第六章　最後のニヒリスト

　新聞記者でありドナウ地方の行政に対するダントンとロベスピエールの代理人たるボニファーツ・ベーラは、ある日最大の困難という価を払ってブダからペストにやって来た。

　彼は当時山々の間に、溶けかかった雪と刺すような三月の風の中で住んでいた、天候が冬の森で死んだ小鳥たちの死骸を、白い足とすみれの香りのするうら若い淑女たる春の女から隠しているだけでなく、最大の情熱をもって人間たちの間にも秩序と廉直を広めようと努めているときのことだった。冬になるとセキをし、そして夜の雪嵐とともに不安で眠れない思いをする重病人たち、カビの生えた気管、弱った心臓、ガンになった胃と恋の熱にうなされて病んだ血は、春の芽吹く風に強力な仕事を開始する、キノコが古い水車の堤のわきに横たわる梁を消化してしまうように。棺おけが墓地に運ばれ、部屋に風が通され、そしてここに残された着古した外套、穴の開いたズボン類、色褪せた帽子を生ける者たちは古着屋に売れないものかと検査する。外の遠い町外れでは、時々一足の靴のために、全能たる自然が重病人を道から最終的に取り除いてくれと、貧しい乞食が切願しているというのに。とはいえ、すでに思考の中だけとはいえ看護婦の姿形にぞっこんだったガン患者の老人は、最近公爵閣下の注意をひきつける幸運に預かったあの若い侍女のように、苦しみに汗を流した床を放棄したくはなかったのだが。死神は春には、近づいてくる夏の美しい花のために牧草地に、野原に、人間の死体を肥料に与えようと、市町村でおおがかりな散歩をするのである。

　墓地の下、地下深くには間違いなく下水管があった、そして王女たちの美しい目、街の女たちの胸、学者たちの脳みそと詩人たちの心臓が、美しい花に、ひまわりにあるいは　　　の野ばらのかん木になろうとして遠くの牧草地へ、庭へと流れ出していた。君は今日はまだ唇で美しい恋人のうなじに触れる、そして君の手は緊張にふるえながら温かい下着に延びる、明日にはこの心臓をどきどきさせるものはラーコシパロタ（現在はブダペスト郊外の１５区の住宅、工業地帯だがこの時代はまだ村）のある百姓の菜園でハトの砂袋の姿で生き続け、そして洗練されていて熱心なグリュック・フリジェシ（「ホテル・パンノニア」のオーナー　セメレ・ミクローシュを始めとして多くの著名人が長期宿泊している）が、ブリヤ＝サヴァラン（ジャン＝アンテルム・ブリヤ＝サヴァラン　仏の有名な食通評論家　１７５５〜１８２６）の指示通りにサラダに供してくれるだろう。君の目がもう新しい女たちの活気ある姿を捜し求め、新鮮な服の下のもっと別な物と信じていた女の部分を捜している間、君は（美食家の好みで上等の肉に添えて）そのサラダを食べる、苦いパーリンカだけが死んだ、そして消化された君の恋人に気づかせてくれる。

　これは誰でも思いつくことかもしれないが、ニヒリストで新聞記者のボニファーツ・ベーラは、茶色い小さなマント姿で〜それはバーチュカ（ハンガリー中南部セルビア・モンテネグロとの国境にまたがる地域）のかかしだって着るのを恥ずかしがるであろう代物だった〜やはり考え事に没頭していることを口実に、トンネルの税関で通行税支払いの義務をほったらかして急いで通り過ぎようと思し召した。

　番人はしかし注意深かった、そしてボニファーツ・ベーラは通行税を支払うよう無愛想に呼び止められた。

　詩人は肩をすくめ、まわれ右した。人間とはなんと愚かなのか！もし彼に金があれば、ヤーノシュ山¹の番人小屋を出てきたりはしない。まさに金の不足こそがブダからペストへ、友人シルヴェステルのところに１、２フォリント、場合によっては２３クロイツェルの借財のためやってくる原因になったのである。

