第九章　憂愁の夜会

 

　歌劇場ではコマーロミ嬢の出演で「ドン・ジュアン」がかかっていた、そしてアルヴィンツィはお供と共に一階の二つの桟敷に陣取っていた。（一般に彼はそれが男であれ女であれ、話すべき用件のある相手が隣の桟敷に座っているときだけ、劇場にやってきた。彼がひたすら体を丸くちぢ込ませ、一見寝ているように見える間、隣では楽しくやっていた、すなわち彼の友人たちと信奉者たちは役に立ちたい一心で、その夜招待された淑女たちとあやうくダンスを始めるところだったのである。彼は主人だった、仕える者たちに愛人たちにお世辞を言わせた。崇拝者たちに自分で支払っておきながら、最後にはその淑女の腕をとり、そして誘惑するつもりなど全くなかった、と誓うのだった。鳴り響く黄金で支払っている間の彼は、永遠の責め苦と肺腑をえぐるような苦しみを提供していたのだった）

　一階ではレゼダ氏とクローンプリンツ家の人々が座っていた、その公演の後は彼らもカジノの特別ホールでのアルヴィンツィの客人だった、タタールのハーンはそこでかなり大がかりな社会的運動を開始することを約束していた。

　レゼダ氏は、ブダに引っ越してからもう長年オペラに行ったことがなかったし、橋の上のドナウの風を怖れていた、彼の確信によるとそこではいつかは帽子と共に飛び去ってしまうのだ。彼は自分のフロックは、婚礼の宴に控え室で食事し、花嫁が新婚旅行に出発する前に存分にキス出来るのを飢えた目つきで待ち受ける、遠縁の縁戚たちのそれのように、いささか古めかしいと感じていた。彼ら自身間違いなく家人ともどもその親戚を知らないのだが、婚礼には喜んで参加するのだ、そこでは花嫁の付き添い娘たちのパーケールとローズウォーターの香りがしていた、彼女らの足には新しい靴と靴下があり、結婚の証人は何日間も口ひげをひねり、そして喜びの母は喜んで道端の木とさえキスしあう。こんな場所では通常の混乱の中でどれほどずぶとく女たちをからかっても、ひっぱたかれる男はいなかった。

アルヴィンツィは彼からクローンプリンツ嬢をひったくるためにこの「フェミニストの夜会」を手配したのだ、とレゼダ氏はしっかりわかっていた、だが彼は人生ですでにもっと大きな危機の数々にも抵抗してきたのである。女たちとてどうして一度これを楽しんでいけないのだろう、何日も、それどころか何週間もちゃんとふるまってきた、ブダから動かなかったし、そして全ての手仕事を終わらせてきたこのときに？

「女の忠実さを試すことは少しも害にはならない」彼は一人で考えた、つい最近までならまだ、そのような試みに縮み上がったことであろうが。われわれは試すことなく女たちを信じている、硝酸に溶けないのは黄金だけだからだ。彼女たちが一人で何を考えているか、そして一人でいるときどんな振る舞いをするか、知りたくもない、彼女らは新しい服のことだけ考えていて、その場をひっかき、逃げ去った恋の墓を掘るか、遠くにいる男たちを夢に見ているのだと、決めてしまおうではないか。

クローンプリンツ家の淑女たちはまっさらの服で現れた。（彼女たちは食事中に着替えを始めた後、絶対にパイの味見するようにとレゼダ氏をテーブルに一人きりにしていった。善良なるヴィルマお母さんは最後まで、ブラック・コーヒーのことを配慮しなかったことで、自分を責めていた、レゼダ氏の住まいに手紙を届けたドイツ人の一家は、さぞかしこの尊敬に値する男を蝶よ花よと甘やかしたことであろう）

ペストの理髪師と辻馬車は同時に到着した。黄色と青の馬用毛布は午後の間中、

ヴィズィヴァ(水の)ーロシュ(町)で目撃されていたが、クローンプリンツ家の淑女たちがまたペスト

にお金を落とそうとしていると非難する者はいなかった。賢いレゼダ氏の同意のもとにこ

とは起きている、それなら問題はない（グラーツィアースはブダ人としての権威からレゼダ氏にたくさん貸してくれた。この友情ゆえに喜んで地区の銀行の口座が開かれたことだろう）

