第五章      レゼダ氏と見知らぬポジョニの伯爵夫人たちとの文通

 

　われわれが、昔のとある高貴な人物～オルトヴァイ～が女王への敬意から建てたこのフランス屋根の家に足を踏み入れる前に（マリア・テレジアが土曜日ごとにウィーンから馬車でポジョニに住む娘を訪ねてきて、彼女とともに寺院、学校を訪問していたときのことだった）、この古い住居の家主について二言三言紹介の言葉を述べなくてはなるまい。

　現在この家はゼルドヴァーリ伯爵夫人らの所有だった。

　ゼルドヴァーリ・エヴェリンとゼルドヴァーリ・イザベッラ伯爵夫人[１]とは、上ハンガリー（ハンガリー北部のことだが、第一次世界大戦前まではハンガリー領だった現在のスロヴァキアをさす）のある貧しくなってしまった一族の後裔だった。１８？？年６月２０日の彼女らの日記には、二人のうち一人はいずれおそらく自殺するだろう（エヴェリンならウィーン列車の前に身を投げ、一方イザベッラなら細綱を選ぶ）、あるいはより不運な方が聖処女の名を取ったグラーツの修道院に引退するかだ、と書かれていた、そこではオーストリア貴族の家系の未婚の娘たちがその血を流している心の傷口にくもの巣をはらせ、時とともに癒されていくのである。

　これは、かの高貴なる男自身、二人の令嬢の間のどちらを好きなのかわからなかったアルヴィンツィ・エドゥアルドの求愛の時期のことだった。

　ときには結局エヴェリン（年かさ）が勝利を得たように見えた。アルヴィンツィはあとはもう正式な求婚のためフロック・コートかディースマジャール（昔のハンガリーで貴族たちが祝祭のおりに着た礼装）に着替えるためにだけ辞去する許可を求めているのであり、エヴェリンはフランス屋根の家の刺繍のカーテンの後ろから、長い間遠ざかっていく者の後を見つめていた。片やイザベラ（年下のほう）はその晩、静かな時間に苦い涙を落としながら、エドゥアルドが午後ポジョニの公園でどんな言葉を口にしたのか姉に打ち明けたのだった。

　一冬というものアルヴィンツィはポジョニに滞在した、そして毎日令嬢たちを訪問し、儀式的に行ったり来たりし、午前中はリラ色のネクタイと靴下を（エヴェリンの色を）身につけ、午後は地味で、もの静かで女教師っぽいイザベラのお気に入りの色だったパールグレーが流行色となった。アルヴィンツィは真剣に職務を果たしているかのように、大抵はゼルドヴァーリ家のサロンの一枚の絵のごとく身動きもせずに座っていた。彼らはほとんどいつも同じテーマについて話したーある寺院の建設について、当時ポジョニ県のキリスト教徒の淑女もユダヤ人の淑女も一様な熱意とともに踊っていた。アルヴィンツィはニースとモンテカルロの間にある、あるユダヤ教のシナゴーグのことを思い出した、彼は幸運が眠ってしまっていたときそこで、助けを求めて贈り物をしたのだった・・・それ以外に知っていたのは村の、ある白い壁のカルヴィン派の寺院だった。そこで彼は若いときは賛美歌を歌ったのだった。彼は、自分の言葉を淑女たちが忘れることはなく、それどころか記憶に深く刻みこんでいることを確信しきっている人のように、真剣に考え深く話した。

　彼は五時頃ため息をついて立ち上がった。

　「われわれが奉納を誓ったこの寺院を建てようと、建てまいと、この民は滅びるよりないのです」彼は言って、何分か後にはもう郵便馬車に座っていた、彼はそれで王が戴冠したこの町で（ポジョニでは歴代のハンガリー王が、近代では二重帝国のフランツ・ヨーゼフ夫妻もハンガリー国王として戴冠している）相当なセンセーションを起こしたのだった。

