第四部　ハンガリー人は幸せではない

第十三章　ある特別人物

 

　「クマはいるか？狼はどうだ？」アルヴィンツィ・エドゥアルドは背の曲がって干からびた、緑色の服の男にたずねた、男は妖魔たちの首領の命で森から出てきたかのように、帽子を手にしていた、森はメドヴェハーズの狩猟用館を太古の森のようにうっそうと取り囲んでいた。

　「ロシア人の百姓たちは日中でさえ、思い切って家から動くことはまずありません。迷信深い民なのです。昼間狼の群れが村で吠え立てていると言っています。やつらは酒場の臭いを嗅ぎまわり、大梁に頭を打ちつけるのです。最近も教会で狼たちのうち二頭の頭をぶち抜きました」

　「教会を封鎖するといい」アルヴィンツィは答え、好意的に猟師を去らせた。

　この狩猟用館にはもちろん歴史的な過去があった。

十年以上にわたって、領地の売買に従事する破産した紳士たちがこれを探し求めた。上部王城県の引退した大判事バルトシュ・ヨージェフは、北東地方に住んでいるユダヤ人と紳士たちが知り得ることなら何でも知っていると信じていたが、条件を聞いたときは彼自身も驚いた。

　その館はラーコーツィ首長の時代に建てられたのでなくてはならない、取り囲んでいる巨大な森は、すでに建国者たちの時代からそこにあったのでなくてはならない、ティサ川

の水源が生じるのはここでなくてはならない、そして退屈な長い夜々を主(あるじ)を楽しませる

ために何人かの幽霊、出来るなら煙突の中にクルツ兵がいなくてはならない。図書館、絵

画館、どこかの女王か王でも落ち着いて夜を過ごすことの出来るような古いベッドがなくてはならない。日没を眺めることの出来る張り出し窓がなくてはならない、日輪は、赤ワインの傍らで快適に過ぎていく人生のように、結局は山々の背後に沈んでしまうのだとでもいうかのように。　　　　　　　

　そして館近くのどこかに、ヴェレシュマルティの詩の一行を正確に知っているこだまがいなくてはならない。人の手に触れられないままの鳥の巣がなくてはならない、そしてその地の民は堕落していてはならない。

　ハンガリーの弁護士たちは良い労賃と引き換えに不可能に打ち勝った。弁護士たちはある伯爵を、ちょうど彼が金銭的窮状にあったときに見つけだした。

　駅から駅へと彼を追い、その耳にささやきかけた、天地を約束し、弁護士たちの老父ファービアーンは、これが何度目だか誰にわかろう、再びキリスト教徒に改宗した、なにしろユダヤ人には領地は売れないので、太ももにインドの輪の刺青がある、ある女性までもが動いた。最後には息も絶え絶えの伯爵との商談が成立し、そしてラーコーツィの領地はアルヴィンツィ・エドゥアルドの持ち物となった、弁護士たちの奮闘についてはこの閣下はほとんど知ることはなかったのだが。（おばあちゃんの存命だったころ、老婦人は夏、冬にはここで暮らした）アルヴィンツィは、どこかに自分の樫の木の森があり、そこでは樹齢百年の木々からどんぐりが降ってくるのだと知って、満足だった。

　カラスたちは永遠の思い出のように、雪の積もった木々の上で物思わし気にくつろいでいた、一体カラスたちはいつか死んだりするのだろうか？カササギはふるい作りの職人のように場所を交換していた、そしてこの落ち着きのない鳥たちはここでも興奮を引き起こした。ロスチャイルド帽のヤマガラはどこからか返事が来ないかと期待を抱いて一声二声出した。大きな長靴、青い上っぱりを着た領主の召使たちは、たまに一尋の深さの雪の中に掘られた散歩道を横切った、まるで永遠にぶらぶらしていることに飽きたかのようだった。

　そしてこの暖炉は別々にじっくり観察する出来た。いくつかは外側から、廊下側から暖めるのだった、そんなとき荒野から来たまきは大砲のような爆発を起こした。領主たちの邪魔にならないよう、暖炉番は裸足で歩いた。彼は帽子も廊下の端の一束のまきの上に放置した、壁は、地下室のまわりでもうろうろしていた暖炉番の頭をたまにお祈りの本でぶった、とんがり鼻で赤い帽子の僧侶たちの肖像画と同様、昔死んだ紳士たちの挑戦的な肖像画でいっぱいだったから（本当の領主たちの口の中は燃えるようだった、そこにはラテン語が書き込まれていた）。

