第三幕
（第一幕と同じ場面。午後三時半位）
第一景
悪魔、アンドラーシュ
（幕があがると、悪魔が部屋の中央に立っている、アンドラーシュは上手から入り口のドアの敷居に立つ）
悪魔 何の用だい？
アンドラーシュ 旦那様のところに、ここにレディが一人お見えだとお知らせにあがりたいのですが。
悪魔 どんなレディだい？
アンドラーシュ 良家のレディです。
悪魔 で、なんの用だい？
アンドラーシュ 旦那様とお話しになりたいそうです。旦那さまは昨晩パーティーにいらして、今もまだおやすみ中ですと申し上げました、でもその方はお待ちする、とおっしゃいました。
悪魔 あんたそのレディを知っているのかい？彼女、ここに来たことがあるのか？
アンドラーシュ ここにいらしたことはまだありません。
悪魔 中に入れなさい。（アンドラーシュ退場、エルザが入ってくる）
第二景
悪魔、エルザ
悪魔 ああ?!
エルザ あなたここにもいらっしゃるの？あなたここでは何をやってるの？秘書？
悪魔 彼のよき友人ですよ、それ以外の何者でもありません。ここで出会ったのは偶然です。こんにちは。
エルザ こんにちは。ここに誰かいるなんて、誰からも聞いてないわ。それだったら入ってきたりしなかったのに。でもその誰かというのがあなたなら、もう出て行ったりしないことにするわ。（座る、彼にほとんど背を向けている）
悪魔 ヤーノシュは昨晩――今朝方帰ってきました。
エルザ 知ってますわ。それどういう意味ですの？
悪魔 今もまだベッドで寝ている、という意味ですよ。私は八時頃には起きていましたが、彼の方は午後の二時半頃でも横になるんです。ですがもう着替えているかもしれませんね。あなたの不意のご来訪をお知らせしましょうか？
エルザ 必要ありませんわ、私待ちます。少なくともここでまわりを見てます。だって私ここにまだ一度も来たことありませんの。
悪魔 知ってます。
エルザ どうしてご存じ？
悪魔 あの召使からききました。ある女が毎日ここに通ってきていることは、あの召使には秘密にしておけます。ここに一度も来たことがないことは、秘密にすることは出来ません。
エルザ 私自分で来たんです。それがふさわしいことでないのは、ご存知？
悪魔 知ってます。
エルザ どうしてご存知？
悪魔 それもあの召使から。彼は、外で待っているのは―良家のご令嬢だと言いました。
エルザ 彼の様子からそう思っているのがわかりましたわ。あの召使は、私に良家の令嬢と話すのにふさわしい話し方をしたペストで最初の男ですわ。
悪魔 高級娼婦に見えたのですよ。間違えたのです。
エルザ 私が間違えたのです。ここの召使は彼じゃないようですわね。
悪魔 間違いではありません。彼は召使です。戸籍係りではないのと同じことです。
エルザ どうして？
悪魔 良家の令嬢の前に独り者の若者の住まいの戸を開けることが出来るのは、二人だけです。召使か、戸籍係りです。誰がどっちを選ぶかは、好みの問題ですね。
エルザ ご警告しておきますけど、私はいつかあるお友達の家で、二人だけになったときに私にキスしたある男をひっぱたいてやりました。
悪魔 私の方はいつかある友人の家で、二人だけになったとき私をひっぱたいたある女に、キスしてあげましたよ。
エルザ ここはあなたのお友達のお家ではありません。ここは誰でも肖像画を注文しに来れる画家のアトリエです。そうなんです。そんなバカにした顔を
しないで下さい。
悪魔 失礼、私はモデルではありませんので。私は自分の好きな顔をするんです。12
エルザ 私が自分を描かせるためにここに来たら、どうだというんです？もし一人で来たとしても？このことでは異議は出ないはずです。
悪魔 異議はないけど、非難はどっさりです。
エルザ 私が彼の愛人になりたがっていると言われるだろう、って言ったらいいでしょう。
悪魔 それはないでしょう。ですがさらに重大な非難がふりかかりますよ。あなたは彼の妻になりたいのだというやつが。（ベルを鳴らす）
エルザ そして私はそんなことは夢にも思ってないとしたら？
悪魔 それなら私は六週間羊飼いの犬をやりましょう。（アンドラーシュがドアのところに現れる）アンドラーシュ、あのオーバーから・・・あの小さい黄色のポシェットを・・・（アンドラーシュ退場）
エルザ ご心配なさらないで、私今日は泣きませんから。
悪魔 心配してはいません。私は笑っている女たちのことだけは心配なんです。（ポシェットを受け取り、下に置く）どうして来たんです？
エルザ 私、今日はサーキ・ヤーノシュに肖像画を注文したいのです。そしてそのために毎日ここにやってくることになるでしょう。
悪魔 毎日ここにいらっしゃる、そしてそのために肖像画を注文なさる。
エルザ 燕尾服どもは好き勝手にやるんだわ。文章でボストン・ワルツ13を踊るのね。ここで言葉を前に出したかと思うと、あそこではひっくり返す。でも私は喜んで､あなたがリードなさるように踊りますわ。私は今日戦いを始める決心をしたのです。これから毎日一時までここで彼と二人で座り、美しいポーズを決めて、お化粧して、自分に何が出来るか見せてあげるんだわ。
悪魔 あなたに恋するようにしたい。