　これ以後天候は春となり、三月となった（ゼルドヴァーリ家の淑女たちは春から多くのことを期待していた）、アルヴィンツィの代わりに（まだ初代の）シルヴェステル氏が高貴な女性たちに、彼の主君は新しい馬たちがうららかなレース場で今始めてのレースをしている英国に旅立ったことを知らせた。ゼルドヴァーリ家の女性たちは痛む心でシルヴェステル氏の手紙に返事を書いたが、優れた友が遠からぬうちに再び古めかしいポジョニをたずねるよう希望した。シルヴェステル氏は即刻、彼も同じことを希望しているという知らせを郵便にゆだねた。淑女たちは二、三日すると再びブダのシルヴェステル氏に向いた（唯一の男友達が遠くに去ったあとでは、友達の友達に信頼という贈り物をすることを見苦しいとは思わなかった）、そしてあの寺院建設の件について助言を求め、それに対し何でも知ってるシルヴェステル氏はおそらく、彼女らのように孤独のうちに人々から遠ざかって生きる女性たちを、むしろ理解していた。シルヴェステル氏は非難の余地ない返事を書いた。

　ポジョニとブダ間の郵便が行き来し始めたのは、こんな次第だった。アルヴィンツィの秘書、忠実なシルヴェステルとゼルドヴァーリ家の淑女たちの間では、始めは比較的まれに、やがて一、二年すると毎日のように手紙が交差した。シルヴェステルの手紙は大方、並外れた主が再び何を言ったか、彼は午前十時頃にはもう起きていて、お祈りの終わった後はソーセージを、それからナイフの背に載せた程度の羊のカッテージ・チーズを食べたといったものだった。ゼルドヴァーリ伯爵夫人たちは手紙の中では自分自身についてあまり書かなかった、むしろ公事、前進する寺院建設の計画とハンガリー人の滅亡を取り上げていた。またあるときは政治的な激情が、細く読みにくいの文字の手紙の中から灼熱した。ゼルドヴァーリ・イザベラは父ティサの民族政策を支持していた、一方シルヴェステルは極左の側だった。昔の貴族の奥方たち式に、ゼルドヴァーリ家の淑女たちは大使選挙に投票したかったことであろう。（アルヴィンツィは再び国の公事への口出しがかなうなら、女性の選挙権をそのプログラムに入れる、と約束していた）

　シルヴェステル氏（初代）は死が近づくのを感じたとき、レゼダ氏をこの秘密めいた文通に引っぱり込んだ。（ブダの「赤いカエル」亭でのことだった）。

　「もし私が死んだら・・・愛しい女性たちは間違いなくもっと長生きするだろう・・・お願いだ、私に代わってこの文通を続けてほしい」赤いチョッキのシルヴェステルは言った。

　この依頼はレゼダの好みにあっていた。

 

　緋色の郵便馬車がフランス屋根の家の前に着いたとき、アルヴィンツィ・エドゥアルドはシャツの下の、優雅な細工の鎖で胸に下げた小さな黄金の十字架に口付けした、その驚くべき力にはまだ一度も失望させられたことはなかった。

　実際のところ、彼はこの古い家で二十年前の淑女たちを見出したのだった。彼が最後にポジョニで冬を越してから、何一つ変わっていなかった。

　（その黄金の十字架には魔法的な効果があった。おそらくハンガリーとポーランドの王だったジグモンド[２]が胸に下げていたのだ、彼は三百年間ブダで国を治めた（人々が書いている歴史はここで間違っている）、そして死に瀕した身でさえプラハからナジヴァーラド（現在のルーマニアのオラデア　　）まで馬車で旅したほどに若かった、そしてその間再び忠実ならざる妻ツィレイ・ボルバーラ[３]を征服したのだった、そしてズナイム（現在のチェコのズノイモ）の居城で彼女と親しいときを過ごした。三百歳のころまで女たちの集まりにおいてさえ細かい網目の鎖かたびらを脱ごうとしなかった、注意深い神聖ローマ皇帝は、この下に若さという奇蹟を起こす十字架を下げていた、ズナイムの城で彼は魔女ツィレイの娘の抜け目のないやり口を許してしまった。捕虜として連れ歩かれたボルバーラが最後の夜を達成したとき、ジグムンドにも最後がきた。鎖かたびらをつけた体に裏切られたのだった。もちろんアルヴィンツィがこのように不注意になることは決してない）

