自身もジョークの弾丸の破壊を恐れているかのように両方の目を閉じた。

　「三つめは『照明』です」

　ホルボート嬢はレゼダ氏をもっとよく知っていた、そしてかくうなずかざるを得なかった。

　「もちろん、街灯夫の官報でしょうね？」

　「とんでもない。私の新聞は革命紙です、最初の一言から最後の一言まで私が書くのです」編集者はこっそり笑いながら答えた。「世界で一番陽気な新聞です、自殺志願者しか読まないのです。新聞のモットーは「死ぬは、生きるに優る」です。おかしいでしょう？」

　ウルバノヴィッチ夫人が振り向いた。

　「あなたたち、もっと静かに楽しみなさい。舞台の方からもうこちらを見てるわよ。」

　「私たちは桟敷席に支払ったのよ、フェルドは、女優たちの特典通り割引してくれたってよかったはずよ」ホルバート嬢は傷ついて、すばやく答えた。「全然あの牝牛が役を演じる邪魔になんかならないわ、だって彼女役を演じることなんて出来ないんですもの」

　しかし二、三分の間だけ桟敷は静かになった。レゼダ氏は自己陶酔の微笑を浮かべた、まるで自分がいかに愉快な人間かを笑ったかのようだった、明日かあさってには確実に首を吊るであろうから・・・

　「照明！」クラーラが上の空で言った。「女優たちについても書いてらっしゃるの？」

　「もちろん。わが誌は女優さんたちのお気に入りです」

　「おやまあ！それじゃやっぱり私たちは地方の新聞記者の原則を忘れるべきではなかったのね？プレスのちょっとした親切なウソは、一番美しい花束よりも多くのことを成し遂げる。首都の劇場の背景の裏でもあなたは得意になってるのね、編集者さん！」

　レゼダ氏は、まるですでに半ば死体でもあるかのように、そしてドナウの中央の黒い魚の群れの中で泳いでいるかのように、妙な笑い方をした。魚は、彼がぐにゃぐにゃになってしまわないうちはついてきてくれるのである。

　「ですが」彼は始めた、そして額で曲がりくねっている巻き毛を直した。「ですが、私は自分が人気のおかげで演劇の森林でどんちゃん騒ぎをするだろう、とは思えません。あるいは動めいたり、すなわちころげまわったりするとは」

　「レゼダ、あなたは田舎では真面目で、穏やかで、悲しげで夢見る若者だったわ。詩人のような浄化された顔で劇場に座っていたわ」

　「あなたが劇に出ていたときはね」

　「フロック・コートを着てらしたわ」

　「地方ではそうやって編集の仕事をするものなんですよ」

　「午前中は遊歩道で劇場の出来事を市長と話していらしたわ」

　「あなたが「人形の家」でどんなに素晴らしかったかを話していたんですよ」

　「頬ひげまで生やしてらしたわ」

　「ああ！」今やいきなりシルヴィアがため息をついた、そして急いで舞台に見入った。

　「それじゃ『照明」誌では女優たちについて何を書いてらっしゃるの？」クラーラがたずねた。

　「舞台で大役を演ずる健気で、尊敬に値する淑女についてです、わが誌の最新号では私は勇気を出して、彼女の口はどんな臭いがするかを書きました」

　「まあ、素晴らしい。ということはリボルバーになったのね？」

　「アナキスト、ダイナマイト狂ですよ、なんとでもお好きなように。私のもぐりの小雑誌では女優たちの恋人たち、パトロンたち、月の経過を注目して追い、大洋を行き来する黒い船乗りが常世の国に連れ去った子供たちにクリスチャン・ネームとファミリー・ネームを与えるのです、その子たちにはその権利があったのに、今人生を送っている場所では、この世のならわしを味わってみるチャンスはなかったのです」

　ホルバート嬢は頭を振った。

　「あなたが詩作を放棄したのは残念だわ。あなたのミューズは間違いなく清潔な下着を着てはいないわね」

　「私のミューズは、マドモワゼル、可哀想に裸足で歩き、ムギワラ菊で花輪を編むのです、彼女の持病は放火癖です」

　公演の終わりだった、ここかしこで拍手がなり、ロビーのドアを背広を着た門番が開け放った。

　淑女たちは持ち物をかき集めた。レゼダ氏がシルヴィアに白鳥の劇場用マントを着せかけている間〜そういうのは地方の女優たちか本物の公爵夫人たちしか着ないのであるが、〜クラーラはウルバノヴィッチ夫人を手伝った。シルヴィアは小さな手で（それは花嫁の枕のように暖かかった）、マントの下で新聞記者の手を握った。