　暖炉には、まるで暖炉の暖房には特別な専門の学問があるかのように、うやうやしく召使たちがまきを積んでいた。彼らはかかとまで野生の毛皮に包まれて二人でやってきた、そして小さなそりで暖房に使うまきを運んできた。乾燥プルーンほどの大きさの執事はときたまことに口を出した。そうすることで自分の存在を示したかっただけかもしれない。

　レゼダ氏は、（彼女が冬の日の赤い服を脱ぎ捨ててから）三日間クローンプリンツ・イルマ嬢の姿を見かけなかった後、図書室で突然大きな心の痛みをおぼえた、館の周囲で狩りの角笛が警報を出している間、彼はそこで古い聖書と錬金術の本の間に逃げ込んでいたのだった。クッション一個ほどの大きさのミサの本に頭をたれ、その中の装飾文字のイニシャルと機知に富む文字に子供のように驚いた、そのときも昔の僧たちは儀式の秘密が完全に保たれていることに安心したかもしれない、彼が眠気に負けて、外から暖めることの出来る暖炉でゴロゴロ音がするのに目覚めたとき、やがて紋章のある低いドアが気だるげに開いた、そのドアは宝物庫を閉ざしているかのように強力だった、そして特別な外国人ミスター・Ｈが書庫に入ってきた。

　英国紳士は旅の間中一度も口をひらくことはなかったほどに、無関心にふるまっていた。

　冷淡に、無関心に郵便馬車のすみに身をひそめていた。たまに郵便馬車の階段をおりるしなやかさは、人形のしなやかさだった。こわばった肩、それは将校の肩を思い起こさせた、考え抜かれた断固とした歩調と上半身の上の空な振動、考え込んで上の方を向いた頭、そして軍人のようにボタンをかけた上着。すなわちそれは、スエズ運河の後にはインドが、ウィーンの後にはブダペストが続くことを、世界で一番当然なことと見なしている旅人のそれだった。

　彼の動作の中に厭世観はなかった（厭世観は痛風同様、前世紀中葉にヨーロッパ大陸に迷い込んだ英国人特有のものだった、痛風の方は英国ではそれを申告すると今日でもまだ家族のお祝いで、長生きのしるしとして祝われている。一方ではヴィクトリア女王の息子、ウェールズ公エドワードがますますこの、人生の退屈から自分の頭を撃ちまくり、希望もなくサーカスの空中ブランコ芸人を追って旅をし（彼女がブランコから落ちるとき、そこに居合わせたいからである）、賭けでヴェスヴィオス火山にとびこむ、血と肉からなるタイプを世間から遠ざけている。この公爵の時代、闘鶏で楽しむビール醸造所の若者たちの子孫は、ヨーロッパではパリの豚肉パイ、ウィーンの牛肉、ペストの豆煮込みで去勢雄鶏のように黄色くなり太った。詩人たち、俳優たち、そして軽薄な女たちだけが老年期にも若い頃のカリカチュアを模倣する、まともな人間たちは時代と時代の変遷と共に変わっていく。英国人らはハンガリーの紳士たちのところをオリエント急行で、カフカスの貴族たちがモスクワの大公たちをたずねるように、喜んで訪問したのだった。家で野ガモのように無為でうずくまっていた後で、狩猟、カード、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎといった騒がしいハンガリーのもてなしが続いた）、厭世観は流行遅れになっていた。ミスター・Ｈは別世界の人間のように夢見る人だった。彼は、女たちが最も真実な祈りを口に出すどこか教会の闇から、一枚のちっぽけな絵からやって来たか、あるいはクマを踊らせるクマ使いか剣を飲む芸人が市民たちと一緒にぶらついている、目的のない群集の中からやって来たのか？

　あるいは彼は地下納骨所の仮死者だったものを、つめをかじり取った後、最後の一息で棺おけから外への道を見つけたのか。すなわち外ではもう何事にも驚かないのか、言い換えれば何にでも驚くのか？