エルザ 彼は毎日一時まで、二時半まで私の目を見てなくてはなりません。私は彼に影響を及ぼしてやります。他の幸せな娘たちは違うやり方で恋人を手に入れるでしょう。私はそのためには戦わなくてはならないようです。私は自分のために座って過ごすんです。
悪魔 あなたは、ここに肖像画を描かせるためにやってくる人がまだ他にもいることをご存知ないのですか？
エルザ 知ってます。だから私も来るんです。同じ形の武器で戦おうじゃありませんか。どっちの肖像画が良い出来になるか、見てやりますわ！
悪魔 なんという勇敢な言葉！あなたは昨日はまだそんな風な言い方をしてはいなかった。
エルザ 昨日は私、まだ気後れしていたのです。あなたは私に戦えと忠告してくれました。私、考えてみましたわ。あなたがおっしゃったことは素晴らしいけれど・・・そのことは一晩寝てから決めましょうって。私は慎重な娘なんです。私はこの手のことには一晩どころか、二晩考えてみるようにしてるんです。賛否両論両方とも。
悪魔 それで？
エルザ 私寝付けませんでした。一晩寝てから考える方がいいようなことが起きた夜には、人間寝付けないものです。これって悲しいことでしょう？
悪魔 それでどうして明日まで待たなかったのです？
エルザ なぜってうれしいことに私、一生に一度乱暴で考えなしになったからです。頭がおかしくなっている間は安らかに眠ることも出来ず、緊張して、ぴりぴりしてるんです、今こそ私は戦いに打って出ます。あなたが下さった忠告はそれほど素晴らしく、それほどわくわくさせるものでした・・・そして尊敬すべき・・・
悪魔 それは返上します。
エルザ なぜですの？
悪魔 尊敬すべき人間はそんな忠告を若いご令嬢に与えるなど出来ないからです。
エルザ どうして？
悪魔 あの夜は非常にめまぐるしかった。あなたには結末の予測がつかなかった。結末は、投げ出すべきものになったことでしょう。あなたはこのような戦いには向いてません。
エルザ なぜ？私は充分に賢くて充分に勇敢だと感じてるのに。
悪魔 あなたは賢く勇敢です。あなたの中では一人の学者とライオン一頭の性質が一つになっている。ただ問題なのは、一人の学者のように勇敢で、一頭のライオンのように賢いことです。
エルザ （声を幼い少女のように上ずらせて）でもそれじゃ・・・私どうしたらいいの？
悪魔 グラスの近くにいる人は、けんかを始めてはなりません。さもなければグラスが割れるのはあきらめることです。
エルザ 私憐れな役まわりになりそうですわ・・・私を見て。私は誰ですの？人生の真中で一人でここに立っている、ちっぽけな恋する乙女・・・眠れないし、何も食べられない・・・徹夜のせいで熱があり・・・分別を失った・・・一人でここに来た・・・ここに来たときどれほどとんでもないことをしてしまったのか、今になって気がつきましたわ・・・ああ。（ぎょっとしておののく）私どうしたらいいのかしら？
悪魔 あなたはあの人が好きなんですか？
エルザ 好きですわ。
悪魔 そのことをもう、あなた方の間で話し合いましたか？
エルザ 一度も。
悪魔 つまりヤーノシュは今になってやっとそんな風にふるまい始めた・・・
エルザ ええ。
悪魔 そしてあなたはヨラーンに、あの青年を好きだと伝えてはいない？
エルザ ええ。そうしたかったんですけど、昨日はもうその時間がなかったのです。
悪魔 正直に答えて下さい。あることについて承知なさっているかどうか・・・
エルザ こんなのひどいわ。まるで裁判官か何かのように質問するのね。
悪魔 違います。あなたが被告か何かのように答えているんです。お立ちなさい、お嬢さん。今私の方が座ります。私はあなたに公平になりたいのです。ヤーノシュがヨラーンを好きなのをご存知かどうかを。いいですか、彼は愛しています、ですが最も内なる尊敬の枠内で、です。
エルザ その尊敬のことは知ってます。私どものところに小間使いが一人いましたわ、その子はママを奥さまと呼んでいて、その間も嫁入り道具の半分を盗んだんです。
悪魔 お嬢さん、女たちがだまされるあのてのことについてはもっと敬意をもって話しなさい。この憐れな嘘がなかったら、私たちの恋愛生活は猫のそれ並になるでしょう。
エルザ 私、嘘はきらいです。
悪魔 あなたは嘘を尊ばなければなりませんよ。マーチャーシュ王13と共に真実は死にました、それでもわれわれは生きています。でももしいつかたまたまどこかの王様と共に嘘が死んでしまったら、われわれは死んじまうかもしれませんよ！
エルザ じゃいいわ、信じます、彼は尊敬しているんだと。
悪魔 つまりあの男は愛してることをご存知ですね。
エルザ どうして知りようがあります？何一つ知りませんわ。
悪魔 それならあなた、見極めることは出来るでしょう、退却する以外のことは出来ません。あきらめることです。
エルザ でもそれじゃ、どうして昨日は戦えとおっしゃったんです？私が忠告を求めたとき。