　昔と同じヴォイカという名の白いボルゾイ犬が、暖房された廊下に手足を伸ばしていた、そして小さな白い顔の家政婦カルローツァイ夫人が小またなチョコチョコ走りで音をたてながらガラス戸を開けた、それは愛しい目が家にやってきたぞという、誰にでもわかる合図として響いた、その目は二十年間の間ここで起きた変化を見出さなかった。

　ある種の恋というものがある、あるいは何人かはこのようにより簡単に理解する。すなわち人間の心の中にある色褪せることのない恋、かつて暗い部屋で銀のスプーンに見入った人はそれを一生を通して催眠状態のなかで保つ。幾つかの思い出、男か女、風景画あるいは部屋、音楽あるいは口付け、すなわちほぼ催眠状態の光景が人々の心の中に残っているのである。遠ざかっていても死ぬことはない、思い出はシューバに包まれて眠っているのである。

　だが、ひんやりした門のアーケードの下で、彼の歩みに対して昔とまったく同じこだまの妖怪たちが壁の中から、溝の中から、丸天井から歓迎の言葉を叫んだとき、もちろん彼は夢から覚めた。かつてある散歩道で、目で、言葉で、肉体のふれあいあるいは考えで強力な催眠術にかかったものは、その場所にもどって、もしここで幸せで不幸だったときに座ったベンチを目にすれば、それだけで十分なのである。・・・その間過ぎ去った年月は、幕のように動く、ほどけ、そしてその下で新たに古い芝居が見られる、役者たちは同じものを上演し、指揮者にはゆれる皇帝ひげがあり、女優は目を君の上に転じる（まるで二十年間、幕が下りていた間、常にそうしていたかのように）、道化役者はせりふの途中で、かつて役を中断したその場所で言いたいことを続ける、太鼓奏者がフットライトの下に血まみれの頭を隠しても無駄である、女優たちに花束を差し出していたのは彼だったのである）

　ある晩年期の友人によると、女たちにすでにおじいちゃんのキスしか出来なくなったとき、そこから時計の鳴る音が響いてくる家々があって、午後四時頃その家の前を通り過ぎると常に、血の奔流、憧れ、そして女の香水で香り付けされた幻想が心の中で攻めてくるそうだ、すでに女たちのことを忘れてしまったのにである。

　その家に侵入すると、十七歳の素晴らしい娘が暖炉の隣で糸をつむいでいる、彼女は旧知の、愛しい微笑みを浮かべて待っていた、聖地からもどった騎士を待つかのように。「ヘンリー！」彼女は柔らかく暖かい声で言った、そしてわが友は実際にヘンリーというのだ。彼は糸つむぎ娘の前で膝をついたとき、青いフロックと白いズボンをわが身につけていることに気づいた、彼は三十歳代のときペストでそういうのを着たライオンだった。彼は手のひらをつねった、夢ではなかった、再び「狩猟の角笛」亭で、一人の百歳の、百ポンドの男とピケ（トランプ・ゲーム）をしていた。子牛くらいの大きさの雄猫が隅で小さな白い子猫になった、ちっぽけな壁掛けランプの場所でばら色の蜜蝋ろうそくが燃えていた、そして暖炉の上では、時計の時刻を示すコルク製の修道士が小屋から出たり入ったりして走りまわっている間、針がみな揃って狂ってしまい、後ろ向きに回っていた。それから一秒ほどの平安が部屋の中で続き、素晴らしい娘は友の心臓の上で金髪、巻き毛の、よい臭いのする頭を休ませた。やがて再び冬の暗さとなり、窓のかまちには青い色の中で雪ぶとんが横たわり、イタリアの戦役に従軍した一人の醜い軍隊付きの娼婦が、暖炉の隣のほうきに手を伸ばした、そして杯一杯すら飲んだことがなかったわが友を酔っ払いのブタと呼んだ。

　・・・アルヴィンツィがポジョニの家でピカピカ光る呼び鈴に手をのせると、おそらく町の遠くの地域にあるもっと古い塔でも、時計の針は急に逆向きに走り始めた。

　「お元気ですか、親愛なるエヴェリンそしてあなた、非凡なるイザベッラ、わが心の大切な親戚の淑女がた？」アルヴィンツィ・エドゥアルドは、昨日ゼルドヴァーリ家に訪問に来ていたかのように始めた。