コマーロミ嬢の黒いふさ飾りのついた、明るい青のスペイン風のスカートは最後には幕の後ろに姿を消した、そのときヴェンデーグヘジ・アルジャーノンが一階の桟敷に鳴り響く声をかけた。

「行く先はカジノの白い部屋です」

つまようじたちは白いチョッキのポケットの中から覗き見しようとした、そして同じポケットの中にはスプーンとセットになった狩猟用ナイフもあった。健胃剤はフロックの中に、そして魂の中にはブタ殺しの祝宴（農場でブタを屠殺したとき客を招いてその肉をふるまう宴）にそりを走らせる村の旦那衆の胸にあるような希望、待望、計画があった。

「さあ淑女がた」レゼダ氏は言った。

クローンプリンツ嬢は何事か思いついた。

「ママ」彼女は真剣な声で始めた。「お願いだから、食べ過ぎないでね。太った老婦人なんて悪趣味な光景よ。ペストでは、もし太ったおばあさんと連れ立った若い女を見かけると、人はすぐ悪い方へ考えるのよ」

ヴィルマお母さんは顔を曇らせると何度もうなづいた、そして保護を求めてレゼダ氏の腕にすがった、彼は内緒でその手を握った。

「われわれの娘は今日は機嫌が悪いようですね」レゼダ・カズメールはわびるようにつぶやいた。

「でもとてもきれいよ」ヴィルマお母さんはつぶやいた。

　クローンプリンツ・イルマは実際この夜光り輝いていた、大きな役を前にした女優のように美しかった。

額のカールは生きているように見えたし、まなざしは濡れて夢見るようで花嫁のように物思いに沈んでいた。裾を引いた白い服を伯爵夫人のような熟練と優雅さでかかげた。肩はスグリのかん木の上の初雪のように柔らかだった。むき出しの首ではふさふさと生えた髪が、時刻が朝方になり、ベッドで心地良い夢の後にだんだん目が覚め、夢の中では金髪に見えた髪を手の平で撫で付けたときのように、半ば平たく、半ば渦巻いていた。服の下からのぞく白い靴を履いた足は、フォックス・テリアの二本の前足のように見えた。この小さな足は今夜注意深く、そしてあがっていた。輝ける、待望の広い世間に向かって出発した後、一体どこまでそしてどこへ行くのであろうか。

ポジョニの淑女たちは黒い、カットワークの刺繍のある服で「フェミニストの夜会」に現れた。小さな少女ヴェッツェラはアンズの花の色だった。シルヴェステル氏は白いホールでも、彼女たちがテーブルにつく前、今まで主にまかせられて付き添ってきた汽車の中でのように注意していた。ゼルドヴァーリ伯爵夫人たちは、胸の左側にある種の十字架の形の記章を身につけていた、それは星十字騎士団[１]のそれに似ていたが、上流階級の善意の団体の記章にすぎなかった、それは寺院建築とともにゼルドヴァーリ家の淑女たちが考え出したのだった。

この小説の注意深い読者らはこの一行全員をご存知だろうが、狩猟服で丸いひげの、無口な男のことだけはそうはいかない、アルヴィンツィは彼をヘンリクという名前で紹介し、この英国紳士は今夜、狼狩りをしていたマーラマロシ山地（現ルーマニアのマラムレシュ山地）から到着したが、途中のどこかで手荷物が遅れたのだとつぶやいた。

レゼダ氏はおしの英国人をじっと見た。

「それでこいつはまたどんなつむじ曲がりですかね？」彼は友人、偽シルヴェステルにたずねた。

「私の思うに、大金持ちの変人の旦那だね、御前の友人だよ。間違いなく、ロード（卿）だ。ヴェニスの公爵の名詞と一緒に名詞を出してきたんだ」

　レゼダ氏はすっぱい顔で肩をすくめた。

　「こいつも、バッチャーニ・エレメール伯が保証人責任でほとんど全財産を支払ってやった、あの謎めかしたイギリス人のようなペテン師でないというなら、私はもう二度とラーツ寺院を目にすることはないでしょうよ」

