すみれ
登場人物
劇場支配人1（以下支配人）
ロボズ嬢
マールクシュ嬢
ラコルノキ嬢
テューズ嬢
セール嬢
イロンカ
召使い（名前はヤーノシュ）
場面はペストのある劇場支配人の事務室
（オペレッタ劇場の支配人事務所。背景の壁に窓が二つ。その窓から向かいにある建物の各階の窓が見える。二つの窓の下には本棚。上手にも下手にもドア。上手の壁ぎわには縦型ピアノ。下手の前方には大きなデスク。デスクには内線電話と外線電話。デスクの前には肘掛け椅子二つ。上手側に紙屑かご。舞台中央にはテーブルといくつかの椅子、書類、本、一枚のお盆にのったコップ二つ。上手側のよく見える場所にストーブ、よく晴れた晩秋の午前中。幕が上がると、ちょうど支配人が上手側のドアにロボズ嬢を送リ出すところ）
ロボズ嬢 じゃあだめですの？
支配人 （いらいらして）大変残念ですな、お嬢さん。さようなら、お嬢さん。
ロボズ嬢 でも､もうちょっと違うやり方があるんじゃなくて？
支配人 （ドアを開けて）大変残念です、お嬢さん。さようなら・・・
ロボズ嬢 でもちょっと、もしかして・・・
支配人 ねえ、私はとても忙しいんです。外で何人待っているか、ごらんなさい。（電話が鳴る）おまけに電話まで鳴ってる。
ロボズ嬢 それじゃごきげんよう。私の名前はロボズ・エルヴィラ、忘れないで。
支配人 忘れませんよ。ごきげんよう。
（ロボズは上手に退場、支配人はその後ろからドアを閉めてデスクへと急ぐ。
立ったまま電話する）
支配人 もしもし！・・・よく聞こえないんだが、何だって？誰だって？今日は。こちらは国民劇場の支配人室・・・そうです。私は支配人です・・・今日は。（長い間黙って聞いている）しかしこれは、ちょっと、そんなんじゃないんですよ。どうしても誰かに劇場に来てもらって、見てもらわないと。（外で粗野な騒ぎ、女一人と男一人の声で口論）もしもし？ちょっと聞こえないんですが。ちょっと待って下さいよ、こちらは一言も聞こえない位のひどい騒音でね。すぐですから。（外に向かって叫ぶ）ヤーノシュ！
召使 （上手から登場）
支配人 わめくな、電話が出来ない、と外に言ってくれ。
（召使出て行く。外は静かになる）
支配人 （電話に）えーとね、暖かさときれいな空気が両立しないというのが問題でね。ボイラーに少ししか石炭をくべなければ空気はきれいなんだが、寒いんですよ。もしもっとたくさんくべると、客席全体が石炭臭くなる・・・そう・・・そう・・・そう・・・今言ったように、問題があるのは石炭の方なのか暖房設備の方なのか、専門家が来て見てください、ということだ。・・・そう・・・そう・・・そう・・・そう・・・いや・・・いや・・・そう・・・そう・・・けっこう・・・さようなら。（電話を置きデスクに座る、ベルが鳴る）
（召使登場。腕の下に２冊のノートをはさんでいる、一冊は黄色い表紙、もう一冊は赤い表紙）
支配人 部屋の前のあのひどい騒ぎは何だったんだ？
召使 セニツェイさんが舞台監督さんとけんかしていたんですよ。
支配人 セニツェイさんは他で舞台監督さんとけんかすることは出来んのかね、よりによって私の待合室でなくて。
召使 ここでけんかしたいんですよ、支配人さんにも聞かせたいのです。
支配人 こいつもか。なんと厄介ごとばかりだ。それでどうしてけんかしてたんだね？
召使 セニツェイさんはこの新作オペレッタで、プリマドンナとして「木靴のダンス」を要求したんです。そして監督さんは、「木靴のダンス」をバーン嬢にやりました。今あの方は、監督さんがその踊りをバーン嬢から取り上げるようにと望んでいるんです。
支配人 よろしい。（書類を見る）
召使 母親がけしかけているんです。
支配人 きいてないよ。（書類を見る）
（短い間）
召使 すみません、支配人さん、まだ外で待ってるこのご婦人方はどうなるんでしょう。（リストを指す）
支配人 待たせておけ。あと何人だい？