　（つまり彼の計算によると２３クロイツェルなら今日一日を生きのびられるのである）

　税関の番人たちは、かつてエルベ河畔コールハーゼンブリュックの馬市場でミヒャエル・コールハース²を見たように腹立たしげにボニファーツ・ベーラのことも見た、ハインリヒ・クライスト³の本で逐一たどれるように、そのせいで戦闘の、死の、不運のそして王の悲しみの原因になったのであるが。税関の番人たちは常に厳しい人々だった、今も味気ない非人間的な法に執着したとき、ボニファーツ・ベーラ氏に対して無思慮にふるまった。確かに、誰かものを考える人間というのはおそらく首都で最も無能な人間だというのは妙なことだった、その２枚の銅貨をポケットにしのばせることを忘れたからトンネルをくぐるなだって？金持ちの子供たちは二頭立ての馬車で邪魔されることもなく、ゲレルトの丘のふもとをクリスティナ環状通り（ブダ側の現在の１区、王城の丘とそのの西側にあるクリスティナ地区の境界を走る通り）の方へガタガタ音を立てて走っていく、注意深い御者がヴァーロシュマヨル付近（同じくクリスティナ区にある一画）で馬のペースを落とし、馬車の窓を下ろし、春のやわらかい、新鮮なそよ風が中に、チーズとパーリンカを商う人々の若木に押し寄せる。老いた女たちと太った老紳士たちは、湿っぽい壁のトンネルから出たとき、ブダの山々の空気を大きく吸い込んだ、彼らの消化気管の中では、若き日々の罪の、不倫のそして食欲増進のために考え出された食事（フランス人のコックは獣、つばめのそぎ肉あるいは鳴き鳥の胃に辛みの効いたソースをそそいだ）の支払いをさせようと、おそるべきガンが陰でたちまわりながらいったりきたりしている。春の午後、奇妙なブダの家々の間で、顔のルージュの他に春の日のピンク色でも憐れな男たち、外国のセールスマンとペストの流行児たちを（彼らは恋人をマジャール通り（ペスト側　現在の�X区　マダム・ルイーゼのモデル、ピリシ夫人の家があった）のハーレムで見つけてくる）喜ばせようとマルティノヴィッチの原⁴を馬車でドライブするとき、オーストリア夫人の娘達は「自然！」「小説」「恋！」と叫ぶのだった。確かにベルヴァーロシュ（ペスト側のドナウ河畔に面した地区で、現在のブダペスト５区、高級商店街やレストラン、ホテルや市庁舎が集まっている）の地下を流れる水路はペストの水路の中では最もさげすまれている。スイスの庭師の馬車の後ろでもじゃもじゃ、くしゃくしゃの毛をした村の牧羊犬は、おそらくはペストの男たちに対して後足を上げてみせるのだ。スイスの犬の恋人は自然の高貴な掟を犯しはしない。

　ボニファーツ・ベーラはかくて税関から追いやられ、かのニヒリストの心臓の辺りでは血が冷たい大洋の中のガルフ湾流（大西洋のメキシコ湾から流れ出し北上する流れ）のごとく熱くなった。「私は間違ってはいない！いつだって間違ってはいない！もし爆弾を投げるとしても、私は間違ってはいない！・・・」血の波うつ音は言った、彼は殉教者の幸福を抱いて王城の山をよじ登った、２クロイツァーの不足ゆえこの違うやり方でブダからペストにとび移ってやろうと。