悪魔 私が言ったのではありません。あなたが私に言わせたのです。ハンガリー語の最大の虚偽の一つはこの表現「忠告を求める」です。人間というもの決して忠告を求めたりはしないのです。人間はある忠告を他者に与えます、その本人の方ではそれを聞きたがっているのです。忠告者とは、疑いためらう人間が自分を見つめる鏡です。忠告者は忠告を与えるときはスズメッキの価値しかない鏡にすぎないのだとは、いまだにわからないままなのです。
エルザ ああ、あきらめることが出来たら！
悪魔 習いなさい！
エルザ 誰から？母はプレミヤ一回だってあきらめることが出来ないんです。父は葉巻一本あきらめることが出来ません。今までの人生、必要なものは全てあると教えられてきました。そして今になって突然何もかもあきらめなくてはなりませんの？どこで習えばいいの？どこで？
悪魔 あなたは賢い娘じゃありませんか。一時間ごとに一人の男をあきらめている女たちがいますよ。
エルザ 後生ですから・・・誰の話ですの？
悪魔 悪い女たちをさげすんではいけません。われわれ男は彼女たちからキスの仕方を教わるんです、そしてあなた方女はわれわれの取り扱い方を彼女たちから教わる。悪い女たちを尊敬することですよ、娘よ、この学問は彼女たちが維持しているんですから。彼女たちが永遠の炎を守っているのです、ヴェスタの巫女14たちではありませんよ。私の慰めは、学問がヴェスタの巫女たちについても、彼女たちが悪い女たちだったことを明らかにしてくれたことだけです。さもなければ私に何が出来るでしょう。私は彼女たちに永遠の炎を抱き続けてきたのではありませんよ。
エルザ でもそれじゃ私はどこで悪い女を一人見つければいいの？
悪魔 ええと・・・娘さんにはこれは確かに少しむずかしいですな。ふむ。ちょっと待って。人生でわれわれが最初に出会う、つまづいた女とはうばです。あなたのうばやはまだ存命ですか？
エルザ 私のうばやはまっとうな女でした。
悪魔 そりゃ思い切って雇ったかもしれないな。あなたのところの小間使いは可愛い娘ですか？
エルザ いいえ。ブスです。私の弟は志願兵です。
悪魔 まずい、まずい。ちょっと待って！一人いるぞ。それじゃ今私があなたをあきらめの学校に入学させてあげましょう。（ドアのところに行き呼ぶ）ツィンカ・・・お前、なんで玄関で待っているんだい？凍えてしまうよ。お入り、ここで待つといい、ここなら暖房がきいてるぞ。（ツィンカを入れる。ツィンカ無言でエルザの方にえしゃくする。エルザも挨拶を返す。ツィンカ座る）
（沈黙）
（悪魔わざとらしく喉をさする。ふむ、ふむ 彼女らをためすがめつする）
（間）
（悪魔は一人でいて、何をしていいかわからないかのように、大きな声で歌を口ずさみ始める、その間下手のドアから、彼女らをずるそうに振り向きながら、ゆっくりと出て行く）
第三景
ツィンカ、エルザ
（しばしの間、それからツィンカが声をかける）
ツィンカ 奥様も画家の先生をお待ちですの？
エルザ ええ。
ツィンカ 私もです。（間）先生は夜はしごしてまわると、そんなときはいつも朝寝坊なさるんです。
エルザ そう。
ツィンカ そうですの。人間もう長い間睡眠不足だと、そのときは・・・寝なきゃならないんです。
エルザ そうね。
ツィンカ 奥様はたぶん肖像画を描かせたいのでしょう？
エルザ そうしたいんです。
ツィンカ 私、ここに通っていらっしゃった方は全部存じ上げているからですの。私、ここは自分の家のようなものなんです。私ここのモデルですの。ここでは、お金をとらずに描くときは、いつも私だけしか描かないのです。奥様はレンバッハ15風の立派な横顔をなさってますのね。
エルザ あなたもう三度も私に「奥様」と言ったけれど、私はまだ未婚の娘なのよ。
ツィンカ ごめんなさい。私はもう娘じゃありませんけど、奥様でもないんです。私の名前はザイデン・ツィンカです、でも画描きさんたちときたらシルクの16ツィンカとしか呼びません。でもだから私は戸籍ではザイデンとなってますの。本当の名前はザイデンです。
エルザ 私の名前はトート・エルザ
（間。ツィンカはじっと見つめる）
ツィンカ お嬢さんのお名前はもう聞いてます。そうね。私たちはみんな知ってますわ、お育ちの良い女性でいらっしゃいますわね。お金持ちの家のお嬢さん。知ってます。私どもはブダに住んでましたが、破産してしまいましたの。
エルザ （同情して）そうだったの・・・
ツィンカ いいんです。私は人民劇場のコーラスにいたんです、そしてある薬剤師とある中尉さんとある編集者と知り合ったのが失敗のもとでした。編集者はとっても優しい人でした。ズリーニという姓でした。
エルザ すてきなお名前ね。
ツィンカ でも名前はアドルフ。
エルザ それはさえないわね。（間）
ツィンカ 私お嬢さんを存じ上げてますのよ。
エルザ どこから？
ツィンカ お名前だけです。でも・・・あなたがどなたかは知っています・・・私はここではモデルです。この家の専属です。私が下着を洗濯女に出すんです。
エルザ で・・・洗濯女は何か盗んだりしないの？
ツィンカ いいえ。服を抜きとるだけです。私は先生の持ち物なら知ってますもの。
エルザ あなた先生の持ち物に興味があるの？
ツィンカ ええもちろん。でも今じゃもう先生のモデルはしませんの。
エルザ どうして？
ツィンカ だって先生、結婚なさるんですもの。