　レゼダ氏は書棚の上に高くそびえ立つ図書室の塔で寝ていた、そこからなら鉄の留め金の聖書と老獪な錠前のついた古写本で悪魔の一群の頭をぶちのめ出来たであろう。おそらくそこからなら、伝説の国境沿いの山々の数珠のような連なりを見ることが出来たからこそ、彼はこの場所を選んだのだろう。ここを奇蹟のシカが走り、そしてある谷の小川でおそれおののく夜半時、古い狩人の一行から取り残された、高笑いをあげる騎士たちが門を激しく叩いたのだ、さもなければ幅の狭い螺旋階段に、幽霊の曇った目、馬のいななき声の雄ヤギがトントン叩く音をさせながらも、上がってこれないでいたのだ。

　ＲＫ氏は一冊の聖書に座っていた、その内側の書き込みによれば、彼岸の世界は、天使の皮で本を装丁出来たであろうほどに罪のない少女の魂に感謝すべきだったろう。

　英国紳士が日の光のあたっている図書室で肘掛け椅子に腰をかけた後すぐ、RK氏は頭を腕に伏せて英国紳士を見つめた、その肘掛椅子には豹の皮がかけられていて、東の首長が一人そこで安らかに死ねたであろうほどに高くそびえる背もたれだった。

　椅子の肘掛にはモロッコ革で装丁された一冊の本が横たわっていた（昔の酔狂な司書が内側のページに書いたメモによれば、この製本用の革は「ハーレムの淑女ファティマ」の星の模様のサンダルからとられたのだった、だがこの司書、パタクの学校から追い出された学生は、この大切にしていた本に常に真実を書いたとは限らなかった、彼はある冬、大きなビール・ジョッキを深く覗き込んでいたとき、狼たちに食われたのだった）、ミスター・Ｈは本を取り上げ、その中のページをめくった。ヴェレシュマルティによる翻訳で、サンダルの革で装丁された千夜一夜物語だった。

　ストーブの炎と冬の午後の日光が、丸いひげ同様、この英国人の金髪の、少なくなった巻き毛に金メッキを施していた。ＲＫ氏は半ば閉じた目で、すでにいつかこの顔にそっくりの人を見たと考えこんだ。彼は間違いなく、こんな金髪で、青い目、青白くなった、近くでも遠くでも見える顔を見たことがあった、その顔には橋脚の足元に埋められる記念メダルのような顔の輪郭が眠っていた。

　ＲＫ氏は記憶を一ひねりした、そのときも飛翔する歌鳥の形のしわが額に生じた、そして地図のように広げられた年月の思い出の上を人差し指が予感しつつ行き来した、まるで

どれか小さな村を探すかのように。そしてある大都市で止まった。

　「ウィーン！」と記憶は言った。

　うろうろしていた思い出は、今やもうずっと容易に方向を確かめることが出来た。

　彼は自分を見た、すなわちばら色の広場で、あるいは雨の多い春に都心の細長い、白い窓の貸家の間でぶらぶらしているときの自分自身を。錆びた街灯の柱の上では薄紫のフロック、白いズボン、かかとの高い靴をはいた藁を詰めた紳士を風が揺らしていた、彼はあるカーニバルで競争相手をそこに置きたいと望んだのだ。古い思い出の記録帳のセビア色で数々の路地が開けた、そして薄暗くなった窓からは、古風な写真アルバムのかつてはクリーム色だったミルボード紙からはほとんど予測できないほどに、過去に純白な姿だった魂たちが見張っているのだった。

　もうその通りの名前さえわからなかったが、ああ、だがマロウの香りは覚えていた、金髪女性の髪に結んだ折りたたんだ紙切れが日よけ用のよろい戸で揺れていた。スミレ色のインクで、おののくように、ある時間帯とある時刻が羊皮紙に書かれていた。デートの時刻だった。