　彼はこのときすでに2日間何も食べていなかった・・・

　ボニファーツ・ベーラのペストへの旅は最低限の成功すら見出せなかった。友人にして同志のシルヴェステル氏は競馬場へ彼の首長のお供をし、子馬たち、落ち着きのない野生の雄馬たち、びっくりしたような目の、高貴な姿の牝馬たちが緑の野原で疾走しているとき、アルヴィンツィ氏は古い、白銀と黄金色のネクタイと青い帽子姿でこの春の午後ビールを飲んでいた、シルヴェステル氏は6杯目のビールでいらいらしてロード・ダービーとバッチャーニ・エレメール⁵をののしった、彼は馬たちのレースで勝てなかったからである。この間ボニファーツ・ベーラはマントをひるがえして（そんなのを着た貧しい放浪の歌い手たちがエペルイェシェ（現スロヴァキアのプレショヴ）とローチェ（現スロヴァキアのレヴォチャ）そしてポーランドの貴族たちのところを歩いていたかもしれない、もしある放浪の学生〜詩は３篇しか言えず、それで生きのびている〜が国道から入り込んだりすると、彼らの赤いブーツは常に喜んでダンスのステップをふんで回転するのだ）ジグザグにペストを走り回った。すでにたそがれ時となり、彼は最低限一杯のワインをふるまってくれたかもしれない人とは誰とも会えなかった、彼はヴァーツィ通りでダイナマイトを〜あるいは多分ビグリン酸を〜しかける場所を見つめた、そして午後の6時頃導火線に点火するのである。そして金もなくドナウ川を渡ろうと鉄道橋に道をとった、これでこの町は、ひょっとして貧しいシルヴェステルが自分のワインからふるまってくれるかもと４マイルほどの道のりを来た不幸でちっぽけな人物の背後で生き延びた、もじゃもじゃひげと昔刈り込んだ巻き毛はもはや二度と爆弾を投げる熱で逆立つことはない、そして鼻めがねの奥の悲しげな目は、すでに誰からも見捨てられたとき貧しい人々がそうするように、キリストのことを考えたとき、疲れ果てて平静になるのだった。

　ナザレ人はそれからボニファーツ・ベーラに鉄道橋を渡ることを成し遂げさせた、彼が一軒の見捨てられた番人小屋で一冬を無料で過ごしたヤーノシュ山によじ登るのに十分なだけの力も与えてくれた。

　かなた下の町ではすでにたそがれ時だった、数々の塔だけが輝いていた。しかし山ではまだ明るかった。

　見張り小屋の前には切り株が一つあり、黒い服の淑女がそこでボニファーツ・ベーラを待っていた。

　彼女は女流詩人のディデリー・ディルだった、トランシルヴァニアのどこかで弁護士の夫と離婚していた、ボニファーツ・ベーラは彼女とは地方を放浪していたとき知り合ったのである。彼はこの弁護士夫人を詩作の道に教育した、彼女に詩を読んで聞かせ、夢見るようなそして長いおとぎ話の数々で心について、恋について、詩作について語ったのである。2日後、再び放浪への気持ちがおそってきたとき、彼はさらに進んだ、だがそこを離れる前、心を病んだ婦人に詩人たちを提案した、すなわち悲しげで黄金のクモの巣だらけのレヴィツキー⁶、暮れの鐘の音のトンパ⁷とイヴァン・ツルゲーネフの「春の波頭」を。

　「だがブーニン（イヴァン・アレクセーヴィチ・ブーニン　ロシアの詩人　１８７０〜１９５３）とバブーリンを決して省いてはいけません、親愛なる奥さん。そうすればあなたの魂は間違いなく癒されます」ベーラは言った、そしてまるで外では大風が吹いているかのように、マントの首のバックルをしめた。

　「それから？」半白髪で心に悩みを持つ婦人は言った。

　「いずれ残りは手紙に書きましょう！」

　こんな形でボニファーツ・ベーラは２、３通の手紙をディデリ・ディルと交わしたのだった。（当時女性詩人たちはこのようなペンネームを選んだのだった、イボヤ（すみれ）とかハイナルカ（あけぼの）はもう流行遅れとみなされていたから。オルツィー男爵夫人が新しいお祈りの本を書いたとき、カトリック教徒の夫人たちは古いお祈りの本を脇へ押しやった。女たちはこうやって現代化されたのだった！）ディデリ・ディルは詩人の訪問以来作った詩の数々を送った。貴婦人たちの手紙に返事を書かなくてはならないとき、ボニファーツにはいつも郵便料金にあてる金があった。