エルザ これからも画家を続けるために結婚するんじゃない。そのときだって先生にはモデルがいるわ。
ツィンカ ええ、でも・・・それは全然別ですわ。男性のモデルなら別です。そんなことなら私気にしません。お知りになりたいんでしたら・・・私・・・私は先生の下着まで洗濯に出していたんです・・・それから今度は・・・絵を描くためだけに来る・・・人間これはぐさっときますわ。残念だとは申しません、先生には良いことですもの、それどころか・・・どうして私の胸は痛むんでしょう？
エルザ あなた先生が好きなの？
ツィンカ ええ、とてもいい方ですわ。
エルザ 彼今あなたを描いてるの？
ツィンカ いいえ。今はいつも大きな風景画を描いてますわ。でなければ宮廷裁判所を。
エルザ それじゃあなたは今モデルとして来てるんじゃないのね。
ツィンカ 私はここではいつだってモデルとして来てるんです。私たちはいつもモデルとして絵描きさんのところに行くんですの。もしその人が画を描く以外のことをしても、それはその人が原因なんであって私たちのせいじゃありません。
エルザ ねえちょっと、お嬢さん、そんなことを私に言いたいの？そんなこと私には全然関わりないのに。
ツィンカ ほら、もし私がお嬢さんに正直でいれば、お嬢さんも私には正直でいられるでしょう。私はお嬢さんを苦しめたいわけじゃないんです。
エルザ わかってるわ、でも・・・
ツィンカ お嬢さんは頭のいい方に見えますわ。私、お嬢さんは先生が結婚なさるために選び出された方だと知ってます。
エルザ （立ち上がる）何ですって。
ツィンカ もしお嬢さんが気を悪くなさっているなら、もちろんのことです。
私はお嬢さんが好きですわ、そんなに可愛らしく・・・だって先生だってハンサムですもの・・・私はあなたがモデルでもそして私の方が顧客でもあなたに腹を立てたりはしませんわ。私だって顧客だったんです。私どもはブダに住んでました、でも破産してしまいましたの。
エルザ ごめんなさいね、私は何も・・・
ツィンカ いいえいいえ、気を悪くなさったのなら、私の方こそごめんなさ
い。だから私がお嬢さんをうらんでるんだとは思わないで下さいね、でなければ私がねたんでるだとか・・・先生がお嬢さんとうまくやっていると聞いたら、私幸せでしょう。ですから私は馬鹿な娘じゃないんです。今ここでこんな素敵な服を着たお嬢さんを見るのはイヤじゃありません、それもこんなにお上品な・・・私こうなるべきなんだとわかってます・・・そして正直にお嬢さんに申し上げますけれど、私が今日やって来たのは・・・
エルザ （同情して）お嬢さん・・・悪くとらないでね・・・多分私がそうとられるようなことを言ったんだったら・・・でもこの偶然の出会いのおかげで私少しドキドキしてしまったの、それに・・・
ツィンカ よくわかりますわ、ねえ。私だってまだ家がつぶれる前は、しょっちゅうドキドキしてたものですわ。
エルザ 私はお友達としてあなたとお話したいの。
ツィンカ 私とならそう出来ますよ、私は気立ての良い娘ですから。私はもうずっと前からわかってました、先生は・・・お嬢さんに申し上げますが、私がここに来たのは・・・だって私は昨日ここに来てたんですもの・・・ここから傷ついて出てったんです。私たちけんかしたんではないんです、でも私、先生はもう私に飽きてしまって他の方に夢中なんだってわかってるんです。私ここから駆け出してしまいました、私ってやっぱり馬鹿なんです、おまけに泣いてしまったんですから。そして先生はとても優しい方ですから可愛そうに思って、パーティーに行く前に燕尾服で私のところにいらしたんです。でも私自分に禁止しましたの。私をなだめるためにいらっしゃるんだって、わかってたんですもの。ただそれだったら、私にはもう必要なかったんです。シュルス17、さあシュルスですわ。
エルザ 先生はあなたが好きだったの？
ツィンカ 私は先生が好きでした。
エルザ そして今は？
ツィンカ 正直に言いますけど・・・もしある男が他の人を望んでいたら、どうしようもありません。それは駅のようなものなんですわ。駅はそこにたっていて汽車が来ます。それから汽車は出て行ってしまいますが、駅はその後を追っかけていくことは出来ません。もし人間が小さな駅なら、今はもう、汽車がそこで止まっているのはせいぜい一分ですわ。それから別の汽車が来るんです。
エルザ あなたは彼が好きだったのに、それでもそんな風におっしゃるの？
ツィンカ 好きでしたわ。でも殿方は私たち女が好きでいる間は、続けるのが義務だと思ってるんですわ。これには訓練がいりますの。昨日の夜、彼を中に入れなかったときは、もう私は自分を訓練してました。今度はもう、彼が来ないことにもこんな風にだんだん慣れていきますわ。それからもう慣れてしまったら、私にももうどうでもよくなるでしょう。うまくやってほしいですわ。
エルザ それじゃ今はどうしてここにきてるの？
ツィンカ やっぱり私がバカだからですわ。昨日の夜は私賢かったんです。彼から卒業し始めたんです。今日はまたバカになってしまいました、ここに来たいという気持ちに襲われたんです。来てもムダだってわかっていたのに。でも人間往々にしてこんな風に出かけて行くんですわ・・・心を痛めるために。
