第２章　三公理より（48‐51頁）

　「さて現代の日本に生きている我々が、学問上、思想上、現代を知り、現代に処する上に片時も忘れてはならぬものに三つのことがあります。その一つは、人間のアトム化ということ、第二は日本が西洋と出逢ったことの問題、第三は神道の本性であります。このアトム化についてはまたかさねて申しますが、これは西洋の自潰作用の必然的結果なのでありまして、これを手に取るように教えてくれた人はマックス・ピカートその人であります。そして東洋（日本）と西洋との邂逅のことはアーノルド・トインビーが説いてあますところがありませぬ。しかし神道にいたっては、ピカートはもとより、トインビーといえども、つきつめたところはよくわかっておらぬのではなかろうか。外国人にはとかく日本のことがわかりにくいのではありますが、日本人の正体がわかっておらぬ点では日本人も同じ位にわかっておらぬのであります。小生も昨今漸く日本人というものが多少わかかけて来た位でありますから、以前はなおのことわからなかったのでありました。」（中略）

　「現在の日本においてはアトム化と異質文明の邂逅と、神道と、この三つのものがたがいにからみ合いもつれ合って一体をなしているのであります。今日の日本でどういう学問をやるにしても、この三つを出発点とし、手懸りとして考えなければ、どうにもならぬと深く確信するのでありますが、この三つのうちのどれ一つを欠いてもいけないのであります。この三つの契機のどれ一つを外しても日本で根本の学問をやる意義はないと、小生は確信しておりますが、これはわかって見れば何でもない、ごく当然で自明なことなのでありまして、これは日本における、あらゆる学問の公理体系だといってよいでありましょう。世間では自動車、カラーテレビ、クーラーの三つを三種の神器といっているようでありますが、小生は上の三つを学問上の三種の神器として万般の問題を解く鍵とせねばならぬと考えます。この論点が確立すれば我々の考えること、することすべてに方針がちゃんとはっきりして来るのであります。

　・・・この公理体系は日本について当てはまるものでありまして、外国ではその全部が妥当するわけではありませぬ。西洋人の場合では神道のことなどを考える必要はなく、西洋と日本との邂逅の問題ですらもそう深く考慮に入れなくてもよいでありましょうが、日本ではそうは行きかねるのであります。西洋諸国についてはアトム化を考えただけでよいかもしれない。

　アトム化は 何分世界汎通の問題でありますから、ウエイトの点からいえば、アトム化が第一に来なくてはなりますまい、しかし、日本の場合はアトム化だけでは割切れず、問題は解決しませぬ。アトム化の外に神道のことがよくわからねばならず、神道を加えてもそれだけでもまだ充分でなく、両者を媒介する位置にあるものとして「文明の邂逅」をつけ加えねば充分でありませぬ。この三つを三種の神器といったわけはそれであります。アトム化のことだけなら、マックス・ピカートから教示を受ければよいでしょう。邂逅の問題はトインビーの独壇場ともいえましょうが、ピカートが神道をよく知っているはずもなく、トインビーにも神道が本当にわかっているかどうかは疑わしいのであります。またトインビーはアトム化をどの程度に理解しているか、そこにも疑問があるでありましょう。またトインビーは日本をば、かつて仏教化した国のように説いておりますが、小生は断然そうではなかったと思っております。小生は日本が純粋に仏教化したことはなかったと考えるものでありまして、昔から日本は神仏混合もしくは神仏並存の国であります。かりに仏教が日本を支配していたとすれば、神仏並存形式のようなものを仏教の建前がゆるすはずもないでありましょう。仏教と神道とが共存ないし混淆しえたというそのこと自身がまさに神道そのものの支配を示す事実と見ねばならぬのでありまして、これは仏教の方が神道に負けたのであると確信いたします。これは仏教にそれだけの弱いところがあったからっでもありますが、とにかく日本が仏教化したことは事実上なかったといってよいのではないか。これはくわしく事実の上から証明していわねばならぬことでもありますけれども、ここではそれをやっておれませぬ。いずれにしても、三種の神器はトインビーももっておらず、ピカートももっておらず、もつ必要もなく、また西洋にはないものでありまして、やはり三種の神器はどこまで行っても日本でなければもちようがないものかも知れませぬ。日本人である以上はいつまで経っても何かの形で三種の神器が要るとはさても奇妙なことでありますが、いたし方もありませぬ。（中略）