　「どうやってここに来たんです？」ボニファーツ・ベーラは厳しくたずねた。「ペストには用心しなさい、と私は言いませんでしたか？ここは非常に堕落した場所です。婦人たちは誘惑されるのです」

山のかん木と木々はこのときもう眠りについていて、大きな石や苔むした幹はうとうとしていた、というのもボニファーツ・ベーラの言葉にどこからも笑い声は聞こえてこなかったからである。

　婦人はニヒリストの手をとった。

　「あなたが、私のところに滞在されたときおっしゃったようにアンドラーシ通りの宮殿に住んでいるのではないからといって、私は怒ったりはしません」

　ベーラは肩をすくめた。

　「健康上の視点から山に引っ越したのです」

　「私が3日間うろつきまわった後で見つけ出した場所にね」

　「家にいた方が良かったのに、マダム、ペストでは朱に染まってしまう。ここに詩人はいません。いるとしても、彼らはベリツァイ・カフェで夜の女たちを追っかけている。願わくは、あなたがベリツァイ・カフェに行きたいとおぼしめしませんよう」

　「だけど、その通りなんです、行きたいのです」心を病んだ女性は言った。「近くから若いアディ・エンドレ⁸を見たいのです。ああ、あなたが私を置き去りにしてから、私は多くのことを知りました。私はある女性と手紙のやりとりをしたの、そして彼女は自分の詩の中で人生の革命を宣言している、女性の読者に聖なる偉大な恋の復活を約束していて、夜はビールを飲み、音楽喫茶でヨラーン夫人の孤児の娘たちを後援する詩人たちについて何もかも書いてきたの・・・ああ、私がもっと若かったら！」