（泣き始める、ハンカチを手探りでさがすが見つからない。エルザ、テーブルの上に悪魔の黄色い皮のポシェットがあるのを見て、悲しい微笑みを浮かべて中からハンカチを取り出しツィンカの方に差し出す、ツィンカ受け取る）
エルザ さ、優しいお嬢さん・・・
ツィンカ こんな風にまた何もかも思い返してみたのはいいことですわ。今となってはもう待つのはやめます。また訓練ですわ。先生と会えたかもしれないけれど、それなしで退場します。私のこと心配なさらないで。そんな必要ありません。私それよりは賢い女です。今出て行きます。階段をゆっくり降りていってここにはもう二度ともどって来ませんわ。これは死のように確かなことです。もし私がそうしなければ、自分を苦しめるだけですわ。何時ですの？
エルザ 三時よ。
ツィンカ クメッティ通りに若い絵描きさんがいますの・・・確かチェレーニ・・・とっても才能のある人ですわ。まだ作品を発表したことはありません、でもやるでしょう。私彼のところに仕事がありますの。
エルザ 彼あなたを描いてるの？
ツィンカ もう描きました。今日は彼と約束したので行くだけです・・・三時半には彼のところに行きたいんです・・・彼のところに洗濯女が来るでしょうから。（飛び出す）
（間。エルザその後を見送る。その後突然考えを変えて、あたりを見回し、飛び上がってすすり泣きに声をつまらせる、しかしそれを押さえられない、後から叫ぶ）
エルザ お嬢さん・・・お嬢さん・・・（テーブルの上に置いたハンドバックを探す・・・そしてまた悪魔の黄色いポシェットを見つける。泣きながらそれを床にたたきつける）私も行くわ、お嬢さん・・・（上手に駆け出す）
第四景
悪魔、アンドラーシュ
（エルザが出て行くと、ベルの音がする。アンドラーシュがベルの音に出てくる）
アンドラーシュ （大きな肘掛椅子にまっすぐに行き、その前で立ち止まる）
旦那さまがベルを鳴らされたのですか？
悪魔 （肘掛椅子に座っている、今みなに見えるように少しばかり身を乗り出すす）ああ、僕が鳴らした。
アンドラーシュ 何かご用で？
悪魔 僕のお茶はどうなってるね？この家にはラムがあるかい？
アンドラーシュ ございます。
悪魔 ラムをどっさり入れてくれ。（椅子から出てくる）旦那様はまだ着替え中かい？
アンドラーシュ はい。
悪魔 午前中は誰か来たかい？
アンドラーシュ ラースローさまのところの小間使いが三度もここに来ました。
悪魔 何の用だったんだい？
アンドラーシュ 旦那様はもう起きたかどうかと。まだお休み中で午後三時までは起こしてはならないと命令されている、と言いました。
悪魔 他に来たものはいない。
アンドラーシュ いません。
悪魔 わかった。そのお茶を持っていこう。今ご主人の部屋へ運んでくれ。（アトリエの方へ退場）
第五景
アンドラーシュ、ヨラーン
（悪魔が出て行くと呼び鈴の音、アンドラーシュ入り口のドアのところを急いで出る、これにすぐさまヨラーンが入ってくる、その後にアンドラーシュ）
ヨラーン （緊張してふるまう）ご主人はご在宅？
アンドラーシュ もちろんですとも、奥様。
ヨラーン 小間使いは、三時頃起きると言ってもどってきたわ。今ちょうど三時です。もう起きられた？
アンドラーシュ 十分前に起きました。
ヨラーン 家に帰ってきてからずっと寝ていたの？きいたのは、明け方に家に帰ってきたとき、誰か彼と話したかどうか知りたいからなの。
アンドラーシュ お起こしはしていません。
ヨラーン 誰か手紙を持ってこなかった？
アンドラーシュ いいえ。
ヨラーン （安心して）ああよかった。（アンドラーシュに）私が来ていて、すぐお話したがっているとお伝えしてちょうだい。
アンドラーシュ 奥様、そんなにお待ちになる必要はございません。今主人のところから来ました。まだ着替え中です。もしご命令なら、ドクターさまにお知らせいたしますが。
ヨラーン （ぎょっとして）どのドクターなの？
アンドラーシュ 昨日ここでご一緒になられた方です。
ヨラーン あの方が彼のところにいるの？
アンドラーシュ はい。
ヨラーン 終わりだわ。（アンドラーシュに）あなたは彼の近くにいたの？
アンドラーシュ 着替えなさるときはいつもお手伝いします。
ヨラーン その人が彼に手紙か何か・・・何か書き付け・・・パンフレットをを渡すのを見なかった？
アンドラーシュ あり得ます、あの方が入ってきたときに、私は出て来ましたから。
ヨラーン すぐここへ降りてきて下さるように、ドクターにお願いしてちょうだい。私がお願いしたとは言わないで。
アンドラーシュ もちろんですとも。（彼はアトリエの方へ急ぐ。ヨラーン一瞬緊張して行ったり来たりする。悪魔が入ってくる）
第六景
ヨラーン、悪魔
悪魔 （ヨラーンがいるのに驚いて身動きする）どうしてまた？急いで私とお話しになりたいとお望みのご婦人とはあなたですか？
ヨラーン 私です。
悪魔 お申し付けください。ご存知のように私はいつでもなんなりと・・・
ヨラーン 私のお尋ねすることに答えて下さるまでは、一言も申しません。私ふるえてくるわ。思い切ってお尋ねしますわ・・・私の顔をごらんなさい・・・ドクター