　ホールでサークルを作ったあと、ほどなくアルヴィンツィがレゼダ氏の腕に触れた。

　「食事の後、あなたを信頼して一言二言話がある、わが友よ」

　レゼダ氏はそ知らぬ顔でアルヴィンツィのシャツの黒いダイヤに刻まれたブリリアント・カットを見つめた。

　「ご命令のままに、貴き方」

　「この英国人は・・・」アルヴィンツィは始めたが、すぐに口に手をあてた、そして目に見えて落ち着かない様子で腹を立て、やがてゼルドヴァーリ・イザベッラをテーブルに導くために、ゆっくりとした歩調で進んだ、一方シルヴェステルはもう一人のゼルドヴァーリの淑女に主より少なからぬ威厳をもって腕を差し出した。この後にクローンプリンツ夫人がレゼダ氏とともに、イルマはヴェンデーグヘジ・アルジと、ヴェッツェラ嬢は重要人物の英国人とともに続いた。

　侍従が隣室の両開きのドアを押さえていて、そこからアイロンのきいた、たいそう清潔な服のボーイたちが宴の料理を運び始めた。

　「祖国のために！」しきたりどおりにアルヴィンツィが言った、この後指貫位の量のワイン（国王のマードの貯蔵庫出の）を飲んだ。

　「祖国のために！」アルヴィンツィは、杯を置いたとき繰り返した、そしてレゼダ氏の方に向きを変え、強い調子で言った。

　「残念ながら、「フォートの歌」[２]はハンガリーでは日一日と歌われなくなっている。国の理想はしぼんでいくのだ」

　カズメールは古いしきたり通り大きくうなずいた。

　宴ではそれ以上さまざまな料理の消化以外のことは起きなかった。アルヴィンツィは自身の手で猟の獲物を切り分けた。アルジののどに指一本位の骨がささり（魚のキノコ詰めから出たものだった）、一同全員の活発な興味の的となりつつ彼は二本の指でそれを口頭蓋から引き抜いた、そしてこれ以後彼の通常の快活な気分はくもってしまい、一度も目をテーブル掛けから上げることなくため息をついて、盛られた皿の中身を腹に詰め込んだ。ゼルドヴァーリ嬢たちは、家族の油絵のように身をこわばらせて儀式ばって座っていた、そして最大級の儀式遵奉ぶりでアルヴィンツィにトレンチェン王城県（現在のスロヴァキアのトレンチーン）で作られたかつての昼食を思い出させた、シルヴェステルは隣のクローンプリンツ夫人に、彼はこの祝祭の宴席の友人ではなくて、ケレペシ通りのミアキチュの店のような小さな居酒屋で食べるのが好きなのだと何度も話した、娘が自殺してからというもの、もっぱら居酒屋で、単純な人たち、貸し馬車屋たち、行ったり来たりしている地方の人たち、白い頭のペストの老赤帽たち（三十年前にフロックコートを質屋に持っていった）、国立劇場の赤い制服の執事とそのほかの尊敬に値する人々と群れて、彼らの話に長々聞き入り、そして彼らとの知人付き合いは本物のシルヴェステルから伝統を受けついだのだと。最近もアルヴィンツィの秘書は国立劇場の執事とその友人たちに、村に住むペスト人たちが日曜の午後ヤギ・レースを開こうとしていたラーコシセントミハーイ（ペスト側の外西部、現在の１６区に属する居住区）に招待されたのだった。

　「残念ながら、年のせいで町からそんなに遠くに離れることは出来ません、幹部にも推薦されたんですがー」シルヴェステル氏はぶつぶつと言った。

　同様にミアキチュでは昼どきになると、死んだ本物のシルヴェステルの友人が（すなわちクレイス・ベーラ伯、ゼッファー・ラースロー、ポングラーツ・ベーラ（新聞記者で詩人　　　１８５９～１９０４）、セレシュ・アドリアン、リビアンスキー・ヨージェフ、日曜ごとにインツェーディ・ラースローやその他の名高い愛国者たちが）ケレペシ通りから現れ、一杯のビールかジョーク一つに飛び込んでいたものだった。（そして昔そんなときにヘンツィ[３]像の爆破がここで話し合われていたのだ）