　「ヨラーンの孤児の娘たちに加わるんですか？」

　「ねえ、親切なボニファーツさん、私をその詩人たちが夜明かししている場所へ連れていって。彼らを近くで見たい、という欲求で私は燃えているの」

　ニヒリストは頭を振った。

　「奥さん、あなたは間違った場所をノックしたのですよ。私はもう若い作家さんと詩人さんたちの知り合いではない。私の時代は過ぎ去ってしまった。最後の抒情詩人、獅子の頭をしたベネデク・アラダール（詩人で作家　　　　１８４３〜１９１５）なら面識がありました。温和でひげに白いものが混じった６０才の頃でも、ヨージェフヴァーロシュ（ペスト側にある現在の８区、ベルヴァーロシュのある５区の外側、当時は労働者階級の居住区だった）の淑女たちの間で成功を収めていた。あるいはご命令なら、ガーシュパール・イムレ（新聞記者で詩人　　１８５４〜１９１０）に紹介しましょう、彼はヨージェフ通りの平屋の小さな小屋にいて、午後はいつも九柱戯場で休み、その後は一日中教区司教とユダヤ人の大商人たちに手紙を書いていました、そして丸いめがねは驚くほど高い教養によって輝いたのです。彼の小さなペンはあらゆる力と想像力を結集し、小さな字は聖書のごとき潤沢さで溢れ、そして一度ならず元々は「マンフレード」か「オネーギン」から出た文章が浮かび上がりました・・・老ポーターのシュテッツは十通以上ないと決して街のあちこちに出かけようとはしなかった。ヨージェフヴァーロシュの上空がたそがれるときまでには、赤い帽子の老ポーターは曰くありげに九柱戯場にもどってきたものです。あるいは昔滅び去った時代を描いた長編小説家、白い髪と赤いチョッキのエルデーィ・ジュラ（１８５１〜１９１２　作家で出版者　セメレ・ミクローシュの秘書だった）をご紹介しましょう、彼は「貧しいデジュー」という小説で２０フォリントを『ペスト日報』から得た、そして現在はセメレ・ミクローシュ⁹の競走馬たちのためにだけ悲歌を書いている、もはや人間たちについては詩を作る価値がないからです。もしお許しがあれば・・・ゼッファー・ラースロー（新聞記者　１８５７〜１９１３　前章で触れたヘンツィ像の１８９５年の爆破の試みに参加している）かセレシュ・アドリアンを。一人残らず優れた、真面目な男たちです。スパルタ気質で、もし国に火をつけてやらねばならないとしたら、彼らのポケットに石油の麻くずがなかったことなど決してない・・・『レストラン経営者報』という雑誌のパラード温泉水（ハンガリー北部中央にあるマートラ山地中のパラード温泉の水）と蜜ろうそくの臭いのする編集者にもご紹介出来ますよ、彼はコシュートの葬儀でたいまつを持って、それ以降も（たいまつの）残された蜜のかけらを持って歩いています。ポクローツ・アダームの父チェテ・ラヨシュは、ふくれあがったリゲトの酒場で千杯めのソーダ割ワインを飲み、一方でヤシュクラ・ヴィラーグ・ベーラが『首都ジャーナル』（文芸週間誌）をプラーテル通りで編集している、そして青い目で夢見るように、高い窓から文芸後援者になりそうな人全て見回しているのです。彼らはとっくに過ぎ去った時代の半ば聖人、半ば狂人で、しばしば貧しい罪人でした、たとえその罪を悔い改めていても、彼らには決してヨージェフヴァーロシュの小さな酒場から姿を現す勇気はなかった。高貴さと弱さの奇妙な混合だったのです。飢え死にした英国詩人のチャッテルトンか病院のベッドで死んだレヴィツキー・ジュラは彼らの理想でした・・・他方ではロベスピエールとダントンが彼らの崇拝する人物だった。カルビン派大教会で承認された、第49回デブレツェンの国会¹⁰の法に彼らは従っている・・・そして私はさらにポングラーツ・ベーラ（新聞記者で詩人　　　１８５９〜１９０４）を、神からも人間からも見放された貧しい小さな詩人を、世界で最良の仲間とみています、彼は最大の抑圧と貧困の年月も、その聖なる狂信において井戸の深みから日の目を見、その表面には月桂樹の冠をつけた若い皇帝が顔が刻まれた金貨のように、高貴で純粋なままでした。将軍の息子ゲルゲイ2世¹¹はわびしく孤独な放浪の間、しばしば貧しい詩人たちが、家主自身ですら家賃を滞らせているような惨めな月決めの部屋の屋根裏や、古い地下室で、身を潜めているところに偶然居合わせた。ゲルゲイ2世は常に動いていて、落ち着けずにペストからブダへとうろつきまわった、イギリスではあるときロンドンから南方向に、ケントの花庭園に続く国道を進んだように。おりおりリポートメゾーの静かな家（ブダ側で現在の�U区、国立神経科病院がある）でくつろいだときだけ落ち着くのです。Ｏ．Ｂ．伯爵夫人の取り巻きとして劇場に通常、古典劇を観に行けるときは、毎週の外出時間を楽しみました、そういうのはゲルゲイ2世はまだ若い頃パリかロンドンで見ていたのです、そして上演の後は伯爵夫人のところで夕食をとりました。ずるい医師たちは陰謀をめぐらしていました。ゲルゲイ氏は淑女の集まりでは飲み物には手を伸ばさなかった、それどころか若く愛すべき、そして大変な教養のある紳士になろうと努めた。彼はＯ．Ｂ．伯爵夫人に、英国王のギャラリーについて、驚嘆すべき英国博物館やイギリスの教会にたくさんの愛好家がいるハイドンの音楽について語りました。伯爵夫人のお供をして真夜中よりずっと前に家に、遠くの静かな家へ帰りました、だってＯ．Ｂ．伯爵夫人が病気だったので・・・ほら、彼らが私の友人です、奥さん。彼らのところへなら喜んでお供できますよ」