　「『照明』を私に送ってくださいな」彼女はまるで非常に大きな秘密を打ち明けるかのようにささやき声で言った。

　それから声高にたずねた。

　「私たちと一緒にいらっしゃる？」

　「私たちは「白い船」亭に夕食に行くの。そうでしょ、あなたたちそのことをキュルトシュに知らせた？」ウルバノヴィッチ夫人が口を出した、彼女の顔には心からの感動が反映されていて、公演が終わったときは、まるで恋人の葬儀からやって来たかのようだった。

　小劇場の前で一人の灰色のシルクハットの紳士が立っていた。灰色のレディンゴート（

長い男性用のオーバーコート）には新鮮な花をさし、顔には輝くような微笑が浮かんでいた、すなわち夕食の相手を勧誘していたのである。

　「まともな人なら「ヴァドケルティ」で夕食をとりますよ」彼は大きな声で言った、このシーズンには人々は「劇場」からヴァドケルティに行っていたからである。

　「残念ね、もう「白い船」亭に予約を入れてしまったの」ウルバノヴィッチ夫人は、半ば灰色のシルクハットの紳士に知らせるように、許しを乞うように言った、劇場の方面においてキュルトシュと姪のために幾分かの義務を感じたからである。

　目を輝かせていた若者は、年配の淑女の言葉を理解出来ないように肩をすくめた。この瞬間二人の小さな女優が薄暗がりの中に姿を現した、夕食抜きで、どんよりしたまなざしで家に向かってぶらぶら歩く、空腹なすずめのように。

　「あなたたちは私のお客人だ」突然夕刻の虹が叫んだ。「私のトルコのおみくじを引き当てたね」

　レゼダ氏は馬車まで淑女たちに付き添った。

　「あのすばらしい伯爵はどなた？」何事にも関心を持つウルバノヴィッチ夫人がたずねた。（彼女は首都での時間を無駄にしたくなかったのである）

　「伯爵ではありませんが、ほとんどそんなものです。彼はバーッタ氏です、小さな女優たちのパトロンです」ある種の尊敬をこめてレゼダ氏は言った。「毎日フランス製のシャンパンを飲むんですよ」

　「ねえ待っているのよ、編集者さん！」馬車からクラーラが陽気に叫んだ、流行のつじ馬車だったら四人は入れなかったかもしれないので。

　ウルバノヴィッチ夫人は女王のように愛想よくうなずき、座席によりかかった。

　音楽が美しく響きわたり、ニール地方（ドナウ川の東側にあるハンガリー大平原の北東部地域、現在のサボルチュ・サトマール県）のジプシーが演奏していた、そして壁の鏡がきらめいていた。一台の古いシャンデリアではガスの炎がゆらめき、赤い敷物が床に敷き詰められていた。

　「カポシュヴァールにはもっと美しいレストランがあるわ。「雄鹿亭」よ」ウルバノヴィッチ夫人は軽蔑するような声で言った。「ちょっと、ご主人！」

　俳優のキュルトシュはすぐに到着した、顔からメイクを落としただけだった。おとなしい、茶色い髪の、かなり厚かましい目つきの若者だった、彼には「神よ」と叫ぶ以外この世で何も出来なかった。

　編集者もやってきた、俳優に知らんぷりをし、あらゆるやり方で彼の同席を無視していることをほのめかそうとした。俳優は最初は真っ赤になったが、やがて背景に押しやられてしまうことにそれ以上とりあわず、大叔母を楽しませることに全霊を捧げた。

　「覚えてらっしゃいますか、奥様、ダンチュハージを？性格俳優のダンチュハージですよ？」

　「覚えてないわよ」何よりもまずたっぷり食べることが好きなウルバノヴィッチ夫人が答えた。

　「頭がおかしくなったんですよ。その前は誰とも話そうとしなかったのです。頭がおかしくなったのです。すごいでしょう？」

　大叔母はお気に入りに対する好意にふさわしくうなずいてみせようとした、そうして二つの焼肉の間の休止でパンのかけらをかき集めた。

　「残念ね」彼女はため息をついて言った「ハンガリー風の衣装が流行らなくなってしまって。花模様のズリーニ（袖にスリットの入った、飾りひも付きの上着）でテーブルについたら、男どももどれほど違ってみえることか！」