　クローンプリンツ夫人の左側にはレゼダ・カズメールが席を占めていた、彼はヴィルマお母さんに食物をすすめて食へと勇気づけるのに失敗していた。ブダの男はこれなしのカーニバルの夕食は想像できないという七面鳥のためにちょっとしたスピーチをやってのけた、「冷たくとも王たちの別荘の朝食用の料理」。イルマは何度かやぶにらみの目で母親をじっと見つめ（皿が新たに一杯に盛られるたびに、それをレゼダが隣の婦人と共に片付けた）、その目にはある種の軽蔑が現れていた、しまいにはカズメールの雄弁の才能が勝った、彼はそれを、両親が彼を修道士にするつもりでいたとき（というのも彼が親戚の女たちをみな婚約者とみなしていたので）、カロチャ（ブダペストの南約９５キロのところにある小さな町、民芸品の刺繍で有名）のイエズス会で学んだ。ヴィルマお母さんは目を伏せ、台所で湯気をあげる料理の香りだけで満腹してしまって、食卓でそれ以上食べることが出来ない女性たちのように、静かに、気づかれることもなく、申し分なくお腹いっぱいになるよう努めていた。

　クローンプリンツ・イルマは主婦の役目を果たすゼルドヴァーリ・イザベッラの手配の結果、アルヴィンツィの隣席ということになった。

　この夜一本のしわがイルマの額にあった（それは彼女のその後の人生にもしばしば現れた）、鼻はまるで永遠に臭いのあとを追っているかのように、明敏で注意深かった。まなざしは一見夢見るようだが、火星の住人がそれで地上にニュースを送ってくる光の信号のようなきらめきが、しばしばその目の暗い鏡の中で現れた。

　彼女のカールした髪の黒い光の中にレゼダ氏は、かつて他の女たちのために生きるよりは、彼女ゆえに人生で何度でも自殺したいと望んだ昔の女の高貴な顔に見たような秘密めいた、神秘的なアブラカダブラのピカピカする線を見た。

　アルヴィンツィが彼女に話しかけている間、イルマの頭はやわらかく、子供っぽく、注意深く前かがみになる。その上、隣人がしっかりとそして考え深く説明している間の、レゼダ氏への内緒の、長く忘れられていたらしい流し目。（それが触れることで一人の男を最後の最後まで不安にすることだけを使命としている）非常に白い、愛らしい手に、ルビーの指輪が翻る、彼はそれを男たちのへつらいの会話に対抗するまじないだとみた。どれもこれもレゼダ氏に昔の女を思い出させた、半ばまで事実から積み上げられた何かしら忘れられない夢のように、この相似はそれほど彼をかきたてた。そして額のしわ、それはもう一人の女にも同じ場所にあったが、心配げな注視を意味していた、それで（レゼダ氏がこのかつての淑女を自身の内で名づけたように）「聖女となった人」はあるときはちっぽけな小銭を思慮深く分け、またあるときはレゼダ氏の件、問題、苦闘のことを考えた、そして常に正しい道を見つけることが出来た。

　「汝、言い表しがたい価値のある、神々の金細工師の線で築かれた、肉と骨から成る宝石よ！」カズメールはくるみのクレープに向かってつぶやき、その間ヴィルマお母さんは穏やかな表情でナプキンにささやいた。

　「そんなに好きなの？」

　カズメールは、今昔の女性のことを、シャンパン・グラスの中に昔の女が夜やすんだふとんの香りをはっきりと感じたほどに強く考えていたことに気づくことなくゴクンと飲みこんだ。「幽霊になって、夜のこの遅い時間に、彼女が膝を丸めて仰向けで寝ている家の中に鍵穴から入り込めたら、どんなにいいだろう」カズメールは考えた。

　アルヴィンツィの傍らのイルマは、女の日常の本能で、恋人の心の中に何か問題があることを感じ、これに対してテーブルの下で靴でカズメールの膝に触れた。（レゼダ氏はこれ以後は幽霊の不確かな人生行路を望もうとはしなかった）