　他の通りでの彼は思いに沈んで門の入り口の下に立っていた、そして磨り減った石のくぼみについて、カイザー・センメル・パン屋がつけたのはどれで、伯爵夫人のパリ製の靴のかかとがつけたのはどれか確かめたいと思っていたのだろう。これらの石にうがたれた跡は古めかしい地区で長年彼の興味の的だった、彼は警察犬のように彼らの上で臭いをかいだ。マリア・テレジア帝の時代初めて女たちは非常にかかとの高い靴を身につけた。間違いなくあの頃、ハンガリーの親衛兵たちの後からレディたちが白い靴下を履いた足を頻繁に翻したとき、石は磨り減り始めたのだ。そして古いへこみに新たな足が踏み込んだのだ。都心の同じ道を曾祖母とひ孫が歩いたのだ、多分同じドア・ノブを、生気のない手とわくわくしている手が、指先までも憧れ、豊かさ、人生の驚嘆におののく手がつかんだのだ。階段の踊り場でおばあちゃんと孫はため息をつき、そしてそのため息は相手を食べてしまう前の老いぼれクモと若いクモとのように、高みで互いの顔を見合わせるのだった。憐れな女たちが嵐の中で腕を広げ、すすり泣きながら若さを得ようとあせる間、古い、明るい色の麦わら帽子がゆれていた、そしてどんな風に何時間もかけて絶望しつつバラ色の顔を探し求めて鏡を凝視するかは感動的ですらあった～孫が急いで彼女らを部屋に閉じ込めてしまう間～、なんせ下から騎士の新しい靴のキュッキュッいう音が響いてきたので。

　レゼダ氏は過去に入り込んで、古い都心の通りに立っていた、もちろん、敷石が最初にコツコツ打たれるところに居合わせることが出来ないのは限りなく残念だった、そしてもし罰をおそれなければ、写真とお守りからそれと知った真珠貝色の貴婦人、Ｓ公爵夫人を棺の中で立腹させようと、もうとっくにある公爵家の地下納骨堂を壊して開けていたであろう、かつてある画廊でＭＡ（マリー・アントアネット）王妃のロココ風スカートに内緒で穴を開けたのと同様に。

　そして屋根の上の一人の人物を見つめた、彼は無関心に全ウィーンの町の上に立っていた、屋根瓦を直し、そして下で回転し行ったり来たりしている混乱した生活には一瞥もくれなかった。パイプをふかし、そして水を屋根からふりまいた。小説のようなくぼみは水で一杯になり、そして気難しいレディたち、過去の想像の産物たちは驚いて泡のように上品な刺繍のスカートをたくし上げた。

　今一枚の新しい絵が夢うつつのレゼダ氏の前に現れた。干草車に乗った諸民族の列でも到達出来るほど広いホーフブルグ宮の門、そして門の反対側に一軒の前世紀の家、大方のウィーンの建物のようなバロック様式で、メタステジオ・ピエトロ[１]が建てたものだ。その家には一軒の画廊があり、ショーウインドウにはご当地の画家たちの甘ったるい趣味で描かれた上流階級の淑女たちと紳士たちの肖像画が登場している、シュヴァルツェンベルグ、フュルステンベルグ、カウニッツ家の淑女たちのせいで通行人たちは不安を感じ、学生と無骨な大平原を忘れたハンガリー人は長い間口をポカンとあけて見とれ、公爵令嬢たちは、似ていたことが元で、ある市民階級の娘が幸運をつかんだことを決して知ることはなかった。

　ＲＫ氏ははっきりと思い出した。

　この画商の店で彼は初めてミスター・Ｈを見たのだ。そのときは明るい緑色の手袋と白い連隊長のコートを着ていた。バーミリオン色のズボンに金色のテープと、胸には明るい緑色のリボン。フェレンツ・ヨージェフという名だった、そして一八五九年にアカデミーのあるへぼ絵描きが描いたのだった。

　レゼダ氏がこの発見を確認したとき、彼は頭をミサの本にもっと深く押し付け、息を止めた。

　彼は少しずつこの外国人の長い手を注視した、その手の指は反り返り、手綱を取るよりはむしろ、女性の髪をなで、ペンをひるがえすために作られたように見える。間違いなくこの手は最も高貴な男の手が最も残酷になれるように、女体という名のバイオリンに触れることを知っている。一体この手はすでにのどをしめたことがあるのか？千夜一夜物語は古めかしいページへ手が触れることでそっと、ヴェールのように平らになった。