　女流詩人のディデリ・ディルは（大方の女たちのように）、西の天空で光薄れる星々よりも塔の高さから近づいてくる月をむしろ好んだ。

　「新しいお友達を作らなくては、ベーラ」番人小屋の前で切り株から立ち上がりながら彼女は言った。「あなたが話した人たちは、疑いもなく冷たく灰色の、気難しくて孤独な、女を避ける、ごきぶりみたいな老いぼれたちです。私は夫のそばにいて年とった人たちにはもううんざりなんです・・・若い、目を輝かした、登り坂の星の男達の友情に憧れているの、そんな人の手押し車になら私の馬をつなげられるでしょう。私は成功したいのよ、だって私才能があると感じているんですもの。あなたが挙げた人全部の一人として新聞をもってはいないわ！・・・」

　「新聞『読め！』はもう廃止になりました」ボニファーツ・ベーラは憂鬱そうに答えた。

　灰色になりかけた髪の淑女は熱烈にヤーノシュ山のかなたの天空を見つめた、そこではすでに夜の星々がゆっくりと一つ一つ姿を現していた。

　「私は恋に落ちたいの・・・もう一度恋に落ちたい、これ以上は決して長生きしないでしょうから。アディ・エンドレかレーベース・ベーラ（作家１８７６〜１９４４）との恋に。チョルノキ・ヴィクトル（短編作家　新聞記者　１８６８〜１９１２）かロヴィク・カーロイ（作家で新聞記者　自然主義文学の短編文学の養成者　１８７４〜１９１５）に・・・誰か若い、キャリアを始めたばかりの作家に、ジョルジュ・サンドがアルフレード・ミュッセに恋したように・・マリヤ・バシキールツェア（ロシアの女性画家、作家　１８６０〜１８８４）になりたい。ああ、それは何という、王侯の庭園から溢れ出る香りになることでしょう、賞賛のはしごを一緒に上がっていくことは。ある日ディデリ・ディルの詩を新聞が報道する、またあくる日には美しい私の恋人、愛しいアルフレードの歌を報道する。そして時折私たちの名前が並んで「週」誌の欄に現われるかもしれない。いいえ、親愛なるボニファーツ・ベーラ、私は老ガーシュパール・イムレとヨージェフヴァーロシュの小さな九柱技場で一緒にビールを一杯やるためにトランシルヴァニアの雪山から出てきたのではないわ」

　「あなたは野心家の女だ！」

　「かもしれないわ・・・私は国立劇場の桟敷に座りたいの、そして作家たちは幕間にフロックコートで私をたずねてくるわ。多分私はサロンも開いて、お茶のパーティーをするわ、そして編集者たちはいずれ私の手にキスをする・・・もしお客がいなければ、ときおりたずねてきていいわよ」

　ディデリ・ディルはこの後ボニファーツ・ベーラの額にキスした、そして芝居がかった歩みでヤーノシュ山の山小屋付近から退場した。ボニファーツは長い間あとを見送っていた、そして白い髭にそっとつぶやいた。

　「いずれ私のところにもどってくるさ、可哀想な娘や！」

　一週間後ディデリ・ディルの二人の娘がボニファーツ氏を捜し出した。十六才〜十七才の年頃の、美しくもなければ、醜くもない娘たちだった。オルガは文学の、ギザは芸術の信奉者だった。

　「ベーラおじさん、お母さんは頭がおかしくなってしまったの。一晩中カフェで長い髪の詩人の卵とか、偽の新聞記者たちとうろついてるのよ・・・私たち恥ずかしくてならないの。ペストにいたくないのよ」