　アルヴィンツィはイルマと何を話しているのか？

　アルヴィンツィはどういうわけだか全く理解不能なことに、彼の気まぐれな思考世界においてもセンセーショナルなテーマを発見したのだ。女性問題について、フェニミズムについての対話が続けられていた。アルヴィンツィは、自分がどれほど女たちの運動の忠実な僕であるかを何度も公言した、女たちは通例男たちよりも理性的だからである。彼女らの全ての要求をかなえるべきである、女たちが指揮をとり始めれば、すぐさま国にはすぐ秩序が生まれるだろう。

　クローンプリンツ・イルマは突然さけんだ。

　「彼女らには何も与える必要などありません。何も、何も・・・」

　このときの彼女はエジプトの女王クレオパトラのようだった、レゼダ氏は認めた。

　ミスター・Ｈとヴェッツェラ嬢は無言で隣あって座っていた。円形ヒゲの狩人は灰色の目を落ち着いて隣の女に、ポジョニの叔母たちの弟子に据えていた。令嬢もこの集まりの一員ではないかのように、外国のホテルの大食堂で見知らぬ人々の間に座っているかのようにもの静かな立ち居ふるまいだった。

　「そのスモモをいただきたいですわ」彼女は昼食の最後に英語で言った。

　ロード・Ｈは腕を黄金の器に伸ばし、素晴らしいスモモをＶ・マーリアに差し出した。

　少女は二つを自分の皿にとった。それから一つをつかの間の微笑みと共に英国紳士の皿に置いた。ロード・Ｈの青白い、激しい浮き沈みの跡が見える顔を、ベンガルのマッチの炎の煙のような（消えた後、その場は前よりもっと暗くなる）赤い光が通り過ぎた。

　この食事には、終了前にもう一つの比較的小さな出来事があった。すなわちシルヴェステル氏はすでにキノコ詰めの魚で例のない渇きを覚えていて、ワインを注いでまわっていた軽騎兵に何度か目配せして、やがてコシュートの顔の紙幣をその手に滑り込ませた。

　彼は焼き菓子のあと目配せを繰り返し、そっと人差し指と親指の先をこすり合わせ、何かしら意味ありげにうなずいた。彼はこの儀式に続いてクレープの後に突然、星空を見ることを思いついた、ゼンプレーン県の大判事、あのバルトシュ・ヨージェフからならった歌をどうしてもハミングしなくてはならないからである。クローンプリンツ夫人に、その歌がとても短くて、中にはガラスの馬車とある地方判事についての言及があることをささやくことが出来る。これ以後は言葉に行動が続いた、ブラック・コーヒーのときやっと老シルヴェステル氏が再び現れ、彼は用事をちゃんと片付けた人のように大層満足してブラックを飲み干した。

　「なんでもかんでも思いつくのは良くないな！」まるで誰かにたずねられたかのように、彼は一人でつぶやいた。

　歴史に忠実であるために、ヴェンデーグヘジ氏が彼の長い沈黙を偶然にも彼自身賞賛し始め、疑わしげにチーズの外皮にうなずいたこと、これでわれわれはアルヴィンツィの宴についての全てを述べたことを覚えておこう。

　ブラック・コーヒーとリキュールは隣の部屋で注がれた。同様にそこでも小テーブルにはかのおとぎ話の葉巻の箱があった、それらのうち何本かはキューバ共和国の指導者の手書きのイニシャルで保障されていた。

　レゼダ氏は退屈して、アルヴィンツィが彼を信頼した上で話したいと要請して一隅に引き寄せたとき、一本の黄金赤のふちの、黒い棒に噛み付いた、そこには一台の小テーブルの上にアプリコット・ブランデーが鎮座ましましていた、それはカズメールが薬代わりに飲むことにしているものだった。今日の彼は正常なときよりも具合が悪かった、そしてアルヴィンツィが口を開く前に、落ち着かないはらわたに三杯流し込んだ。

　「こいつめ、わかったぞ、ケチュケメート産だ」彼はしかるべき驚きとともにつぶやいた。「このパーリンカ、これの効果ときたら、誰かの愛人がしまいに秘密の敷石から出ていくとき、庭の新雪の上に残す愛しい人の足跡に似ているぞ、そして格子つきの小さな門はどこかうんと遠くでドアが閉じられたみたいに、きしみながらガシャンとしまるんだ」