　「シャルルーマーニュ大王の娘、聖ヘドヴィグへの敬意から計画された私どもの寺院の土台はあれ以後もペストのユダヤ教徒の女性協会の寄付の継続のおかげで成長しています」エヴェリンは答えた。

　「祭壇の覆いとミサの祭礼服の刺繍を引き受けてくれる十二人の高貴なレディがすでに

揃っています、ただいつも彼女らのうち一人か二人がお嫁に行ってしまうのです」イザベッラはため息ついた。「そうは言っても、最古の伝統によれば未婚の娘たちの手しか、教会の衣類には触れられないのです、それは乙女たちが触れたことでよい香りを漂わすようになるので」

　「どうぞおかけ下さい、親愛なるご親戚」

　エヴェリンは王者の手の動きで巨大な肘掛椅子を指した、そのクッションにはシュヴァルツェンベルグ公爵[４]の華麗な紋章が刺繍されていて、これによってゼルドヴァーリ家とオーストリアの大貴族の家系とを結びつける親戚関係が示されていた。（おそらくはこの王者の紋章も、アルヴィンツィがあの昔の冬、この家に忠実だったことに幾分か関与していたのだ）

　二人のゼルドヴァーリ家の淑女は互いに隣り合い、アルヴィンツィの向かい側に座った。この風変わりな紳士は、こんな風にして彼女らを見ることを好んだ、彼の意見によれば、こうすると宮廷写真師の窓からポジョニの散歩道の群集を見つめている二人の大公妃にたいそう似ていたからである。（一方ゼルドヴァーリ家の淑女たちの方は、アルヴィンツィは、大英博物館で肖像を見ることが出来る鳥刺しハインリヒ王[５]にそっくりだ、と表明していた）

　「さて、淑女方、エヴェリン伯爵夫人とイザベッラ伯爵夫人、なにかご希望はありませんか？なんとなれば私は今回、私の罪を償い、なおざりにした愛国者の務めを十分に果たし、敵と和解し、負債を支払うためにハンガリーにやって来たのです」アルヴィンツィはその手を組み合わせながら言った。

　筋肉質で、短い指だった、人をなでるためより、むしろ剣の刃を振り回すために作られ

たものである。非常に白く、丸っこい手でこの指は時折隼(はやぶさ)のカギ爪のようだった、他方、

もしこぶしを握ると、この手はトンカチの頭に似ていて、それで手に負えない馬のように、運命の頭をたたくことが出来るのである。今やこの二本の手はもう何も望まない死者のそれのように組み合わされていた。

　「私たちの寺院が」エヴェリンは、イザベッラの方を見て目を伏せ、言いにくそうに言った。

　「ミサの祭礼服が」イザベッラは家畜うさぎにように上品な鼻梁を震わせて口ごもりながら言った。

　アルヴィンツィは同意してうなずいた。

　「私の法律顧問がこれからの日々私に同行します。道中遺言を口述しましょう、そうすればもっと生きられるでしょうから。そして敬虔なる目標以外に何か他のご希望はありませんか？」