召使 （リストを見る）十四人です。
支配人 減ろうとしないのは、おそるべきことだな。これでもう五人放り出した。
召使 全部私が家まで送り届けられますから、どうかあいつらに長々とかかずらわないで下さい。
支配人 まあ待てよ。よく知ってるじゃないか、私には少なくともあと九人か十人、女声コーラスの正規メンバーが必要なんだ。あいつらに最後までぶち当たってみるほかないんだ。
召使 それじゃ次を入れてもいいですか？
支配人 （内線電話の受話器を取って）待ってくれ、その前に電話するから。（電話を鳴らす）舞台監督さん？じゃ誰だね？・・・すまんが、舞台監督さんを出してくれ・・・けっこう。ここで待っているから。（休止。この間受話器を耳に当てている。召使に）その手に持ってる黄色いノートは何だい？
召使 ローヴァイさんの新作台本です。支配人さんに、くれぐれも注意して読んで下さいとのご要望でした。お約束通りに。（片方を差し出す）
支配人 （左側の耳に受話器を押し当て、右手でストーブを指さす）
召使 （ストーブに手を伸ばす）ここに？
支配人 （頭でイエスとうなずく）
召使 （黄色いノートをストーブに投げ込む）
支配人 （ずっと受話器を耳にはさんだまま）それからその赤いノート、そっちは何だい？
召使 これは同じ作品のもう一つのコピーです、支配人さんが最初のやつを火にくべてしまった場合のための。
支配人 そりゃ上出来だ。私は頭のいい人間は好きだね。こっちによこして。（召使から受け取り、赤いノートをデスクに載せる）こいつは読んでおこう・・・（電話に）もしもし！監督さん？・・・私だ、そう。セニツェイとまた何かあったかね？・・・うん・・・もちろん・・・うん・・・言うまでもない・・・もっともだ。ただ必要なのは・・・そう・・・ごもっとも・・・ごもっとも・・・じゃまた。（受話器を置く）
召使 一人中に入れてかまいませんか？
支配人 始めよう、そうやたらときかんでくれよ。
召使 （ドアのところで、リストを見つめながら）マールクシュ！（退場）
（マールクシュ嬢登場）
マールクシュ嬢 今日は、マールクシュです。
支配人 エミーリア？2
支配人 残念。何をご希望ですか？
マールクシュ嬢 あなたですわ、愛しい支配人。
支配人 くつろいだふりはやめましょう。あなた、ここはリゲト3ではありません。そのご登場ぶりで、どこからいらしたかはわかります。
マールクシュ嬢 もちろんですわ。
支配人 何がご必要？
マールクシュ嬢 想像がおつきのはず、石の劇場までたどりつきたいんです。
支配人 私どもの劇場はコンクリート製です。
マールクシュ嬢 それもけっこう、愛しい方。木造だけはかんにんして下さい。
支配人 じゃ私どものは木造です。
マールクシュ嬢 （目をしばたいて）あなたはそんな木石で出来てるわけじゃないんでしょう？
支配人 おやおや、何たる話し方です？
マールクシュ嬢 だって私たちはボヘミアンですもの、でなければ何？
支配人 私はボヘミアンではありませんよ。さあ！おっしゃって下さい、あなた、ボヘミアンになる前は何だったんですか？
マールクシュ嬢 婚約者でしたわ。
支配人 誰の？
マールクシュ嬢 捨てた男の。
支配人 理解出来ますな。
マールクシュ嬢 七年間彼と婚約していました。
支配人 それから？
マールクシュ嬢 商店にいました。
支配人 帽子屋？
マールクシュ嬢 ちがいます。ドラッグストアです。そこで見い出されましたの。
（長い物語が始まりそうになる）ことの次第はこうですの、ねえ・・・
支配人 けっこうです、あなた、おめでとう、あなたが見い出されて大変うれしい。だが私は今、詳細を聞く時間がありません。コーラスに入りたいですか？
マールクシュ嬢 リゲトの劇場では私、大役を演じましたわ。
支配人 例えば？
マールクシュ嬢 カルメンを。
支配人 オペラを？