　編集者は無言で女優たちの隣に座った。シルヴィアは何かしら悲しいことを考えているらしかった、クラーラは叔母と競争した、レゼダ氏はワイングラスを前に置かれると、いつもまじめになった。無言で、辛抱強く、どっさりと飲んだ。ワインを儀式ばって口に運び、その後色彩と香りをあらためた。硬水は女性名のものしかワインに混ぜなかった、「マルギット」と「イロナ」が長年彼のひいきだった。とはいえ彼はまだ三十歳になってもいなかったのであるが。

　「ハンガリーで一番美しい足は誰のか、ご存知？」クラーラが不意に無言の編集者にたずねた。

　「あなたの」

　「とんでもない！シルヴィアよ」

　レゼダ氏はテーブル・クロスをまくり上げた。

　「拝見しましょう」彼は言った。「芸術家さん、スカートを上げて下さい。いずれ『照明』誌に書きます」

　シルヴィアは従った。

　絹のストッキングがセンセーショナルな恋の一念で張り付いている上品なくるぶし、リボン飾りのついた小さなエナメル靴は、事実注目する値打ちがあった。最低限の専門知識しかないとしても、足は常にそれ自体が雄弁に自らを語るのである。

　興味をもってレゼダ氏の言葉を待つ間、シルヴィアの鼻はバラ色になった。

　「可愛らしい」編集者は言った「とりわけ足首の上の、途中で足が急にカーブし始めるあたりが特に美しいですね。人間とても信じられないでしょうね！これによるとマドモワゼルはふっくらした淑女ですな」

　「ねえ」クラーラが口をはさんだ「痛快なことを言う権利があるのはおばさまだけなのよ」

　「残念ですが、私も言ってみただけなんです」だんだん陽気になってきた編集者が答えた。「実際のところまだ一人の女優さんの窓枠に飛び乗ったこともないからです、よく噛む犬を買っている地方でも、それが習慣でしょう？」

　「私たちその習慣は知りませんわ、あなた」幾分かの自尊心をもってシルヴィアが言った。

　「私の大胆不敵を許して下さい！・・・はるか昔、ナポレオンの遠征以前だって、地方紙を代表していたときは、劇場のニュースを知っておくことは避けられなかったのです。夏の、しかし冬の時期だって一座の女性座員にセレナードなしで夜があけたことはなかったのです。窓の錠をゆるめておくことは本当は大した難儀ではなかったのです、ジプシーが外へブラブラ出かけ、死んだ仲間か何かのようにコントラバスをかついで、袋に隠されたバイオリンはいつも、持ち主たちが酔った頭でも決して彼らをなくさないこと、それから自分で家に帰り着くことに驚いたのですよ。実際、窓を押し開けるチャンスなのです！明け方の夢はアカシアの木の間で湿っぽく、春の水の灰色と共に徘徊し、そして部屋の中では猫城嬢か犬小屋嬢のベッドの上で香水と夜の香りがゆらめく。「あなたなの？ヘンリック」疲れた質問が響く。「違う、ピシュタだ！」ああ！そんなとき私は編集者のレゼダだとは決して言えなかったものです」

　「延期は中止にあらず」クラーラが言った。

「わが君、けしかけないで下さい。デブレツェンとヴァーラド（ナジヴァーラド、現在はルーマニアのオラデア）では、あなたゆえにまさにたっぷりドンキホーテみたいな振る舞いをしてしまったのです。私がコーヒーハウスのドアを開けると、人々はこんな風に挨拶しました。「われわれも知ってます、ホルバート嬢はヨーロッパ最高の娘役だ」菓子屋ではお嬢さんたちがバニラ・リキュールをふるまってくれました、それ以前は男らしいパーリンカを私のグラスについでくれていたのにですよ。「私たちもう知ってますのよ」としぶい微笑みを浮かべて、というのも彼女らは日参する訪問者に、どれかの家付き娘さんのために市民公園で首を吊ることしか期待していなかったからです。ショーウインドー、店の看板、うろつく犬たち、すでにみんな「知って」いました。私は森に避難しました。最高齢の柳の木が腰を曲げて、私の耳にささやきました。「知ってますよ、ホルバート嬢は・・・」夜に懐中時計はこれしか鳴らしませんでした。私はピストルの撃鉄を起こしました。もちろんそいつももう知っていました。これほど忠実な取り巻きをあなたは決して得られませんよ、ミレィディ。」