　「お父さんのところへ帰りなさい」

　「お父さんはある召使と暮らしてるわ。私たち、ハンガリーから出て行こうと決めたの。私たちは踊れるし、オルガはハープの隣でフランスの歌を歌えるわ。私たち可愛いし、若いのよ。昨日代理人と取り決めをしたの。私たちロシアに女優になりに行くわ。私たちと来ていただきたいの。お父さんとして、でなきゃ年配のお友達として・・・」

　「かわいそうに！」痛ましげにボニファーツ・ベーラは叫んだ。「君たち破滅するぞ、燃え尽き、死んでしまう。ヴェンゲルカ（ロシア行きのハンガリー人娼婦）になり、病院で臨終を迎えるんだ」

　「一緒に来て、そして破滅するのをほっとかないで！」ディデリ・ディルの娘たちは答えた。「ここで用事は全然ないんでしょう。見張り小屋を守っているだけ」

　ボニファーツ・ベーラは考え込んだ。

　「やっぱり何かやるべきことがあるかもしれない・・・『レストラン経営者報』に毎週記事を書かなくてはならないし。文学というやつはおそるべき毒だ。もし味わってしまうと、市民階級の男性と女性は梅毒になってしまう。作家たちはみんな気まぐれだ。自分自身の仕事を王の名人芸と、最も名誉ある職業と宣言している。とはいえそもそも文学が必要な人など一人もいないのだ。文学なんてなければ、人々はずっと幸せだろう。今後も生まれて、恋をし、死んでいくだろう。偉大で素晴らしい人生は、ちっぽけな、詰まった小さな文字には何のかかわりもない。作家たちは、秘密の結社のように自分達自身が生き延びるために、何世紀もの間人々の魂に毒をもってきたんだ。彼らの物語，歌はどれも人間の魂の中に不安と、混乱を呼び起こすためのものなのだ。そしてもし文学の甘い毒がある家庭に入り込むと、そこには不幸が追いかけてくる。作家の妻たちは全て不運な婦人たちなのだ。わが友シルヴェステルの十六才の娘は首を吊った。そして君らのお母さんは君たちを見捨てた、それというのも夜にカフェで詩を読みきかせられているからだ・・・」

　「私たちと来てくれる？」娘たちはたずねた。

　「行くとも、かわいそうな子たち。君らが、文学という名の狂気の犠牲にされるのをほおってはおけない。文学という名前に反応する狂気は、あるときは緑のアルコールの中に、あるとき神経の自然に反した欲求の中に、またあるときは血の燃えさかる焔の中に住んでいる。半ば狂った弁護士夫人が、文学を口実に、好き勝手に動き回るのを許すこの国から出て行こう」

　より実際的だったギザは、ボニファーツ氏の服装を検査するようにじろじろと見た。

　「まず最初に床屋さんに行きましょう、ベーラおじさん！」彼女は言った、そしてもじゃもじゃ頭の、老いた人物の腕をとった。

　・・・二年間ボニファーツ・ベーラはロシアをディデリ・ディルの娘たちと旅した。娘たちはモスクワからペテルブルクから、ずっと大シベリア鉄道に沿って、美しい服や何がしかの小金を踊ってかせいだ、そこでは地域警備隊のコサック士官たちがほとんど熱狂してワルシャ最初のオルフェウムを歓迎したのである。

　それから遠いアジアのある鉄道駅で、彼らは何もかも盗まれてしまった。お金を、服の箱を、宝石を。ハンガリーとの国境から何千ヴェルストも離れた、半場雪にうずもれたシベリアの駅で、そこでは週に1回しか汽車は通らない、モンゴルの馬泥棒たちと未開人のロシア人の士官たちの間で、ディデリ・ディルの踊り子の娘たちと詩人ボニファーツ・ベーラは一枚の貨幣も、服も、食べ物もなく取り残されたのだった。