　エヴェリンは銅赤色のスリッパに見入った。

　「ありません」

　イザベッラは答えなかった、ただ長い、疑わしげな非難の視線を大貴族に投げた。

　「それでは何もかも問題ありませんね」アルヴィンツィは自分の口ひげにもぐもぐ言った。

　ゼルドヴァーリ家の淑女たちはアルヴィンツィが好んでいたように、あの種の絵のように、互いに隣あって、横顔で、みじろぎもせず、息を止めて座っていた。

　彼女らは褐色というよりは金髪だった。過ぎ去った五十年の間（貧しくなっていった時期）シュヴァルツェンベルグ公爵を通してハプスブルグ家とも親戚関係にあるのだと、あれほど何度も一族の中の老人たちが言ったので、この女性たちは何度もハプスブルグ家の公爵夫人たちの肖像画を研究し、自分の城を捨てなくてはならなくなった後は、かの親戚たちが住んでいる遠くの宮殿の夢を見た、この長年の渇望で確かに大公妃たちにやや似てきたほどだった。アルヴィンツィはあの昔の冬、午後になるたび瞑想しつつ降雪に見入り、ウィーンの異様に高い家々に見入り、王宮の古びた中庭を、白いかまちをその目で道路の反対側から探して、ゼルドヴァーリ家の淑女たちがまじめに沈黙している間、内心ではハプスブルグ公爵令嬢、イマキュラータとアヌンチアータ[６]とサロンでくつろいでいるのだ、と考えていた。淑女たちの手を暖かく握り締めたであろうにそれもしなかったこの楽しみはアルヴィンツィにはかなり高くついた。（間違いなく彼は、過ぎ去ったときが女たちの肖像を高貴にするときになって、人が初恋の人たちのことを思うようにこの淑女たちのことを思っていた）。法律顧問は三ヶ月毎に注目に値する金額をアルヴィンツィの名で郵便に入れた。ゼルドヴァーリ家の淑女たちは初めはつつしみ深くこの施しに対して抗議したが、これにアルヴィンツィはこの額は亡くなったゼルドヴァーリ伯からした、ある昔の借財に対して支払っているのだときっぱり明言した、伯爵はタター（ハンガリー北部スロヴァキア国境付近にある町）における競技場の胴元だったし、家族のテーブルに野生の獣の肉がないときは、しばしばそこの白い囲いの間でウサギ狩や狩りをしたのだった。

　「あなた方は聖なる生活を送ってください」アルヴィンツィは最後の手紙で書いた、ほぼ二十年前のことだった「ヘドヴィグ寺院のために寄付を募り、教会の衣装を配慮して下さい、私は、幸運に見捨てられなければ、いずれ少しずつ負債を返済していきます。だからこそお願いします、三月には、そして私の名の日には、私のために短いお祈りを唱えて下さい、たとえ私にはほとんど祈る時間がないとしても。これ以上のことはいずれ私の忠実な秘書シルヴェステルが手紙でお知らせするでしょう。あなた方は永遠にこの義務を負っています、アルヴィンツィ」

 

　この手紙こそが困窮の日々、金貸し業に従事する人々の財布を常に開かせてきた、ゼルドヴァーリ家の淑女たちの唯一の財産だった。だからエデの日には常にいくつかの上品な手芸品が遠方のアルヴィンツィの跡を追った、それらをエドゥアルドは立腹して投げ捨てた。彼は感謝を好まなかった。彼の意見によれば、感謝と復讐は同じ感情だった。

　そしてゼルドヴァーリ家の女性たちは実際にお祈りの本の中に滞在する聖像画の生活を続けた。二十年間を通じて正確に彼の指示を固守したほどの熱狂をアルヴィンツィ・エドゥアルドに対して感じていた、すなわち聖人たちの生活を送ったのである。

　初めは何人かの退屈している士官、先生や僧侶がある種の目的でセントヴェール通りでサンダルをすり減らした。淑女たちの文通相手、かつてのシルヴェステルがまだ生きていたら、いくつかの奇妙な冒険のことをゼルドヴァーリ家の女性たちの手紙から知っただろう。

　ある砲兵隊隊長が一度、夕方この家に勇気を出して入っていって、エヴェリンに対する恋を伝えた。（エヴェリンはこの間中ずっと壁にかかっているアルヴィンツィの肖像画を眺めていた、それは緑色のズリーニ姿（袖にスリットの入った、飾り紐つきの上着）の大貴族殿を描いていた）、非常に気合の入った命令に怒った隊長はこの住まいを去った。淑女たちは翌日家族の宝石を積み上げた（ちょうど家にあったので）、彼女たちは知事を訪ね、彼女たちがこうむった傷を訴えた。この兵士は拘留され、やがてボスニアに移された。将校団ではこの件はこう説明された、Ｐ隊長はこの日練兵場で落馬した、それもよりによって頭のてっぺんから。従卒が家へ連れ帰り、ベッドに寝かせた。氷の湿布を当ててしばらくの間は落ち着いて寝ていたが、砲兵はやがてシルミア産（現在のセルヴィア・モンテネグロ、ボイボディナ自治州内のスレム地方）のスモモのパーリンカを求めた。心配する戦友たちは初めはコニャックかそれ以外のリキュールでＰをだまそうとした、家にはたまたまパーリンカがなかったためである。Ｐはリキュール類を飲んだが、どれにも強情に頭を振った。