　「ばかな真似はよそう、尊敬するわが友よ」アルヴィンツィは答えた、その間彼は少し大きめに作られたズボンで、光らないボタンつきの靴を履いた足を互いに交差させて慎重にへり下っていた。（彼の意見によればエナメル皮の靴を履くのはつまらない女たちと女優だけだった）

　「ばかな真似はよそう」陛下の黄金拍車の勇者で、上ハンガリー（３１ページ参照）の領主アルヴィンツィは繰り返した「人生はシューバの襟のように、真剣なものだ」

　レゼダは頭をふって一杯の小さなグラスを空にした。（おおむね誰もこの閣下と議論することが出来なかったので、彼はしばしばアルヴィンツィにさからうことを好んだ）

　「人生はひとつの途方もない出来事です。聖アウグスティヌスのように生きなくてはなりません。まっとうな人間は若いときを、追いはぎと女たちの誘惑と耳飾を盗むことで過ごし、その一方で骨がバラバラになりながらも聖人たちの輪にたどりつこうと努めるのです。私の理想は聖アウグスティヌスです。ただ私がまだ若いのかどうかは、はっきりしないのですが」

　アルヴィンツィは尊大にレゼダ氏をじっと見つめた。

　「あなたは同時代人たちがあのフランスの作家を呼んだように、「悲しきブタ」だな・・・」

一体女たちにいつも何を期待している？私を見たまえ・・・私は一人二人の例外を別として、彼女らにはもうとっくにうんざりだ。とりわけ他の連中を愛している女たちはきらいだ。

　大部分の女は最後には金で片をつけて、それから忘れざるを得なかった。われわれがその抱擁、腕の温かさ、膝で特別に鼓舞してくれたこと、恋のさ中のハミングする声を、人生の最後まで忘れることが出来ないような女は、非常に稀だ。

　そして一体どこの女に、いかなる権利で、われわれだけに好意を持ってくれ、終夜灯のもと、聖人画の下でわれわれのためだけに、われわれがそこで眠りたがっている白クマの皮で新たな恋に目覚めよと祈ってくれるなどと仮定出来るんだ？その声はわれわれのためにだけ歌を口ずさむのかね？彼女の髪がふさふさしていること、足の曲線あるいはコルセットにしめつけられた腰の蒙古班を知っているのは私だけか？違う、尊敬するわが友よ、女たちを誤解するな。彼女らは自分自身について、その人生について、問題について、われわれが思っているよりわずかしか考えない。私は、もし最高の美女に話しかけても、常に大層な下落としか思えなかった。彼女たちはこぶしを握りしめてきらえばいいのさ、すなわち私が彼女たちを征服しようと思いつけば、その分一層愛してくれるのだ」

何百年も前の羊皮紙のように乾いた、古い馬の皮のように歯ぎしりするアルヴィンツ

ィはこの短いスピーチの終わりに習慣通り声を出さずに笑った、そしてしばしば「魔女的だ！」と口ひげの中につぶやいた。この集まりの中を見回すと、ゼルドヴァーリ家の女たちのあがめ、崇拝するまなざしと出会った、彼女らはアルヴィンツィの宴では常に深く心を動かされたのだ。

彼はカズメールの近くに身をかがめた。

「もうシルヴェステルには、もしこのおセンチな女たちのうちのどちらかを征服したらヴィクトリア金貨十枚を約束してある。なぜ私があの無知な連中を別世界に連れて行ってやらねばならん？誰に何の得がある？他の女たち同様、彼女らも恋をし、失望し、泣けばいいのさ。尊敬するわが友よ、あなたならこの報酬を倍にするぞ」

　「もしいずれいつか退屈したら、肺に何か問題がないか年かさの方の背中を打診してみましょう。私は秋のプリムラのように色あせたのが好きなのです」レゼダ氏はうんざりして言った。

「そして詳細を報告するのを忘れないように、わが友よ。いずれあの淑女たちと一緒になる機会はどっさりある。私はかなりの大旅行を計画している。グラットフェルダー車両工場にすでに第二の緋色の郵便馬車を注文した。この一同全員を上部地方の私の宮殿に招待する、すでにラーコーツィ・フェレンツが住んでいたことがある宮殿で、菩提樹の木々は樹齢七百年ものだ。今年の冬はメドヴェ・ハーズで狩をして過ごそう」