　現代の日本では、歴史学も歴史哲学も、その集中するところは東西の世界が出逢ったことの結果と、西洋的世界の自潰作用すなわちアトム化と、それから日本の神道と、この三つを疎外しては何事もはっきりして来ないといってよいのでありまして、この点はどれほど強調しても強調しすぎるということはありませぬ。それでなおしばらくこの三つの根本的事項に関して申し上げて見たいと思うのであります。

　科学、科学というけれども、日本でやっている科学は、科学というよりもむしろ神道の行事なのでありまして、各教室の主任教授は科学者といわずにむしろ神主といった方がより適当であり、助教授、講師諸君は禰宜、学生はまず氏子といった方がよろしい。つまりみな科学者ではないのであります。祝詞をあげないとか、神主の装束をしておらぬとかいうことはその本質とは全く無関係のことであります。

　こういうことを今の人々にいっても決して本当のこととして受取ってはくれますまいが、ここで申し上げることを、誰もがすぐにそのままおいそれと受容れてくれるようなら、それは要するに誰もアトム化しておらぬのとちがわぬのでありますからして、小生のいうことがかえって全部嘘になるわけであり、またピカートのいうこともみな嘘になります。さりとて誰も本気に受取ってくれぬことを書いたり話したりしたのではこれまた意味がないでありましょう。そこには実は大きなディレンマがあるのでありまして、そのディレンマをどう取り扱えばよいかは、ここで詳論に入りませぬが、以上のことを聞いてわかってくれた人は、わかったかぎりにおいて、やはり小生と同様ディレンマに直面せられるわけであり、責任を小生とともにになわれることになるのであります。だからして、三種の神器を手に入れたことは有難いようでもあり、迷惑なようでもありますが、一たん手に要れた以上は捨てるわけには参らぬのであります。捨てるのには勿体なさ過ぎるのであります。ですから、どうかこの三種の神器の取扱い方を一人一人でよくお考え願いたいのであります。三種の神器をただもっていたのでははじまりませぬ。これを活用して行かねば大きくプラスしないでありましょう。

　知識人を含めて日本人の多くは宗教的なものは嫌いだとか、煙たいとか縁がないとか、関係ないとか申します。しかし小生は日本人ほど宗教的な民族は、世界広しといえども、他に類がないのではあるまいかと思っております。そこでそのわけを申さねばなりませぬ。すなわち日本人が徹底的に宗教的民族であることをいおうとするのでありますが、こういうことを申しますと聞く人は多分怪訝な思いをされるにちがいありますまい。まあ落ちついて小生がいうことをともかくもお聞きねがいたいものであります。結論の方から先にいってしまえば、日本人はこの西洋近代文明の浸透した現代でも、依然として強硬に宗教を信奉しているということをいいたいのであります。すなわちその宗教とは神道という宗教であります。しかしこの神道は宗教は宗教でも、原始宗教でありまして、世界的宗教でないのはいうまでもありませぬ。実は今回申すことはみな小生のいわゆる「神道公理」にほかならぬのでありまして、すでに前にも述べたことでありますから、今改めて繰返す必要はないわけでありますが、「神道公理｣の方は比較的に言い方が足りなかったかとも思いますので、もう一度繰返して置く必要を覚えたのであります。(中略)