悪魔 渡しました！
ヨラーン ああ！（非常に小さく悲鳴をあげる。部屋の反対側のすみに行きそこで座る。身をこわばらせて自分の前を見つめる）
悪魔 （茶を運んできた、入ってくるアンドラーシュに）ここに置いて。ありがとう。（アンドラーシュはアトリエの方に退場）
ヨラーン それで彼は読んだんですの？
悪魔 読みました。（間。悪魔お茶に専念する）
ヨラーン なんてこと。
悪魔 （お茶をカップに注いでから彼女の隣に座り、そっと話す）彼は最後まで読み終わると、また読み始めました。彼は私に「なあ君、この手紙に何が書いてあるか知ってるかい？」とたずねました、私は「予測もつかないね」と答えました。私はただ、あなたがこの手紙を預けた信頼出来る男だというにすぎない。手紙が恐るべき影響を彼に与えたのを見たあと、部屋からこっそり出て来ました。だが枕に顔を隠していても、泣いているのを聞かないようにするには間に合いませんでした。
ヨラーン 泣いた。（質問ではなく、言う）
悪魔 私は男が泣くのを好きません。ですがもう聞こえてしまった以上・・・それについてはどうしようもありません・・・大声の、幸福な、男泣きでした、勝利の涙だと言いたいところですな。
ヨラーン 私がここに来たのは、彼が手紙を受け取るのを阻止したかったからです、今日彼と話す最初の人間になるために、ここで彼が起きるまで待っていたかったのです。彼が受け取ったら、封を切らないで返してくれるよう頼みたかったのです。遅かったようですわ。
悪魔 あなたが遅かったのではありません。私が急いだのです。今度はもう、あなたもとうとう信頼の栄誉を与えて下さるでしょう、これほど時間に正確だったことで、私は幸せです。
ヨラーン それじゃ人生っていいかげんなものなのかしら？幸不幸が、誰かが三時五分前に来るか、それとも三時五分過ぎにくるかにかかっているなんて。
悪魔 その通り。
ヨラーン （自分の前を見つめる）彼泣いたんですの？
悪魔 幸福のあまり。
ヨラーン 私朝目がさめたとき、一分ほどベッドで幸せにぬくぬくしていました、自分の身に起きたことを、何もかもすっかり忘れていたんです。夢のせいで私の頭はまだ空っぽでした。それからいきなり何もかも思い出しました。まるで誰かが手で私の心臓を打ったみたいでした。気違いみたいに、あわてて服を着ました。あなたのお宿に駆けつけたかったところですが、どこにお泊りか知らなかったのです。それで召使をここによこし、今まではほとんど安心しかけていました・・・ちょうど良いときに来ようと思いました・・・そして今や終わりですわ。今となってはもう何もかもムダです。六年間の静かな苦しみ・・・全てが解き放たれてしまいました・・・私、彼と話す勇気がありませんわ、それでも私たちは話し合わなくては、と感じるんです。彼から逃げても、彼は私を追ってはこないで、私の手紙が彼の後を追っている・・・昨日カッカした頭でやってしまったことの後で・・・追いかけ・・・悩ませ・・・焼けつく苦痛を与える・・・そして私は・・・
悪魔 無理ですな。
ヨラーン 私どうして彼の顔を見られましょう？新婚の初夜私は・・・二人だけになったとき、愛してはいないある人の前で・・・おののき、死にそうになりました・・・でも彼の目を見ました。今は彼と会わなくてはなりません・・・そして自分がどうなってしまうのかわからないのです。（アンドラーシュ舞台を横切る、アトリエの方からやってきて、空のカップを持って行き上手入り口の方向に上手に向かう）
アンドラーシュ もう旦那さまがいらっしゃいます。（退場）
悪魔 私は・・・行きます・・・（退場）
ヨラーン （彼の腕をつかまえて）いいえ・・・お行きにならないで。
悪魔 私がここにはいられないことは、予想出来るでしょう。
ヨラーン いて下さい。今彼と一対一で話すことは許されません。ここに第三者がいあわせているように、私のためにここにいて下さらなくては・・・あなたは、あの手紙に何が書いてあるかご存知じゃありませんか。
悪魔 ですがもし私がここにいれば、あなた方の間であの手紙について話すことが出来ないし、そうなったらあなたが彼に言いたいことはみんな、延期されてしまうじゃありませんか。私はここでは邪魔なだけですよ。
ヨラーン 私、今となってはもう彼と正直に話したいのです。結局もう一度、彼に頼むことになるでしょう・・・（壁の向こうからヤーノシュの声）
ヤーノシュの声 アンドラーシュ！
悪魔 （突然）彼が来ます。
ヨラーン （突然）じゃあ・・・少なくとも近くにいて下さいな。
悪魔 （下手のドアを指して）そこにいます。私が必要だと感じたら、呼んで下さい。（急いで下手に退場、ヤーノシュアトリエのドアに姿を現す）
第七景
ヤーノシュ、ヨラーン
ヤーノシュ （無言で、ゆっくりと入ってくる、ヨラーンの手にキスする。そっと）僕は今膝をついて、この世で一番尊敬しあがめている人に、昨夜しでかしてしまったことの許しを請わなくては。