レゼダ氏は天井に向かって大きく煙をはき、横目で煙の輪を見送った。

「あの外国の紳士のためなのですか？」彼は静かにたずねた。

アルヴィンツィは落ちつかなげに、誰かにこの言葉が聞こえていないかとあたりを見回した。

一同は愁いに沈んでくつろいでいた。ヴェンデーグヘジ・アルジャーノンはときおり何かジプシーかユダヤの逸話を始めようと試みたが、半分しか思いだせなかった。「いつか後で思い出すさ！」彼はつぶやいて、ほぼ一ダースの逸話の結末でシルヴェステル氏に借りを作っていた、彼は熱烈にこの法律顧問の話を聞いていたのである。ミスター・Ｈとヴェッツェラ嬢は壁のマドニャンスキー・ラースロー（１８５２～１９１９パリで学び風景画家としてスタートしたが、晩年は第一次世界大戦に取材した作品を残す）の秋の風景画を見ていた、それには見る側が子供のように思わず手を伸ばしたほど木の葉と幹が黄色く描かれていた。秋の道は果てしなく伸びていた、背景には北東の伝説のように霧のたちこめた山腹がそびえていた。いわくありげな緑色の狩人がこの地を行き来しており、影のさす山腹から犬たちに向かって長く、鈍い角笛を吹いていた。ミスター・Ｈは偶然にも、自分がこのハンガリーの絵画の巨匠が永遠のものとした場所を知っていることに気づいた、ヴェッツェラ嬢は無言でうなずいた。一方クローンプリンツ・イルマは、レゼダ氏が健胃錠代わりに空にしている杯全てを冷たい憎しみと共に見つめていた。

　アルヴィンツィは小声で話し始めた。

「ある大層価値のある秘密がわがものとなった、それはウィーンの友人たちの間でも大きな驚きと仰天を引き起こすだろう。私は多分この終わりかけている世紀の最も興味深い恋愛事件の中心にたどりついたのだ。このことをあえて信じる勇気もない、ことの全てがそれほどありそうにないことなのだ。もし私があなたに話したら、尊敬するわが友よ、あなたの市民的な安らぎをかなり妨げるのではないかと心配だ」

レゼダ氏はこれに対して、何であれ彼を妨げることは出来ない、彼は野人から神経を借り、耳のわきでピストルを発砲されても動揺することはないであろう、と何度も確信を深めた。彼はむちゃくちゃに手をふった。

「私はすでに凍った川で六メートルの深さに沈みました、そして何曜日だったか忘れたことだけが、しゃくの種でした。岸辺でぶらついていた紺屋たちが氷に切り取られた穴からつるはしを引き抜いていたので、水曜だと思い出しました」

「機密、国家の機密だ」アルヴィンツィは落ち着かなげにため息をついた。「ある人が一度死んだ、そして今や新たにもどって来た。おそらく生きてこの世にいるある人が葬られ、二つの国で喪に服された。誰かが秘密の、身を潜めた生活を山々の間で送っている、その人はすでにもう伝説の中にしか、おとぎ話の中にしかその名が出てくることはないと思われている。誰か存在しない人が、存在しているのだ。とはいえ死んだのだという声がある。棺おけに収められたではないかと、見た目もある。彼の心臓は音高く打っている、医者たちは亡骸に香料を詰めたはずだが。王子アルギルシュ[４]が北斗七世からもどってきて、木の幹によりかかり、星空の夜、羊飼いたちが彼についてのおとぎ話をするのを気づかれることなく聞いているのだ・・・これは重い機密だ、真に尊敬するわが友よ」アルヴィンツィはささやいた。