　「もし君らがシルミア産スモモのパーリンカをくれないなら、良くない結果になるような気がする」彼は繰り返した。

　連隊の獣医がある引退した老商人を知っていた、彼のところで本物のシルミア産スモモのパーリンカを見かけたのである。さて、一人の陸軍中尉が出発し、勝利を得て商人の贈り物とともにもどってきた。

　隊長が正しかった。彼は夕方には頭から湿布を投げ捨て、そして最後の一杯を飲み干したとき、起き上がって着替えした、パルジャイ[７]でのビリヤード・ゲームの敗北ほどの問題もなかったかのように。彼はすでに照明が灯っていた遊歩道を散歩した。このとき文房具屋のショーウィンドウの前でゼルドヴァーリ・エヴェリンが目に入った、彼女は流行の英国製の便箋類を眺めていて、妹イザベッラのために赤い燕尾服のきつね狩の絵柄の便箋を買うか、猟犬の絵柄にするかためらっていた。二月の夜だった、そして便箋類はショーウィンドーの白霜に覆われたガラスの向こう側で少し湿って波打っていた。この出来事のそれから先の部分をわれわれはもう知っている。かつてのシルヴェステル氏は何年もの間繰り返しゼルドヴァーリ嬢たちに、隊長が町に足を踏みいれたときはすぐに知らせろ、と注意していた。

　年月はかく飛びさった。

　若さは一人の遠くで生きている男への祈りにただ過ぎ去った。エヴェリンの髪はどれもより金色になった、そしてアーモンドのような細い目はますますヴェールの下に隠れるようになった。一羽の小鳥の爪の跡が一度の口付けの思い出のように額に現れた。彼女の顔は日一日と冷たい水の香りがするようになった、熱がそれ以上は誰にも出会うことの出来なかった唇から暗いブラウスの下にすべり落ちた、髪型は年ごとに冒険的な巻き毛を失っていった、額の上でほとんど異なる生活を送っていた巻き毛は、耳のわきと首すじで子供時代のわがままを忘れ、人生勉強を努力して得た、そして秩序に慣れ、髪の姉妹を涼しくなでた。そしてエヴェリンが、女たちがダイヤモンドに誇りにするように誇りにしていた手は、ある年小さくなった、しわがその上を攻撃してきた、３ヶ月めの終わりになる度たいそうたくさんの小銭を数えなくてはならなかったので。一年にたった四度だけこの手は真新しい天使の顔の紙幣を相手にするのだった、それらはエヴェリンが触れることでほとんど香り高くなった。

　イザベッラは全てにおいて姉の例に倣った。

　アルヴィンツィは、昔の冬の午後の例にならって淑女たちにガボットを一曲踊ってみせてくれないかと提案した、エヴェリンはヴェルサイユの風景画で飾られた時計のひもを引いた、それは小テーブルの上で静かに音楽を奏で始めた。アンティックの家具は明るい灰色の敷物の上のおのが場所を明け渡した、そして令嬢たちが心軽く、恩義に報いたいそして喜んで役に立ちたいという一心で互いの腰を抱えたとき、昔のゼルドヴァーリたちの不鮮明な写真（まるで思い出のために他の世界から写真が送れらてきたかのように）は、緑色のズリーニ姿のアルヴィンツィと同様に腰をかがめたのだった。もちろん彼女たちはたっぷりとしたスカートを身につけ、そしてさらにアルヴィンツィが決して若い時代を忘れることのないような衣装を着たのである、信じたまえ、世界の流行は今もなお、彼が二十歳だったときと同じだったのだ。たっぷりしたスカートは翻り、そしてダンスの間ものを語った、白い靴下の上品な足には思い出の本の感傷とともに靴下止めがはまっていた、その上には白い絹の小さな「Ａ．Ｅ．」という文字が金で縫いつけられてあった、一方靴はマリア・テレジアの、１７４２年に宮廷の舞踏会で踊ったあのかかとの高い、留め金のあるサンダルをお手本にしていた。甘ったるい音楽、ゼルドヴァーリ家の淑女の顔には、首にかけたメダルの中にあるような凍りついたバラ色の微笑み、すなわち全てはアルヴィンツィ・エドゥアルドが年月の数を忘れるためにあった、老いた紳士たちが何度も過ぎ去った世紀の思い出を、少なくとも彼らの家ではときを立ち止まらせることに成功した芸術の宝庫を身のまわりに集めるように。男がある一定の年齢に達したとき、思い出は現実より人を幸福にしてくれる。健康で性急なまなざしは過ぎ去っていくかもしれない、だが親切で、苦痛な、あるいは疲れさせる体験は思い出にもらったお祈りの本同様、誰もとり返すことは出来ない。