　すべて原始宗教の特性、本性の上からいたしまして、原始宗教からは高等な宗教がわからぬのは理の当然でありますが、原始宗教に踏みとどまっているかぎり、自分以上の宗教がわからぬだけでなく、多少とも高い宗教に関係のある一切のことがら、例えば哲学のごときものも、実は本当にはわからぬことをいいたいのであります。それから後でいうことを先にいう嫌いがありますが、小生は日本人の平均的性格は「浅薄｣と「下等」という二つの項目の下に総括できると確信いたします。日本人がとかく宗教を好かぬような言葉を吐くのも、とりわけてこの浅薄性の表われなのでありまして、深く宗教を知った人ならば、この浅薄が見抜けますが、低級宗教たる神道のうちに浸っていては、その浅薄が見ぬけるどころのさわぎではありませぬ。自己の浅薄がわかった人はもうそれだけで自己を超越したともいえるのでありますのに、朝から晩まで神道という風呂のなかにつかり切りになっていては、超越どころか益々その浅薄に年輪が加わる一方で、遂には筋金入りの浅薄になってしまうのであります。そしてそこからいろいろ奇妙な現象が簇生してまいるのであります。こういう小生自身が神道であるかないかは後に廻して、今の日本人の最大多数が何千年も前と本質上いささかもかわらぬ神道風呂に浸かり切っているという診断が誤診でなければ、日本人に「浅薄」を指摘して見ても「下等」を注意して見ても、理解してもらえぬのははじめからむしろわかったことなのであります。しかし小生はわかる人にはわかると思っておりますから敢えて書いておくのであります。それでどうか小生の意のあるところを少しでも汲んでいただきたいものであります。（中略）

　・・・この「浅薄」と「下等｣という根性が何に由来するかといえば、それはもういうまでもなく日本人に固有な原始的、自然的宗教である神道に由来するのであります。浅薄とは何をいうのでありましょうか。浅薄とはすべて物事に徹底することを好まぬ性質をさしていうのでありまして、物事の本性を底の底まで究明しようというようなことは日本人の生来性に合わぬことだけはたしかであります。だから哲学のごとき、根本の原理をつきつめて行く学問が、日本人にぴったり来る筈はまずア・プリオーリにありませぬ。世間ではまた往々この日本人特有の浅薄を恬淡とか洒脱ととりちがえて、物にこだわらぬ、さとった心境であるように勘違いをする人があります。とんでもない話でありまして、日本人ほど物にこだわり易い人種は、これまた世界にその比類を見ないといえるでありましょう。恬淡な人、洒脱な人も日本人の間にいなかったとはいいませぬ。しかし国民の平均的性格を直視すればするほど、恬淡洒脱どころかこだわってこだわって、一つ決めごとをするのにも、時間のかかることおびただしい事情は、わかる人にはわかり過ぎる位はっきりわかっているのであります。何かというと世間がどうの、周囲がこうのと、それはそれは実にうるさい限りでありまして、一時間で済むはずの相談がやっと落ちつくのはまず短くて一年か二年と見つもってもよいことさえもよくあるのであります。だから、つくづく嫌になるのであります。(中略)

・・・これは自由精神にとっては真に我慢のならぬことなのであります。しかし一概にこれに反抗して見ても仕方がない、それはちょうど地震や台風に反抗するのと同様でありましょうから、無理なことをしては役に立ちませぬ。さらばといってそのペースに巻込まれるのは無間地獄へおちることでありますから、これを避けるためにいろいろと策略をめぐらすことが、これまたやむをえぬことになってくるのであります。その策略の具体的説明は一々いたしませぬが、趣旨は要するに、地震に対して耐震家屋をつくるとか、台風の被害をなるだけ少くする処置を講ずるのとまず似たやり方でありまして、つまりできるだけ被害を軽くすることに帰着するのであります。そうやっても被害が完全に避けられるわけではありませぬが、多少は避けうるのであります。そうでもせぬ限り、この日本では人間たるの本来の使命を果たすことができませぬ。尤もこういうことは何も日本人の間に限らぬことでありまして、どんな人間環境のなかでもそれ相当の生き方 modus vivendi が必要なことはいうまでもありませぬが、しかし日本の特殊事情をよく充分に研究し、考慮しておかぬと、処置をあやまって、あたら一生を棒に振る結果ともなりかねぬのであります。何と日本は恐ろしい国ではありますまいか。一切のものが人間本来の使命を達成せしめない方向へ力を合わせて働いている国でありますからして、この国に生まれた人間にとってこんな不幸はないのであります。(中略)