ヨラーン （消え入りそうな、弱々しい声で）ドクターが隣の部屋においでですわ。簡単にお話しましょうね、ヤーノシュ。一番考えなしだったのは私のほう、だって私たちのこの長くて苦い年月は私にとっては充分ではなかったんですもの・・・私の心は燃え立ち、この実験に同意しなくてはと感じたのです・・・ああ、・・・あなたの尊敬が本当かどうかを知りたかったからではないの、ヤーノシュ私それはわかっているんです・・・（手を彼に差し出す。ヤーノシュはその手をとる）一瞬でもそのことを疑ったことはないわ・・・でも我慢出来なかったの・・・知らなくてはならなかった、感じなくてはならなかった・・・毎晩・・・私が予想していたように、あなたが愛していて下さるのかどうかに、乾いていたのよ・・・毎・・・
ヤーノシュ ああ・・・（彼女の手にキスする。それから放す。むしろヨラーンの方で手を彼の手から抜き出す）
ヨラーン 二十四時間の間にあれほど何もかもが私たちの身に起きました。年月も世紀もムダなのよ・・・人類全体の歴史って一日に入ってしまうんだわ、私たちの昨日みたいなそんな日に・・・今私は試してみるわ・・・最後のなけなしの、わずかな力を今ふりしぼって・・・試してみるわ、この場所で昨日の午後私たちが口にしたのと同じことを言えるかどうか・・・もう一度昨日のように、お互いに誠実に手を取り合うことが出来るかどうか・・・私たちの悲しい取り決めを新たにする力がまだあるかどうか・・・あれほど長い年月の後たどり着いた・・・
ヤーノシュ ヨラーン・・・愛しいひと。
ヨラーン ほかにどうしようもなかったのよ。あの数分間、あなたの恋が私に向かってどんな風に燃えていたか・・・昨晩私は感じていた・・・あなたが息の根を止めたあの恋ではないの・・・そうでなくて、今まではあなただけが知っていたあれ・・・今まではあなただけのものだったあれが一瞬私にも見えた・・・今まではおき火だとあなたが嘘を言ったものが、どんな風に私の前で灯ったか・・・あれが私の理性を沸き立たせ、私はあなたの魂を見通せるようにと、粗野なジョークに加わってしまった・・・だってそれ以外のものは望んでいなかったから・・・私は強くはなかったの・・・私は自分自身に対してこの素晴らしいものを、これほど近くにあったものを、これほど容易だったものを拒むことが出来なかった・・・一度でいい、あなたが昔私を見たときのように、私を見つめるのを見たいと・・・一度でいい、あなたが本心をもらすのを・・・最初で最後に。
ヤーノシュ 愛しいひと。
ヨラーン でもあの一瞬のために私はつぐないをしたわ。私は灰になったのよ、ヤーノシュ。今となってはもう、・・・あの握手のことで・・・今言ったことを繰り返すことすら出来ないわ、私は破滅してしまったのよ・・・ヤーノシュ。（ゆっくり椅子のところに行って、座る。力がない。間。それから頭を上げる）
愛しているわ・・・
ヤーノシュ （彼女のところへ急ぐ）ヨラーン・・・（彼女のところに着いたとき、女は椅子からとび上がり、静かな、半ば泣声半ば笑い声をあげて抱擁する。互いに口づけする）
ヨラーン （突然おびえて、ひどく縮みあがる。ささやく）ドクターが・・・（もう一つの部屋の方を指さす）・・・そこにいらっしゃるの。（口に指をあて、静かにしろと合図する。ささやきながら、目を閉じて、非常にしとやかなあだっぽさで）あなた、あの手紙に何が書いてあるか、予想してなかった？
ヤーノシュ いいや。
ヨラーン そう。
ヤーノシュ どの手紙だい？
ヨラーン （微笑んで）あらあら。
ヤーノシュ 愛しい人・・・どの手紙のことを言っているの・・・？
ヨラーン 私の手紙よ・・今度はあなた、機転をきかせて気を使って下さるのね・・・そんな必要ないのよ・・・堂々とあの手紙のことを話して下さっていいの・・・私恥じたりしないわ・・・私半ば無意識にあれを書いてしまったの、後悔もしたわ、でも今はもう後悔してないわ。あれを誇りに思っているわ。ある女は書こうとしていることを望んでいるとは限らない、でもいつも望んでいることを書く。一緒に読みましょう。
ヤーノシュ ヨラーン・・・僕は本当に手紙のことは知らないんだよ。君は僕に手紙を書いたの？
ヨラーン （おびえて）・・・どうして・・・（手を心臓に当てる）
ヤーノシュ いいや。受け取らなかった。
ヨラーン あなた受け取ってない。
ヤーノシュ うん。
ヨラーン でも・・・（一瞬黙り込み、それからドアのところに走り荒々しく開ける。悪魔が入ってくる）
第八景
ヨラーン、ヤーノシュ、悪魔
ヨラーン （口ごもりながら）あ・・・あ・・・あの・・・手紙は・・・（探しながら彼の顔を見つめる）
悪魔 奥様・・・繰り返しお詫びします、手紙を・・・渡し忘れていたことに今気がつきました。（ポケットに手を入れ引っぱり出す）ここに。（許しをこうしぐさをする。短い間、その間ヤーノシュはそれを見つめ、ヨラーンは心臓に手を当てて、ぎょっとして途方にくれてそれを見たり、ヤーノシュを見たりする。悪魔は上品に微笑む）
悪魔 （非常に愛想よく、そっと）お渡しする必要の無い手紙もある、ということでお許しを・・・
ヨラーン （悪魔をにらむ）今わかったわ、この人一体誰なの・・・
悪魔 ですがもしそうお望みなら・・・（ヤーノシュの方に手紙を差し出す）