　レゼダ氏はやがて足を注視した。それは手と同じ形だった。長く、この足の祖先はすでに血まみれの試合と疲れ知らずの狩りにおいて、あぶみの中で伸びていたのだ。

　その特別な出自を小さな、ほとんど女性的な耳も示していた。耳たぶは顔に向かって伸びている、昔家族の中に耳飾をつけていたであろう奴隷はいなかった、そして目の病気のせいで耳に穴をあけることも出来なかったのだ。

　額は、大理石のひさしのように前の突き出ていた、そしてまばらな頭髪の間で深い傷の痕が見えた、雷か剣のふさがった傷跡だった。

　唇は姿を消した付近でみぞをうがつことはなかった、墓場の像のように、無言だけがその口には座していた。

　多分この人物は、自分自身と話し合いたいときは、最大に深い森の中に行くのだろうか？多分ほとんど聞き取れない、思わず漏らした言葉以外は言うべきことにも口を開く人ではまずあるまい。この口は目的のない会話にも命令にも同様に飽いている。ああだが彼は軽蔑することもなくこの地を出歩く、生活を軽蔑することも疲れるからである。

　ドアが開いた。

　「小鳥よ！」ミスターＨはハンガリー語で言った。

　敷居には、帽子なしで、冠のように結った髪、白い上着、黒いスカートのヴェッツェラ嬢が現れた。濡れた、悲しげな目と大層白い顔は、幽霊のそれのように光を放っていた。山の小川の新鮮な香りが彼女の肩から流れだしていた。スリッパには二羽の蝶がついていた、それらが彼女をここまで連れてきたのだ。

　脇の下にスケッチブックがあった。

　彼女は足台に腰を下ろし、書きかけのスケッチを続けた、それはミスターＨを描いたものだった。彼女は器用に礼儀正しくスケッチした。

　「「思い出」が明日を待っています」無言で描いた後、しばらくすると彼女が言った。

　ミスター・Ｈは立ち上がり、微笑みながらスケッチを見つめ、そして二人は一緒に図書室を出て行った。

　ＲＫ氏は古いミサの本をピシャっと閉じた。

　「お前ならあの小さな蛇になんと言うね？」彼はたずねた。

　だが本は答えなかった。

　レゼダ氏は、何かを後で知ったときほとんどいつもそうするように、目を開けていようと決めた。

 

　ＲＫ氏がこの時期まだかなり自身の悲しみにとらわれていたとしても、夢判断の本ではそれについて何も実のある記述は見つからなかった、それらは狩猟館の以前の持ち主が明らかに大層な悩みを抱いて国中のあらゆる地域から集めたものだった。

　とはいえ、自分がすでに恋においては、フロックコートの後ろポケットに常備薬を携帯している胃病患者のように、苦しむことに慣れっこであることは信じられた。へびに咬まれた傷は何回目でも、常に治療を始めからやり直さなくてはならないし、病気がちゃんと治るかどうか決して確実ではないのだ。

　ＲＫ氏はすでに何冊かの本の中で、窓と窓の間にかかった大きな姿見の中で首を垂れてこちらに向かってくる自分自身を見ることが出来た。そして「幻想」に対するいい薬である、愛しい淑女の胃袋の中身を見ることは決して出来なかった。彼は夢判断の本だけを見つめていた、その中では長い僧帽のペテン師たちが、若者には「赤いランプ」のフープ入りスカートの女中を勧める一方で、忘れたいと望んでいる娘にはティサヒュレドの口ひげ用ポマードを勧めていた。前世紀の日記帳の出版者チェープチャニクが、心の痛みに悩む紳士たちに小さなブーツと「地上に舞い降りた天使」、美しい羊飼いの夫人ヘルミーネへの魅力への注目を喚起していた。

　クローンプリンツ嬢は三日間というも貴族の狩猟に参加していた、喜び、森、自然をさじですくうペストの貴族の淑女のように、そりで、馬の背で、勢子の背で一尋の深さの雪に覆われた森を行き来した、彼女はまだヴェンデーグヘジ氏のことも、ジェントリーというのは高貴な人で、彼の仕事はユダヤ人を追い払うことと紳士のふるまいを練習することだと信じていた。