　さて二つの根本性状、すなわち浅薄と下等が神道から来たものだといいましたが（下等の方は今は詳説を省略します）、これはいかにも神道を頭からけなした言い方のように聞こえましょうが、さきにもいいましたように、神道そのものは別に善いものでも悪いものでもないのでありまして、これは日本人の自然性なのであります。いいかえると、日本人という種族が自然からつくられた時に、それと同じに付与せられた性状が神道と言う形をとっただけでありますから、これを頭からいけないものといえば、同じ理由で人間の身体出来方やその生理的機能をまでもみな悪いといわねばならぬ理屈になりましょう。食うこと、飲むこと、子を産むことがそれ自体に悪ではありますまい。神道も日本人という種族の自然性状を煮つめ、しぼりつめた結晶のようなものでありますからして、これを頭ごなしに悪いときめてかかれば、少なくとも自然的人間としての日本人は生きられますまい。しかし、だからといっていつまでもこのままでよいのだといえば間違ってくるのであります。（中略）・・・問題が起るのは、世界にはこの神道という原始宗教の外に宗教がないわけでなく、同じく原始宗教といわれるものについて見ても、いろいろの種類があり、さらに原始的宗教でない宗教、いわゆる高等宗教がおこって、それが万事につけて物を言う段階になったときでも、まだどこまでも神道一本で押しとおそうとすれば、そこに奇妙な現象が発生するばかりでなく、まことに厄介な問題を生んでこざるをえぬところにあるのであります。そうなりますと、これは公理の一つとして認めたエンカウンターへ自然に移行していくのでありまして、二つの公理が緊密に結びついてくるわけでありますが、ここではなるべく原始宗教としての神道へ話を限りたいと思います（実は両者は切り離せぬものではありますが)。

　・・・昔の日本人が渡来の文物、宗教に驚歎し感服したのは事実でありますが、ここに忘れてならぬ重要なことがある。というのはそれほど心魂を奪われた日本人が、しからば原始の神道を捨てたのかといえば、それは決してそうでなかったという一事であります。どういうわけかと申しますと、日本人はたしかに外来の宗教、渡来の文物によだれを流して有難くおしいただきはしましたが、片方ではこれが日本人に何糞という気をおこさせたという事であります。日本人は元来そういう根性が強い、何糞根性というか、負けぬ気というか、痩我慢というか、気概と称するか、つまり日本人は、相手にそうやすやすとはしてやられぬぞと力む気性が仲々強い民族であります。その証拠は一々挙げませぬし挙げる必要もありませぬが、これもまた一概に悪いとはいえぬのでありまして、かりにこれが全く欠如していたならば今日の日本も無かったでありましょうし、またいわゆる日本文化なるものも形成されなかったでありましょう。さてこの気概、この負けぬ気がどこから来ているかといえば、それもいうまでもなく神道から根を引いているのはわかりやすいことであります。「凝っては百錬の鉄となる」などといわれたように、この気概が相当の働きをこれまでして来たのであります。この気概が開国以来のいわゆる「躍進｣を遂げさせる力ともなったのでありまして、明治以来日本人がこの「躍進」を唯一の種にしてどれだけ傲り高ぶり、自国民のみか他国人までも欺いて来たことでありましょうか。欺いたといっても必ずしも意識的に欺いたわけでもありませぬが、このために被害を蒙った内外人の数は勘定し切れないほどでありましょう。しかし物事にはすべて二面があるように、開国以来の日本人の努力の全部が全部意味がなかったといっては間違いになります。(中略)

　いずれにせよ、日本人が上述の状況に置かれて以来、一方では異国の宗教、異国文化にたいしてある種の劣等感を抱きつづけたまま、そしてそのかたわらある種の気概をもったまま今日までやって来たことは、どう考え直してみても、どれほど調べなおして見ても、まあ、大体は相場の狂わぬ評価であろうと思われるのであります。いかがなものでありましょうか。