　踊りの終わりとともにアルヴィンツィは立ち上がった、そして重々しく敬意を表する許しを乞うた。まず女性たちの手に口付けし、それから額に軽く唇を触れた、控えめにエヴェリンとイザベッラのコルセットを引き寄せた。（彼は二十年前に一度このときエヴェリンの肩を噛んで、イザベッラには姉の方には決して告白したことのない一言を耳にささやいたのだった）

　「それでは伯爵夫人方には特にご希望はないのですね？」彼はたずね、別れを告げようと部屋の中央に立った。

　この瞬間隣の部屋のドアが開いた、そして手にした燃えるろうそくとともに一人の若い淑女が姿を現した。

　「マーリア」ゼルドヴァーリ家の淑女たちが揃って、幾分かの憤激とともに叫んだ。

　マーリアと呼ばれた若い淑女は当惑してドアのところで立ち止まった。手にした赤いろうそくがゆらめいたが、それは驚くほど白い顔をよく照らし出し、そこからは魅力が湧き出しているように見えた。白い上っ張り、暗い青の服と黒い髪、一瞬の間に怠惰で、鉛のような瞼を上げることを強いられたアルヴィンツィは、それから再び床に見入った。

　娘は、まるで大きな過ちをしでかしてしまったかのように、走り去った。

　「あのユダヤ娘は誰です？」アルヴィンツィは少しするとたずねた。

　「親戚です、修道院の学校に通っています、ポジョニには誰もいないので、私たちが預かっているのです」エヴェリンが答え、暗闇の中で少し赤くなった。

　「とてもよく気のつく子なのです」イザベッラが弁解した。「間違いなくろうそくをつけたかっただけなのですわ」

　アルヴィンツィは静かに腰を下ろした。

　「名前は？」五分後に彼はたずねた。

　「ヴェツェラ・マーリア[８]」エヴェリンが微笑みながら答えた。

　「本物のヴェツェラも少女時代はああだったのかもしれない」

　かなりたってからアルヴィンツィはもぐもぐと言いながらゆっくり出かけようとした。

　「不思議だ・・・まるで今年はカーニヴァルなどないかのようだ」

　エヴェリンは今やアルヴィンツィの腕に指先で触れた。

　「もう一分のご辛抱を、親愛なるご親戚。あなたの老秘書、シルヴェステル氏のことを私たちは長い間信頼できる騎士道精神のお手本のような方だと存じていますが、若干の不満があります」

　アルヴィンツィの顔が曇った。

　「それで？」彼はうなるように言った。

エヴェリンは部屋から急いで出て行った。一分後には枝のついたろうそく立てと共にもどってきた。彼女は敷物をつま先立ちでわたって、ろうそく立てをテーブルに置いた。一束の四角形の手紙が手の中にあった、それは薄紫色のリボンで束ねてあった。

　「これがあなたの秘書の最近のお手紙です、あなた様、この意味が私どもにはわからないのです」

　アルヴィンツィは退屈した動作でテーブルの上の手紙の群れを押しやった。

　「中身は何です？」

　エヴェリンはアルヴィンツィの目をきっと見入った。

　「愚弄です」

　「それはあり得ない」アルヴィンツィは落ち着きはらって答えた。「私のところの者が女性を愚弄するなどありえません」

　エヴェリンは手紙の束の中にあてずっぽうに手を伸ばした。

　「読んで、イザベッラ、あなたの方がうまくアクセントをつけられるから」

　イザベッラは前かがみになり、慎重に金色に光る薄紫色のインクで書かれた手紙をほどいて広げた、そんなインクで高位の僧侶たちが署名するのである。彼女は四分の一秒ほど文字を見つめた、その間人差し指を唇の端に当てていた。