ヨラーン （突然）やめて！（ヤーノシュ手紙を受け取る）読んでほしくないわ・・・
ヤーノシュ 奥様・・・あなたのご命令を。
ヨラーン やぶって。（ヤーノシュ手紙をやぶる）火にくべて・・・火に・・・（ヤーノシュ暖炉に手紙を投げ込む。炎が燃え上がる）
悪魔 私の怠慢のせいでご不快な思いをなさったのなら、まことに残念です。
ヤーノシュ （侮辱的な声で）もう行くのかい？
悪魔 汽車が四時頃出るんでね、行くよ。奥様、もう一度お詫びいたします。どれほど重要な用事を託されたか知らない人間は、こんなものです。あの手紙にはいかほどに魂の危機が書かれていたか、私は予想してしかるべきだったのですが・・・
ヤーノシュ （厳しく）いくら遠まわしに言ったところで、君はあの手紙を怪しんでいるんだな、許さんぞ。僕は奥さんに最高に深い敬意の絆で結ばれているんだ。あの手紙は、何かありきたりの知らせ以上のものではあり得ない。それは君が一番良く知っているはずだ。
悪魔 その通りだ。（立って待ち受ける）
ヤーノシュ 汽車に遅れてしまうぞ。
悪魔 （頭を下げる）奥様。（ヤーノシュの手をとる）それじゃあ。手紙のことではもう一度お詫び申し上げます。（入り口から去る）
第九景
ヨラーン、ヤーノシュ、後で悪魔
ヨラーン 手紙を渡してくれなかったことは気にしてはいないわ・・・もしあれを火の中から取り戻せるなら、今ならもう私の人生の何年かを捧げたでしょうね。
ヤーノシュ でもそれじゃ、あの手紙には一体何が書いてあったんです？
ヨラーン あなたが知ってること何もかもよ。今私が言ったこと全てよ。（炎を見つめる）そして今はあそこで燃えている・・・私の初めてのラブレター・・・私の憐れな、ふるえおののくちっぽけな手紙・・・あなたと一緒に読みたかった・・・彼の言う通りよ。その必要はなかったんだわ。でも今ならあれが必要だったでしょうに・・・私あれで酔いたかったから、ほしがったのよ・・・今はここでは・・・・あれ無しでは・・・あれ無しでは思慮分別を失うなんて出来ない・・・（苦しそうに）ヤーノシュ・・・アトリエで・・・昨日・・・トカイ・ワインを見かけたわ・・・あれを飲ませて・・・
ヤーノシュ 持ってくるよ・・・僕の花嫁！（アトリエに走る。ヨラーンゆっくり、幸せそうに後を追う）
悪魔 （入り口から入ってくる、シルクハットをかぶり、コートを着て、小さな旅行かばんを持っている）今日は私たしかにうっかりしてますな。（外側のポケットから手紙を引き出す）それで私はさっき手紙の代わりにレシートをお渡ししませんでしたか？（ヨラーンに手紙を渡す）
ヨラーン （手紙をひったくる、それと認める。喜んで声をあげる）これだわ！
（胸に押し当てる）ヤーノシュ！（後を追ってアトリエに駆け込む）
第十景
悪魔一人
（悪魔一人きりになる。非常にまじめに、自分の前を見つめる。それからアトリエのドアの方をゆっくり見つめる。やがて地面にうなずく。聴衆を見つめる。
それからもう一度アトリエのドアを見つめて、前に出てくる、ほとんど舞台の
最前列に、聴衆に向かって何か言いたいのが顔からわかる。そこに着くと、一瞬耳をすまし、それから舞台芸術家の通常の動きと表情で、一つの公演が終了する、そっと、短く、だが鋭くこれだけ言う）
悪魔 さ、おしまい！18
（突然、さっき地面に置いたかばんを持ち上げ、非常に素早く入り口から遠ざかる。ドアをバタンと閉める。非常に短い間。それから突然幕）
12 原文は「画家は私じゃないので、私は絵は描きません」ハンガリー語の”képet
csinál”が「表情をする」と「絵を作成する」の両方を意味していることにかけたしゃれ
13 ボストン・ワルツ アメリカのスロー・ワルツ
13 マーチャーシュ王（1458〜1490）ハンガリー王。常備軍の建設、官僚の育成などで中央集権化を進め、人文主義者として学芸を保護し、芸術の推進につとめた。「マーチャーシュ王は死んだ、正義もまた消えた」という諺は、何世紀もの間貧しい人々や虐げられた者の正義の保護者はいなかった、という意味合いで用いられているが、ハンガリー語の「正義」igazságは同時に「真実」の意味もあるので、嘘に対する真実としてこの諺を引用している。
14 ヴェスタの巫女 古代ローマの火とかまどの女神ヴェスタに仕えた女祭司たちのこと。神殿には神像はなく、かわりに国家の永続性を象徴する聖火が燃え、巫女たちがこれを見守った。彼女たちはその職務にある間は絶対に処女を保たなくてはならず、違反すれば生き埋めの刑に処せられた。
15 レンバッハ、フランツ・ゼラフ・フォン（1836〜1904） ドイツの肖像画家。ビスマルクらプロイセン帝国の政治家の肖像画で知られる。
16 ツィンカの本名ザイデンSeidenは独語で絹を意味しているので、これをハンガリー語の絹シェイェム（Selyem）に置き換えている。ツィンカの言葉にはかなりドイツ語の断片が出てくるので、彼女はドイツ系市民なのであろう。
17 シュルス ドイツ語で「終わり」を意味するSchluss。「お終い、さあお終いですわ」
18原文はフランス語で “Voila!”「さ、これで終わり！」