　「ああ、ジェントリーの紳士たち！」クローンプリンツ嬢はため息をついた。

　狩猟はあふれんばかりの上機嫌でメドヴェハーズの森で続いた。狩人たちは打ちまくった以上のことを吹聴した。毎晩のように無関心な勢子たちについて裁判が開かれた。無為のハイドゥーたちは、大いなる熱意を持って指図に従い分担して彼らをを棒で殴った。一人の勢子も、聖燭祭（二月二日）からずっと自分の穴倉で寝ているクマの睡眠を妨げる役を引き受けようとしなかった。何頭かの擦り切れ、骨と皮にやせた狼は武器のバーンという音で谷へ逃げた。ヴェンデーグヘジ・アルジャーノンは、毎日狼を、それどころか山猫まで目撃した唯一の人物だった。シルヴェステル氏はカラスたちに銃を撃ちまくった。その間アルヴィンツィ・エドゥアルドが武器に弾を込めてすらいなかった。クローンプリンツ嬢はサーカスの曲乗り女芸人のように馬に乗った。たまにそりで山の斜面を降りて、彼女の髪、服、気分がひらめいた。かつてあれほど物思いにふけっていた淑女が驚くべき変化を経験した。自由な空気の中では奴隷の身から自由になった鳥のように騒がしく、不安だった。彼女は冬の空気、森、忠実な召使たち、館のパチパチ音をたてる暖炉に陶然とした。

　「伯爵令嬢たちがあんなにきれいで健康なのも、奇跡ではないわ」彼女は言ったものだ。「スポーツが若くしているんだわ」

　アルヴィンツィはかじかんで毛皮の中でほとんど身動きもせずにこの炎の淑女にうなずいてみせた。娘が大胆に森の中に入って行くと、彼女のことを心配した。干からびた小さな狩猟頭は、クローンプリンツ嬢の足跡に追いつけないのではないかとえらく心配した。

　ある日ミスターＨも無為に飽き、肩に武器をかけ、一人の百姓の息子を同伴して森に探検に行った。

　午後若者が館にもどってきた。ミスター・Ｈが「ビチュカ」という狩猟小屋で一頭の大きなクマを倒したのだ。

　一行は木の幹で作られたそりに飛び乗り、厚い皮の百姓馬の大いなる陽気さとともにビチュカに向かって出発した。

　レゼダ氏は御者の隣に席をとった、そしてアルヴィンツィの勧めで兵士の武器を膝の上に押し付けていた、くまの連れ合いがもどってくることがよくあったので。

　アルヴィンツィ氏、シルヴェステルとヴェンデーグヘジ氏らは武器と酒の水筒を引き受けた。シルヴェステル氏はいのしし狩り用の小刀まで腰につけていた、それを前もって家で試してみていたのである。すなわち片膝をついて、小刀の柄を膝の皿に押し付けたのだ。銃剣から逃げ出すような獣はいない。完全武装した狩人たちは狼の群れとだって戦えただろう。老いた小さな狩猟頭は手押し車の中で銃をかまえて座っていた。クローンプリンツ嬢は家に残った。

　「私、あの外国の紳士が好きじゃないの」彼女は不機嫌に言った。

　ゼルドヴァーリ家の淑女たちは緊張のあまり気が動転していた、そして事態にふさわしい冷静さを持って振舞うことが出来なかった。十五分ごとに狩猟館の東の塔にあがっていった、そこからなら望遠鏡で無言の森を遠くから目で追うことが出来た。－ヴェッツェラ嬢は刺繍の上にかがみこんで、一度とて顔を上げなかった。たまに一人になったとき、ゼルドヴァーリ家の淑女たちは再び塔に急いだ、イザベラの耳が警報を聞きつけたからである。彼女はマリア像（試験のときはそういうのを配るのだが）を胸から取り出した、そしてそのかわいらしい、控えめな女に手を組みあわせて何か話すのだ。足音が廊下にこだました。彼女は絵を元の場所に突っ込んだ。十字を切る時間しかなかった、乗馬服姿、乗馬靴のクローンプリンツ嬢が銀の拍車を鳴らしながら日光のさすホールを横切った。