　「尊敬する伯爵令嬢、

　親愛なるわがパトロン！

（アルヴィンツィは賛同してうなずいた）

　私が最後の手紙を送ってから、ここでは雪が降りました、そしてお年寄りたちの予言によれば、もしこれからも寒さが続くようなら、われわれは遠からずペストからブダに行くのにドナウを歩いてわたるでしょう・・・。

　そして私は今に至っても伯爵令嬢、私の一番美しい夢であるあなたを忘れることが出来ません、もしニケフォロス神父（この人の効力のある仲介については伯爵令嬢もおそらくご存知でしょう）が私のために少しばかりお祈りを唱えてくださることがかなうならと、半ポンドの黄金をラーツ寺院[９]の堂守りに約束してからすでに多くの日々が過ぎてしまったのですが。私の憧れが燃え盛っているからです、伯爵令嬢、あなたを忘れるなんて。私は火事になった家に横たわり、そして炎がすでにドアをなめているように感じているからです。友が私のために祈ってくれても無駄なようです。

　二つの目、この二つの暗い井戸よ、わが命よ。回廊とさびしい庭の間をつなぐ小道で、それが一尋もの厚さの壁を通して私を見つめ、探り、注意し、うかがっています、私が何を考えているか、あるいは一人でいる間何をしているのかと。

　私が頭をたれると、突然あなたの声が聞こえます、伯爵令嬢、あなたがいつもこの声で話している間、それは人生で一度、初めての忘我の幸福の中で女性たちがもらす声に似ています。

　あれ以前は髪の一筋一筋が人間の肉体という邸にいる特別な親戚たちのように生きているのだとはゆめ思いませんでした。彼女らは伯爵令嬢、あなたの肉体の上の美しい姪たち、品のよい未亡人たち、熱烈に熱い吐息を吐く義妹たちなのです。

　降雪の中、私はあなたの上品な姿を探します。まるでしばしば遠くで姿が消えるのが見えたかのように、その後を追って急ぎます、そしたらやはりあなたでした、合図をしよう、手招きしよう、眼差しでなだめよう、とやってきました、そして私はその後を追って走ります・・・・・

これが初恋でないなら、何だというのでしょう、伯爵令嬢、私の愛しいタカよ・・・

 

　アルヴィンツィは声を出さずに笑った。

　「そして署名は！」

　「ただシルヴェステルとだけ」イザベッラが答えた、そして期待とともに手紙をアルヴィンツィに差し出した。

　タタール・ハーンは静かに自分から紙の束を押しやった、ため息をついたかあるいはあくびした。

　「もしあの黒い目のユダヤ娘にどこかの学生が書いたというなら、このお頭(つむ)の狂いよう

も理解出来たでしょうな。どちらにせよシルヴェステルの頭の中を洗ってやりましょう」

　その後アルヴィンツィは（おそらくもう大分昔にラブ・レターのことを聞いていたので）他のときよりは暖かくポジョニの女友達に別れを告げた。繰り返し彼女らの髪に口づけした。

　「なんとよい匂い」彼はもぐもぐと言った。

　緋色の郵便馬車が家の前から走り去ったとき、ゼルドヴァーリ家の女性たちはカーテンの背後の自分たちの立ち場所を去った。別々の部屋に引っ込み、そして十分な量のモルヒネを腕に注射した。そしてこのときかなり幸せだった。

　夜の国道を、たいまつをつけた騎手たちを従え、緋色の郵便馬車は急ぎ進んだ。アルヴィンツィは夜でも旅するのが好きだった、冬の夜、誰一人国道を通るものないときに。

彼は毛皮に、毛並みの柔らかな毛皮に王のようにくるまっていた。彼がアルジに偽シルヴェステル、すなわちレゼダ氏の手紙のいきさつを告げたとき、法律顧問はアルヴィンツィと向かい合って座っていた狭い座席で陰鬱に頭を振った、

　「これはゆすりです、御前。立派なハンガリー語では、初代の老シルヴェステルが養成したもののことをゆすりたかりといいます」