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Ａ　先生は日本の将来にかんしてはどうも悲観論者のようですね―むかしから。

Ａ　ではこれからの日本はどうなるでしょう。アメリカの属国になるのでしょうか。

Ｂ　いや、属国という観念がいまではもうしまつにおえない時代おくれの観念でいちもんのとくにもならないことがとうに歴史的にも証明された時代になってきたので、日本にかぎらず属国というものは二度とふたたびでてきませんよ。

Ｂ　わたしの心配なのはぜんぜんべつの問題でそれも各国人の良心の問題。これからの人間はこんご神様が死んだ以上なにを信じたらいいのかというとほうもない大問題です。

Ａ　地獄も天国もなくなったのだから、この足もとの現実の世界を信じておたがいに幸福な生活を建設するしかありませんね。わたしもそのつもりで郊外の団地を買って小さい家を新築中なんです。

Ｂ　それはおめでとう。ところで、世界中の人間がこの現世のほかに信じるものがなくなったということ、まさにそのことが世界をこんなにすみにくい世のなかにしている当の原因なのですよ。

Ａ　しかも天国も地獄もなくなったんなら、現世を信ずるしかしかたないじゃありませんか。

Ｂ　それが英語でヴィシャス・サークルとよばれている循環論法です。これをうちやぶらないかぎり地上は永遠に楽土になりっこありません。

Ａ　ではどうしたらいいでしょうか。池田さんの経済成長でも駄目でしょうか。

Ａ　これには驚きました。先生はキリスト教信者なんですか。

Ｂ　どうしてどうして。わたしはキリスト教大学に籍をおきながらただの一回も教会に足をふみいれたことはありません。しかしカトリックの用語　Naturaliter Christiana　というラテン語があってわたしのように信者ではないがそれにもかかわらずうまれつきキリスト教信者になるためにうまれてきたとしかおもえない者のために別席を用意してくれてあります。わたしもその一人らしく東京のロゲンドルフ先生や京都のプリオット先生からときどきお手紙をいただきます。

Ｂ　それもあやしいものですが、その傾向はたしかにあるように自分でもかんじています。わたしは神学の知識はかいもくありませんが、世界がキリスト教解釈をうけいれる傾向はもう統計的にはっきり証明ずみです。これから二十一世紀にうまれてくる人間は人間はじまっていらいの大芝居が拝見できるはずで、これからの時代は歴史上はじめての幸福な時代になるでしょう。

Ａ　こんどは先生がいささか楽観にかたむきすぎる心配がかんぜられますがどうです。

Ｂ　そうでしょう。人間はとしをとるとだれでもむさくるしくなり、いくぶんあまくなり、涙もろくなるものです。それでちょうどいいんです。

Ａ　そういうきもちになられてから先生の心理になにか重大な変化が発生したとごじぶんでおかんがえになられますか。

Ｂ　そうですね。じぶんでははっきり断定することはできませんが、このごろはたいていのことくらいでは怒りっぽくなくなったし、病気などにもいぜんほど神経質でなくなってきたし、ただ夜ぶんにねつきがわるくてこまってますがこの方もねむらなければねむらないでおしとおしてやろうといったん腹をきめると、健康上必要な睡眠だけはいつのまにかとっているものとみえて翌日すこしも疲労をかんじません。或るお医者さんが新聞紙上でこれとおなじことをかいておられましたのでわたしも安心しました。

Ａ　なるほど先生が「病室を道場にした男」のなかにかかれたのは、そのへんの消息ですね。そうするときょうのおはなしともどこかでつながっているわけですね。

Ｂ　そうです。キリスト教的世界観というものは、そのような微妙な論理的なつながりでも古来世界中でもっともすぐれたものとわたしは信じています。むりやりに神さまから出発するのではなくてあとから神さまの登場を是が非でもお願いしなくてはかんじんの論理がなりたたなくなります。

Ａ　マルキシズムが思想だなどとおもっているおめでたい国は日本だけですね。

Ｂ　マルキストは思想的に半世紀はおくれているばかりでなく、現在のような排他的な、近視的なヴィジョンでは今後の世界はとうてい乗りきれないでしょう。も少し先を見通す眼力をそなえた強力な長期政策をうちたてることがこれからの政治家の最大の課題ですね。

（初出雑誌『心』昭和41年11月号、深瀬基寛集第二巻513‐516頁）
＊なお、これが深瀬基寛の絶筆となる。