　「マーリア、狩りのご一行の前まで馬を走らせる気はなくて？」彼女は退屈してたずねた。

　ヴェッツェラ嬢は控えめに頭を振って、刺繍に没頭した。

　すでに影が下向きに降りてきた、まるでますます暗くなる輪が山の斜面をかけ降りてくるかのようだった、それらはしまいには森の中で軍勢に集結しているのだ。暖炉係りたちは二重の熱意で暖炉を暖めた、青いお仕着せの若者たちは地下室からたるを転がして運び上げた、台所では緊張と共に夕食の料理を見ていた、そして決して使われたことのない照明までともされた。やがて荒れ狂う猟犬たちと何か叫んでいる百姓たちをお供に引き連れ、たいまつを掲げた人々が森からだんだんはっきりと姿を現してきた、そりは足を速めた、ゼルドヴァーリ家の淑女たちは中庭に急いだ。

　立派な体格のクマが板の上に横たえられた。

　殺された森の怪物はそこで、眠っている子供のように足を組んで横たわっていた。大きな狂った頭は悲しげなあきらめとともに後ろに倒れていた。間違いなく静かな隠れ場所を出たことを悔やんでいた。

　人々はまわりを取り囲み、そして驚嘆して見つめた。

　「足はいずれ私が処理しましょう、やり方は知っていますから」ゼルドヴァーリ・イザベッラが宣言した。

　「弾はどこに当たったのかしら？」何日も続いた頭痛を振り捨てたクローンプリンツ夫人がたずねた。

　シルヴェステル氏はこのくまの詩を書くと宣言した。

　ヴェンデーグヘジ・アルジャーノンは、勝利を得た機会に祝福のためミスター・Ｈを銃の弾込め棒で何回かたたかなくてはならないという狩師仲間の決まりを持ち出したが、アルヴィンツィが黙らせた。

　ヴェッツェラ嬢は長い間無言で茶色い獣を見つめていた。それからクマの分厚い毛皮をなでた。

　「かわいそうなクマちゃん！」彼女はほとんど聞き取れない声で言った。

　「クマの皮はお嬢さんのものです」ミスター・Ｈが口を開き、帽子を持ち上げた。

　ゼルドヴァーリ家の淑女たちは翌日、ヴェッツェラ嬢が刺繍に没頭しているとき、当惑し疑わしげにささやいていた。Ｖ・マリアが彼女らが居る前でミスター・Ｈに、その贈り物は受け取れない、自分はそれに値しないからだ、と宣言するまで彼女たちは安心するどころではなかった。外国人はここでおだやかにうなずいた。

　「それでは森にもどれ！」彼はつぶやいた。

　クマは次の夜、解体と皮剥ぎを待っていた納屋から姿を消した。

　英国紳士は図書室で手をこまねいて座っていたが、マリアはドアを開けはしなかった、レゼダ氏はといえば結局はメートル大の大きさの古い本の後ろに隠れていたのだが。

　昼食と夕食ではラーニの楽隊が音楽を提供した。毎晩淑女たちは舞踏会用に着飾った、全てがとても上品だった。アルヴィンツィ氏は変化をつけるために、丸焼きにしたまま姿で供された雄いのししのもも肉を、しばしば古めのボルドー産メドーツ・ワインのソースに浸し、ヤギ飼いの小唄を奏でさせた、そのときもバグ・パイプ手のバカイがベストを尽くした。

　シルヴェステル氏は、貯蔵庫で見つけた、幸運にもやわらかいウエストファリアのハムに老人たち特有の忠実さで執着した。一方ヴェンデーグヘジ・アルジは毎日、昔死んだある女コックのことを思い出していた、彼女は医者か何かのように人間の胃を知っていて、自分の料理で客人たちを、まるで真正の新婚旅行者がテーブルについているかのように上機嫌にするのだった。

　外国の紳士は紙切れに自作の歌を書きつけた。（今日でもそれはある老ジプシーが保存している）「お母さんも私には・・・」とその歌は響いた。そして日々はあまりに退屈に過ぎていったので、レゼダ氏は、館の一室で見つけた作りかけの糸鋸の細工を引き継ごうと決心した。