レゼダ・カズメールは身をこわばらせ彼の目をじっと見つめた、そして力を入れて、非常にゆっくりと言った。

「閣下、もし見捨てられた荒野の井戸のある秘密を守るのに私はふさわしくないと思し召しなら、いっそ私には黙っていて下さい」

アルヴィンツィは指をパチンと鳴らした。

「驚くべきことなのだ！私はまだこの件については話せないようだ。考えなくてはなら

ないし、一つ二つのことを確認しなくてはならない。だが時とともにやはりあなたは私の

秘密を知るだろう、尊敬するわが友よ。今はただ、女たちが何かの機会(おり)があるたびにやる

ようにカレンダーにしるしをつけておくよう頼むとしよう、そのときわれわれは旅に出る

つもりだ。ファウストの名の日（１０月１３日）に馬車は出発する」

　レゼダ氏はうなずいて、冷淡な挙措の報酬としてケチェケメート産のパーリンカ一杯に身をまかせた、その間アルヴィンツィ氏はクローンプリンツ・イルマの隣に腰を下ろし、鋭いまなざしで女たちのふるまいについて、フランス革命について話した、それについてはある尖ったひげの辺境伯から知らされたものだった、彼は八十歳代になってウィーンに落ち着き、自分のことを子供の頃ルイ十六世を膝に乗せて馬に乗せたほど年老いている、と言いふらしたのだった。

　「フランス人はほとんどスペイン人におとらずよく嘘をつきます、だからといって特に理由があるわけではないのです。東の紳士たちのように、男たちはひげをはやしているのですが」アルヴィンツィは学ぶところの多い公演を締めくくった、この後大貴族はついでに、クローンプリンツ嬢が内緒で舞台に上がったことはないかとたずねた。まるで彼女の特徴のある顔をウィーンとブダペストで見たことがあるかのようだった。

　アルヴィンツィ・エドゥアルドが全員をうやうやしく上ハンガリーの冬の旅行に招待した後、この集まりは真夜中過ぎにおひらきとなった。客人たちは異口同音に承諾し、Ｒ．Ｋ．氏は大平原のあんず（のパーリンンカ）に最後の別れを告げた。

彼らはブダに徒歩でわたった。

レゼダ氏は鎖橋で話し始めた、そこまでは内なる考えにとらわれていたのだった。

「イルマ、聞いてください。今は橋の上です、ここでは嘘を言うことは出来ません。正直に言ってください、あのタタールの首長は私についてどっさりと悪口を言ったでしょう！」

　クローンプリンツ嬢は心ここにあらずで頭を振った。

　「呪われたやつめ、あなたにずっとかかりきりだった」レゼダ氏はうなり続けた。「その

家(や)の主(あるじ)が一人の客を特別扱いするのを私は好みません。真の紳士たるもの、全ての客人

に分け隔てなく接しなければならないのです、アルヴィンツィはいつだって無作法で半き

ちがいでした。彼が一人で何を考えているか、わかりますか？自分は「あるハンガリーの大富豪」[５]のカールパーティ・ヤーノシュだと考えているのです。酔狂でばかげた人物です。冬の山中で何を期待しているのか、ろくなものではありません」

イルマがレゼダ氏をなだめようと、そっと右手から手袋を引き抜き、優しくレゼダ氏の手をとらえ、長々とため息をつくと男の手を腰に押しつけている間、クローンプリンツ夫人はこの嫉妬の場面の間、何歩か先を歩いていた。毛皮のコートにはポケットがついていて、カズメールの手はすばやくその中へ這い登った、そしてその後彼らは家までたまにしかささやき声を交わさなかった、それをここに書いてもむだである、読者はきっと理解出来っこない。

（一体誰にわかろう、レゼダ氏のこの言葉は何を意味しているか。

「睡蓮の花？」

後になってからクローンプリンツ嬢がビミーについて思い起こしたことである。

ビミーとは誰で何なのかしら？～人かしら猿かしら！そうでなければ多分ただの奇妙な言葉で、その重要さを世界で二人しか知らなかったのかしら？思い出の一つかキスのチュっという音なのかしら？

女たちが皮の紙入れとハンケチに、靴下止めと時計入れにあらゆる種類の秘密の言葉を刺繍し、それが時とともに汚れてきて、無くなってしまい、滅びてしまうのは、何というありがたい運命のはからいであろうか。おじいちゃんの年になって、一体誰がかつては一人の女の番犬だと名乗ったことを恥じずにいられるだろう？

夜レゼダ・カズメールは礼儀作法が許す限り何度もクローンプリンツ家の周りをまわった。

女たちの部屋には長い間照明が灯っていた、彼女たちは話しあっていたのである。彼は目を開けていようと決めた。