　「願わくは､ペストでも見放したくないと思って下さるといいのですけど、閣下」強調したアクセントでクラーラが言った、灰色の目で深く、刺すように、それからうやうやしくレゼダ氏を見つめた。

　「それはまだ謎です。私はレイテーイ（謎）、レイテーイ・サム博士です。王女さま、私ではなく他の人次第であることを、おききにならないで下さい。たとえば毎日の何か小さな贈り物を約束して下さい、ギャンブラーのアルヴィンツがモンモラシー・クラレンスに約束したように」

　ウルバノヴィッチ夫人は、たとえその目を俳優の魅了する眼差しから振りほどくのに少なからぬ労力を要したとはいえ、注意を向けた。（「この芸術家は首飾りを魅了しているんだな」とレゼダ氏は思った）

　「緋色の郵便馬車の持ち主ね？」ホルバートの貴婦人はたずねた。ほんと興味深い、優れた男性だわ」彼女は丁重な賞賛をつけ加えた、まるで、早朝アルヴィンツのドアをドンドン叩いて、ウルバノヴィッチ夫人の意見を話す者がこの集まりの中にいるかのように。

　「実際、アルヴィンツィはとても興味深い人物です！」レゼダ氏は答えた。「大いなる破壊者です、心を踏みにじる者です」

　俳優は幾分かの嫉妬を抱いて、額にしわを寄せ彼の貴婦人のこの突然の関心を眺めた。彼は皮肉にレゼダ氏の方に頭を傾けた。　　　　

　「君もですか、お仲間？」彼はそっとたずねた、あたかも編集者を何かしら恥ずべき行為の現場で捕まえたかのように。彼は唇を軽蔑するようにゆがめ、どこか別の集まりを捜しているかのようにあたりを見回した。

　レゼダは、俳優のカールさせた巻き毛を一瞥する程度の仕返ししかしなかった。「神よ！」と彼は自身の内で三度考えた。

　「ききましょう、ききましょう！」叔母は叫んで、テーブルに胸を押し付けた。

　「この老いぼれブタは」レゼダ氏はクラーラ嬢にそっと言った「私も彼女に夕食代を払ってもらうためにここにいるんだ、と思っているんですね」

　「ずっと前から私アルヴィンツと知り合いになりたかったのよ！」ウルバノヴィッチ夫人は非常に強調して言った、少なくとも毎日この高名な氏と朝の馬の散歩で出会っているかのように。「偉大な個性だわ。私は彼の他の女の知り合いとちがって、彼のお金にありつくことはないでしょう」

　「この五百才の老いぼれ魔女め、赤いぼろペチコートめ！」レゼダ氏はうなった。

　とうとうクラーラはこの夢見る眼差しを叱責した、それは森や丘のある地方での早春の黄昏のようだった、そこでは平地に広がる草地で弱い霧が、平野の夢であるかのように流れているのである。

　「レゼダ、意地悪しないで。アルヴィンツのことを話して下さい！」

　「わかりました、役者さんが席を移動してくれるなら。その若い人が、私が彼に向けて話しているんだと思うといやですからね」

　クラーラは即刻ことの手配をした。

　「キュルトシュ、奥様の左側に座って！」

　「なぜです？」キュルトシュは嘲笑しながら言った。「おそらく座る順は身分によるんでしょうね？」

　編集者はごくごくと飲んだりせずに、一気に円形のガラスのグラスを空けた。

　「ほら、これだって地方で習ったのですよ。ペストではこんな飲み方は出来ないでしょう」彼はつぶやき、ホルバート嬢に悲しそうな目をとめた。「私はもう酔っ払いなんですよ、それで女たちはもう私を好いてくれないのです」

　「私は飲まない男は好きになれないわ」クラーラは安心させるように言った。

　「全くその通り」上座からホルバートの未亡人が応えた。「男なら飲んで、パイプをふかして、トランプをしなくてはね。人生で酔ったことのないやつは、真の男ではないわ。ワインであれ、恋であれ」

　「恋に酔う？」レゼダは声高にたずねた、そしてそっと付け加えた「老いぼれ魔女め、火あぶりにされてしまえ！」