マールクシュ嬢 短縮して一幕もので上演しましたの。でもオリジナルの音楽で。
支配人 大変賢明ですな。残念ながら、ここではそれはやりません。（せかせるように立ち上がる）
マールクシュ嬢 わかってますわ、愛しい方、私もそれをやりたいわけじゃありません。何かもう少し小さな役がほしいだけなんです。見て下さったらうれしいんですけど。私亡くなったシクライ4のところにいましたの、今は、芸術小劇場にいます。月曜までそこで演じています。
支配人 残念ですな、火曜までは時間がない。
マールクシュ嬢 じゃ延長しますわ。
支配人 延長はしないで、あなた。私のためだけに延長したりしないで下さい。それに私は忙しいんです。役については問題になりません。こちらは女声コーラス団員を何人か採用します。
マールクシュ嬢 （悲しげに）コーラス団員？
支配人 それじゃどう思っていたんです？あなた、宮廷女官の採用だとでも？
マールクシュ嬢 いいえ・・・でもコーラスだなんて、ぞっとしますわ、エヴァを演じた人間が。
支配人 エヴァを？
マールクシュ嬢 「人間の悲劇」5のですわ。
支配人 あれまで短縮したんですか？
マールクシュ嬢 そうですとも！一幕に。でもオリジナルの音楽で。
支配人 ほっとしました。
マールクシュ嬢 今になって合唱団でもう一度最初からやり直すなんて屈辱的だわ。
支配人 まあ人生はそんなものです。（時計を見る）もう十一時半ですな、あなた。
マールクシュ嬢 親愛なる支配人さん、コーラス以外はだめですの？
支配人 だめです。コーラス以内だけ。
マールクシュ嬢 でもそんなのひどいわ。それじゃ私はもう決して役にありつけないの？
1 劇場支配人 ハンガリーの劇場は、芸術監督と経営監督の二人の指導によって運営されている前者は一座（劇場の専属劇団）の運営、演目の作成を担当し、芸術上の問題全ての最終決定権を有する。演出家、文芸担当、舞台美術家、衣装デザイナーらと共にその劇場の特色を作るのが芸術監督である。後者の主な職務は、経営および技術スタッフの統括、資材購入、劇場設備の維持管理、その他あらゆる金銭上の問題が含まれる。ここに出てくる監督は明らかに後者の経営監督と思われるが、日本だとこういう職務をカバーしているポストは「支配人」と呼ばれているので、こちらを用いた。原文では彼は「監督さん」と呼ばれている。
2 マールクシュ・エミーリア 1860~1949 十九世紀初頭、国立劇場でヤーサイ・マリと並んで活躍したハンガリーの名女優
3 リゲト（ヴァーロシュリゲト） ブダペストの十四区にある広大な市民公園。劇場の他にも各種の娯楽施設（動・植物園、サーカス）や温泉などがある。
4 シクライ 喜劇俳優で劇場支配人のシクライ・コルネール(1869~1919)か？1904からヴァーロシュリゲトのキシュ劇場を設立、支配人を務めている。この戯曲の発表された1921年にはすでに死亡している。
5 「人間の悲劇」 マダーチ・イムレ(1823~1864)の旧約聖書の楽園追放に始まる人類の運命を描いた長大な哲学ドラマ。舞台で上演すると、上演時間の長さでも、例えばゲーテの「ファウスト」と良い勝負。
6 ハンガリーの劇場や歌劇場のシーズン（定期的に公演を行っている期間）は９月に始まって、翌年の６月まで続く。従って夏季は、音楽祭や短期間の公演以外は劇場は休みになる。
7学校の校長 ハンガリー語では、「校長」も「劇場支配人」も同じ言葉”igazgató”
8十九世紀のハンガリーのベチャール（義賊）でドゥナントゥールに実在したショブリ・ヨーシカは民話や民謡、民族ダンスにその名を残している。
9 シェルメツ シェルメツバーニャ、現在はスロヴァキアのバンスカ・シチャブニツァ
10 ボンヴィーヴァント オペレッタのテノールの役柄の一タイプ、陽気で楽天的な二枚目
11第一次世界大戦前のこと。この戯曲が発表されたのは1921年