　神道も宗教ではあっても、単なる原始的宗教として、決してこれは人間を底の底から改造しうる底のものではなく、人間に新たな生命を与える力のあるものでもなく、我々の真に深い欲求に応じてくれるものでないのはいうまでもありませぬ。敗戦に逢えばもろくもくずれてしまう位弱いものなのであります。しかしくずれただけでこれに取って代るものがなければ、いつの間にやらまた首をもたげてくることは、雑草がいくら除かれてもまた生え出すのとかわりがありませぬ。そういう意味でなら神道は強いのでありますが、神道が強いのは雑草の生長が強いという意味でだけ強いのだということを忘れてはなりませぬ。日本人は永劫にこの雑草であってよいのでありましょうか。

　神道そのものは、もともと善いものでもなければ悪いものでもないと申しましたが、実はこれは神道がまだ道徳の水準へまでも達しておらぬ原始宗教であるからそういえることなのであります。善くもなく悪くもなければ中世中立で無色無味かといいますと、そういいたかろうけれども、それは神道がより高い宗教とぶつからぬ間のことだけで、ぶつかったが最後もうそうはいえなくなるのでありまして、今日では神道を超出せぬ人間は下等で低級な人間と断じて間違わぬと信じます。

　「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と歌いますが、「科学、芸術は哲学でもつ、哲学は道徳でもつ、道徳は宗教でもつ」といってもよいのでありまして、宗教があらゆる一切のものの根底なのであります。ところで今日の日本人をば、そもそも何が支え、何が保っているのでありましょうか。科学が日本人を支えておらぬことは、データを平気でごまかす大学教授が多い事実を知ればもうそれだけで沢山でありまして、後をいう必要はありますまい。芸術は日本人の特徴の発揮などいいますが、はたしてそうでありましょうか。昔は知らず、現代の日本の大都会の停車場にある大便所をのぞいて見られるがよろしい、水洗式の西洋便所だというのに、たまらぬ臭気を発散している大糞がたれたままになっているのが随所に見かけられるでありましょう。この一事を見れば、日本人から美のセンスがすっかりなくなったことは他の何ものを見なくても明瞭でありまして、これほどはっきり日本人の不潔性を世界にさらけだしたものはありませぬ。哲学が日本人を保っておらぬ、などとはいうだけが阿呆げているでありましょう。しかしその日本人をも厳として保っているものがあります。他でもないそれは宗教であります。すなわち崩れた神道であります。但しこれはくどくいうように、原始的宗教、すなわち下等宗教でありますからして、これをば芸術、科学、哲学、道徳を保つ底の宗教とでも思ったら大間違いも甚しいのであります。神道はそういうものの根底にはとうていなり得ない宗教であります。高等の宗教が出てくる前のもの、つまり自然の土からはえ出た宗教なのであります。だから今日でも神道だけをもとにしてやっている日本人には、本当は芸術もわからなければ、科学もわからず、哲学、道徳はむろんなく、ただ原始的宗教があるだけなのであります。科学や哲学という名前だけはあっても、それはみな外国出来のものの真似事であり、芸術品はあっても、芸術品らしい芸術品は大抵昔の日本の遺物でしかありませぬ。人間は必ずしも芸術家や哲学者や、さらに人格者でなくとも、人間ではありますが、人間であるとは宗教的存在であるということなのでありまして、芸術家や科学者であろうがなかろうが、はじめからおわりまで人間は宗教的存在なのであります。だから日本人も宗教家顔をしたければ、いくらでも立派に宗教家の資格で威張れるわけであります。ただ問題はその宗教がどういう性質の宗教家ということにしぼられてくるのであります。どうせどうころんでも宗教的存在であることから脱却できぬものが人間であるならば、せめて日本人も、もっと宗教らしい宗教をよりどころにせねばどうにもならぬでありましょう。ここのところの認識が大多数の日本人にそっくりそのまま欠如しているのでありまして、自分は無宗教だの、宗教には中立だの、無関係だのといって、まるで牡蠣が殻の中に身を縮め、亀が甲のなかにかくれダチョウが砂の中に頭を隠して尻尾が丸見えになっているのと同じことをやっているのは、ただただ物笑いの種でしかありませぬ。自分が宗教家も宗教家、えら宗教家、大の宗教家、ただし低級宗教家の癖に、口では宗教と無関係だなどというのは全くこの牡蠣か亀か鴕鳥の類ではありませぬか。世界でも類まれなこちこちの宗教家、但し原始低級の宗教家の癖に、宗教に無関係とは何を抜かすか、といいたいのであります。そういうことをいう口の下から本来の宗教家が丸見えに見えているではありませぬか。原始的宗教家が大きな顔を出しているではありませぬか。これは詭弁でもなければ循環論法でもなく、事実中の最明白な事実でありまして、大学であれ、研究所、病院であれ、官庁であれ、会社、銀行であれ、どこもかしこも神主、氏子がうじゃうじゃしている光景は実に目ざましくも物凄く、学問などがそのどこかにひとかけらでもあるかなど思う人はお芽出たいといいましょうか、阿呆といいましょうか、それも神道の力（スペル）でそう思うだけのことで、日本人と名がつく人間は朝起きてから夜寝るまで、誰も彼も神道の行事を一所懸命に行じているのだということを胆の底から承知して置く必要があるのであります。だから仏教家のつもりでいる日本人も、クリスチャンのつもりでいる大多数の日本人も、実は仏教家でもなければキリスト教徒でもなく、神道を地で行っているところの人たちであることは明々白々の事実でありまして、今更ながら自然力の強さに目をみはらざるをえぬのであります。それは自身のように忘れた頃にひょっこり現れるものでもありませぬ。
　
　「神道公理｣を公理といったのは、これが事実だからそういったのでありまして、決して推理の結果でもなければ証明が必要なことがらでもありませぬ。誰にでもわかること、わかり過ぎる事実なのであります。今となっては日本人同志がよってたかって全部が全部そのために惨害を被っている事実なのであります。おのれが神道家、すなわち宗教人であることを自認し白状せぬことも、その事実のうちに神道たるの特徴が発揮されているのであります。これだけいってもまだ自分は宗教家でないなどと思う人があるならば、何の遠慮も要りませぬからどこからでもどうか小生を反駁していただきたいものであります。この日本人の宗教性の徹底はものすごく、いささかのふらつきもなく、すこしのよろめきもありませぬ。世界中にこれほど宗教に徹底した民族があるならば、一つ教えてもらいたいものであります。但し、その宗教というのが低級宗教なのであります。そこが問題なのであります。それなら小生自身はどうなのだといわれれば、さきほどもいいましたように小生自身も神道でないとは申しませぬ。小生も一日のうちの８０％位、日によっては９８％以上も神道でやっているのでありますが、残りわずか１０％そこそこは必ず聖書を読んでいるのであります。つまり小生の神道には一つ窓が明いているのでありまして、そこから神の微光が差し込んでくるのであります。まことにお恥しいほどの、いたってかすかな光ではありますが、やがてそれが神道の妖気をすっかりはらいのけてくれることを祈るところの人間であります。自称プロテスタントというのもそのためでありまして、哲学のごときものが幾分でも小生にわかるとしますれば、それも神道の壁にあけられた窓からさし込む光のたまものと申す外なく、これが無ければヘーゲルでもカントでも小生には無縁な存在になってしまうのであります。また神道がどうのこうのという術もなくなるわけであります。だから小生としましては、諸君もどうか一寸だけでもよろしいから諸君の神道に穴を一ところ明けておいてほしい、と思うのであります。そうでないと哲学がわからぬばかりでなく、科学もやれなければ、他の何ごとも本当にはやれないのであります。あるかなしかのわずかな微光でもそれがあるお蔭で、カントもわかればホワイトヘッドもわかり、それがない人よりもはるかによくわかることはたしかであります。さらに大きな光を受けるにおいては、どんなことでもできぬことがないであろうことは小生自身によくわかっているのであります。ただ小生の信仰が薄いから、えらいことができぬだけであります。

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